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双葉の従士  作者: 日辻
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八話 ライバル

 養成所の宿舎に侵入した外国人の三人は、学校等の施設を狙った窃盗団の一味であることが分かった、とフランツから聞かされ、ベルは長い息を吐いた。不審者騒ぎから一夜明けた養成所内は、彼らの話題で持ちきりだった。影の功労者だったフランツは一晩中ベルの心配をしていたらしく、眠い目を擦りながら何度目かの質問を投げかけた。

「で、ベルは怪我なんかしてねえんだよな? アディもすぐよくなるんだろ?」

「……何度も言わせないで。私はこの通りだし、アディは軽傷」

「ああ、そうだったよな……何回も悪い」

 フランツは頭を掻きながら人のまばらな食堂の天井を仰いだ。寝不足がたたって集中力を欠いているらしく、訓練着には砂で汚れた跡がいくつも付いていた。まだ昼飯の時間には早いが、医務室にアディを連れていく途中でフランツに捕まってしまったベルが、アディと食堂で待ち合わせることを提案したのだ。眠たげなフランツと雑談していると、食堂の入り口から雷鳴のような声が飛んできて、室内の訓練生たちを縮み上がらせた。

「ホフマンいるか! いたら返事しろ!」

 間違うはずもない、エンゲルス教官の吠え声である。ベルは片手を挙げながら立ち上がり、存在を主張することで次なる叫びを食い止めた。

「ここです、教官」

「ちょっとこっちに――いや、私が行く!」

 ベルが答える前に、エンゲルス教官が早足で近付いてきた。彼女に苦手意識のあるフランツは逃げ腰になりかけたが、せっかくベルと話せるのだから、と我慢してその場に留まっていた。エンゲルス教官はベルの側まで来ると、訓練着姿の少女を見下ろしながら比較的控えた声で語りかけた。

「昨晩はご苦労だったな、お前がいなければシュッツァーが『不審者を置いて逃げるところだった』と言っていたよ」

「……いえ、私は――」

「いいから聞け!」

 やはり、食い止められずに叫ばれた。ベルは顔をしかめたが、教官は気にする素振りもなく咳払いをして続ける。

「お前、シュッツァーが負傷したのは自分のせいだと気に病んではいないだろうな!」

「……」

 図星を突かれたが、肯定するには気が重かった。エンゲルス教官は、女性にしては分厚い手でガッシリとベルの両肩を掴んだ。

「いいか、お前が逃げ出さずに後ろにいたから、シュッツァーに不埒者を成敗する力が湧いたんだぞ! お前たちのどちらか一人だけで敵を仕留められたか!」

「……いえ」

「そういうことだ! よく取り逃がすこともなく立ち向かった! 分かったら次はお前が前に出られるように練成に励め! 以上!」

 嵐のように、エンゲルス教官が去っていった。呆気にとられるベルに、フランツが小声で呼びかけた。

「エンゲルス、もしかして元気付けに来てくれたのか?」

 ベルは元通りに椅子に腰を下ろした。ベルが消沈していたことを告げ口したのは、おそらくプロイス教官だ。思えば、一階で二人を簀巻きにしたのも、二階で一人を倒したのも、エンゲルス教官の担当訓練生だった。教官対抗戦を前に水をあけられた気がして、ベルはフランツに向き直った。

「対抗戦、エンゲルス組に負けたら許さないから」

「は⁉︎ おい、今エンゲルスにわざわざ声かけてもらったんじゃ――つーか、俺らのクラスのエンゲルス組ってピアさんとアディじゃねえか! アディはベルと競うとして、俺ピアさんに勝たなきゃなんねえの?」

「絶対勝って。私も勝つ」

 急にどうしたんだ、とフランツは怪訝そうに頬杖をついた。今の彼女の心中をなにが占めているのかは分からないが、それは自分ではなさそうだ、と報われない己を哀れむでもなく、少年は襲い来る眠気に耐えながら同期生の到着を待ったのだった。


 それから、約一週間が経過した。来週にはいよいよ教官対抗戦が幕を開けるという週末のその日、アディは三通の封筒を持って居室に戻ってきた。いくらアディが筆まめとはいえ、忙しい訓練中に三人と同時に文通をすることはないはずである。ベルは気にしていない風を装ってベッドに座り、訓練中に履くショートブーツを磨き続けた。アディは作業中のベルには話しかけることなく、机の前の椅子に腰掛けた。

 一通目は短い手紙だったらしく、アディはすぐに読み終えてしまったようだった。続いて二通目の封蝋が割られる音が室内に響いたが、その後に微妙な違和感を覚えたベルは、思わずアディの方へ振り向いた。アディが硬い眼差しで見つめているそれは、ベルが驚いたことに羊皮紙に書かれた手紙だった。植物から作られる紙が広く一般的に使われているこの時世に、あえて羊皮紙を使うとしたら、それは長期の保管を想定した重要な文書である。と、ベルが急に手を止めたことが気にかかったのか、アディも同じようにベルを振り返った。図らずも目が合ってしまいばつが悪そうに視線を伏せたベルを見て、アディはふと自分の手にある羊皮紙に目を落とした。普段リリーからの手紙だけを定期的に受け取っているのが、今日に限って三倍になっていれば、気にもなるのかもしれない。アディは曖昧な微笑みを浮かべながら封筒をまとめて手にし、送り主の名が見えるようにベルに示した。

「一通はリリーからなんだけど、例の盗賊騒ぎがあったでしょ? そのことで……ちょっとね」

 あまりアディの私的な手紙について詮索したくはないが、見せられている分には見ない理由もなく、ベルは三者三様の封筒と、そこに書かれた名を確認した。まだ封印されている一通の『リリー』、最初に読まれたらしい開いた封筒の『シュッツァー』はそれぞれ友人と家族からの手紙だと理解できる。なにかあれば、すぐに養成所から実家に連絡が行くようになっているのだ。問題は中身の入っていない封筒で、その内容こそが今アディが読んでいた羊皮紙である。ベルはその差出人の名に目を走らせた瞬間、多少の動揺に目を細めた。

「『フォン・ヘルトリング』……貴族の方がどうして?」

「ヘルトリング家と私の家、昔から――付き合いがあって。今の御当主が私の後援者なんだ」

 ベルにとって、初めて聞く事実だった。貴族が家臣の子弟の教育に金銭的な援助をすることは、封建制度の残るペステリアでは珍しくないことである。従士候補生への援助は、時に『従士になった暁には当家に忠誠を誓え』という意味合いも含まれるが、近頃では未来の騎士への投資によって間接的に王家への忠節を尽くす意図へと緩やかに変わりつつあるという。貴族とのコネクションなどない一般家庭出身のベルには縁遠い話だったが、武門の出であるアディには所縁のある貴族の後ろ盾があっても不思議ではない。つまり、訓練費を出資しているヘルトリング家にも今回のアディの活躍が伝えられ、高価な羊皮紙の手紙が届くに至ったということのようだ。貴族の支援があろうと養成所内での待遇は同じなので羨望はなく、ベルは少し安心して頷いた。

「そう、御当主はなんて?」

「『私も鼻が高い』って。それと、『名誉の傷が早く癒えますように』……」

「そう」

 後半の丁寧な口調がかすかに引っかかったが、決まり文句のようなものと納得することに決めて、ベルは靴磨きに戻った。一方のアディは、親友に深く突っ込まれなかったことに内心でホッとしていた。ヘルトリング伯爵からの手紙の最後に書かれた重要な一言を、あえて伝えなかったのだ。

(『体力測定と練度判定が終わったら、屋敷に来なさい』……か)

 全体に穏やかな文体だったが、この「命令」には強制力がにじんでいた。アディはベルに聞こえないようにそっとため息をついて、羊皮紙を封筒に収めた。

(いつも緊張するし、少しだけおっくうだけど――次の休みは一人で出ないとな)

 ベルを連れて行けない場所に出かけることは、いつからか嬉しくない用事になっていた。最後の楽しみに取っておいたリリーからの手紙を夜に読むことにしたのがばれてしまったらしく、立ち上がって振り向いた側からベルの何か言いたげな冷たい視線を浴びてしまって、アディは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


 週明けには、アディの傷は完治した。そうして迎えた教官対抗戦の一日目は、ほぼ丸ごと基礎的な体力測定に充てられる。走力、跳躍力、投擲力、膂力などが測定され、クラス別に成績が公表されていった。原則として女子は別枠ということになっていたが、ベルとアディのわずか二名なので、いわゆる女子枠はここ何年も用意されていない。柔軟性と跳躍力以外は程度の差こそあれ概ねベルの勝ちなので、ベルもこの日は心穏やかに終われるかと思われたが、測定会のハイライトはこの日の最後にやってきた。平服に帯剣の状態で障害物のあるコース――もとい養成所敷地内を駆け巡る武装障害走、通称伝令走である。コースはクラスごとに異なり、当然ながらベルら練成期クラスのコースが最長にして最難関なのだった。

「ホフマンさん、速いですね! ……あれ、シュッツァーさんは……?」

「アディならとっくに通過したよ。壁越えとか細い道とか網抜けとか、そういうのは大体アディの独壇場だよねえ、小さくて身軽だからうらやましいなあ」

「すごく速いんですね……あっ、バウムゲルトナーさんだ! 頑張れー!」

 先に走り終えたピアの隣で、マルセルが声を張り上げた。ピアは入所以来伝令走で最下位から浮上したことがないという不名誉な記録の保持者であり、エンゲルス教官の担当訓練生ではアディが抜群の速さでバランスを取っている風情だった。マルセルの視界内にはベルの頭上ほどの壁があり、ベルの後ろから追い付いてきたフランツが苦戦しながら這い上がっていくところだった。ベルの方はというと、丸太の上を慎重に小走りで移動しながら遠くに去ったアディの背中を懸命に追っていた。

(ここまではアディが有利だけど、最終直線でなんとか追い付けば……!)

 と、訓練場から建物の間を抜けてカーブを曲がった先、本部棟と訓練場を隔てる壁の間にある中庭で、トン、と硬い音が一つ上がった。

「……!」

 中庭では、的当てが課されていた。所定の位置に置かれた三つの的に、コース内から弓矢なり投槍なりを的中させるまで先には進めないというものである。駆け込んでみると、仮設の壁際に高さの違う的が下げられており、それぞれ中央付近にナイフが一本ずつ突き立っていた。

(アディはナイフか……)

 しかし、手段を問わない射的であればベルも負けてはいない。コース脇の弓と矢筒を拾い上げ、矢を三本だけ取ると、ベルの放った矢は的を違えずナイフの近傍に刺さった。判定係の教官が旗を上げつつ「お見事」と告げたのを合図に弓を置いて駆け出すと、後ろから追いすがってきたフランツが弓を取るところだった。ここまでくれば、後はゴールまで駆け抜けるのみである。

(絶対追い付いてやる……!)

 ベルは荒い息をそのままに、中庭を抜けて訓練場に向かって講義棟の裏へと駆け込んでいった。行く手には、先を行く小さな影がある。持久力と瞬発力なら負けない、とベルはライバルを睨みつけた。


「よくやったぞシュッツァー! 伝令走の一着は他の五種目の一位に値する!」

「……!」

 なにか返答しようとしたアディの声は、エンゲルス教官の胸に押し潰されて消えた。力強い抱擁で、華奢な少女の背骨は軋みそうになるほどだった。窒息しそうになっていたアディは、次の瞬間抱き上げられてエンゲルス教官の頭上まで持ち上げられ、同じ教官に付いているピアや後輩訓練生たちはそれを止めるでもなく微笑ましく見守っていて、平和なプロイス組の面々には多少異様な光景に映った。

「ホフマンさん、二着でしたね。もうちょっとで勝てそうでしたよ!」

「……そうね」

「……マルセル、やめやめ! シュッツァーさんに負けた日のホフマンは機嫌が――」

 不穏な眼差しを感じ、マルセルを止めかけたリヒャルトは身を縮めながらプロイス教官の背後に逃げ込んだ。プロイス教官は、エンゲルス教官に肩車されて恥ずかしそうにしているアディとベルを見比べ、苦笑しながら腰に手を当てた。

「ホフマン、シュッツァーには明日勝てばいいだろうが。女子二人で男子をごぼう抜きにできただけいい気分だったろ?」

「……いえ、特に」

 不服そうなベルの背後に、アディを肩に担いだピアが歩み寄ってきた。ピアは温厚そうな笑みを浮かべてベルの肩を叩いたが、ベルは先輩訓練生にすら睨めつける目線を返してしまい、アディが慌てて声をかけることになった。

「ベル、足速いよね! 最後に追い付かれちゃうかと思った」

「……なに、ヘラヘラして」

 棘のある物言いに、ピアが突然「まあまあ!」と割って入った。肩のアディなどマフラー程度にしか気にならないのか、青年は気楽な顔で後輩を見下ろしていた。

「君たちにはまだ来年もあるじゃない! 大いに競いたまえ、なんてね」

「……」

 のんびりとした雰囲気にすっかり毒気を抜かれ、ベルは肩を落として頷いた。そう、まだ明日も、来年もある。また来年も負けるのかもしれないと思うとやや腹立たしかったが、それは救いのようでもあった。アディになにか一つでも負けたまま養成所を出るのは悔しいが、もし勝てるまで勝負を挑み続けられるのなら、騎士になってからもずっとライバルでいられるだろう。

(そうすれば、ずっとアディと――え?)

 奇妙な感覚に、ベルは慌てて首を振った。アディとの繋がりを保ちたくて張り合っているのではない、それでは逆ではないか、と冷静さを取り戻したが、ピアとアディが立ち去った後も違和感は残り続けていた。


 体力測定の翌日には訓練場や中庭はすっかり片付けられ、武技の練度判定会が執り行われる。判定が必要な項目のうち、馬術だけは外部の馬術訓練場まで移動する必要があるので、クラスごとに時間割を決めてローテーションで各項目の試験を受けるのが習いだった。練度判定に際しては公平な審査ができるように外部から判定員が送られることになっており、異なる養成所出身の現役の騎士が王宮から派遣されてくるのが恒例である。しかし、たまにはこのような偶然の巡り合わせが起こることもあった。

「エッケルトさん!」

「ハイノ、久しぶり!」

「よーう後輩ども……と、ピア! 夏ぶり!」

 騎士団関係者の従士であることを示す青いサーコートを着たハイノは、変わらぬ笑顔でベルら在所中の訓練生たちの前に現れ、後輩たちを驚かせた。もちろん彼は判定員ではなく、その補助のために訪れたのである。

「俺はお手伝いだよ、お手伝い! 俺の指導役が判定員なんだよ。俺は記録と雑用だけ」

「うわあ、青サーコート似合いませんね!」

「るっせ! 評価五にすんぞ!」

 ハイノとフランツが冗談を飛ばし合っていると、本部棟から精悍な顔立ちの若い男性が現れた。ハイノの服装にはない勲章付きの白いマントこそ、正式に叙任された騎士であり騎士団員の証である。従騎士は騎士の付き人のようなもので、従騎士にとっての主人とは王ではなく指導役の騎士のことである。ペステリアとヒルチアにおいては、騎士は従騎士を文武両面から教導するものとされていて、師弟関係と主従関係の側面を持っていた。つまり、今現れたこの男性が、ハイノの主人であり教官というわけである。男性は明るい茶髪を短く切っていて、一目で戦場を経験したことがあると分かる肝の据わった青い眼を持っていた。後ろには教官の一人が控えていたが、騎士より明らかに年上にも拘らず、どこか緊張気味に見えた。訓練生たちもつられて萎縮がちになりながら模擬剣を体の前面に捧げ持つ敬礼の姿勢を取ったが、誰よりも敬礼が早かったのはハイノだったので、養成所を出てからさらに厳しく訓練されていることが窺えた。若い騎士は腰の剣を抜いて剣先を斜め下に向ける答礼を返し、訓練生たちが長時間敬礼していなくてもいいようにすぐに剣を納めた。

「そうか、ハイノはここを出たばかりなのだったな。中央は皆優秀なんだって?」

 視線を流され、ハイノが即座に反応した。

「はい、我が主人!」

「ここではそれ(・・)は省略していい。――さて訓練生諸君、私は騎士団員のヨアヒム・ドムスだ。今日は緊張せずに、普段の訓練の成果を見せてくれ」

 ドムスは目の前に整列した少年少女を見回し、ゆっくりと頷くと、チラリとハイノの方を見て声のトーンを落とし、腕を組みながら問いかけた。

「それで、俺はなんの判定員なんだったかな?」

「長剣術です!」

「……あ、そうか。皆帯剣しているもんな」

 至って真面目そうな外見の割には、とぼけた面のある人物なのかもしれない。そのやりとりだけで、訓練生たちの表情は和らいでいった。それを狙っていたのかは定かではないが、騎士はフッと笑顔を見せ、すぐに判定試合が始まった。練成期クラスは長剣術だが、訓練場の別の場所では槍術や弓術等の判定が始まっている。

 対人武術の判定試合では、一人ずつ型の確認をした後、判定員と一対一で打ち合う。相手は現役騎士なので打ち負かす必要などなく、術技を実践的に活かせることを示せばいいのである。成績は座学と同じく五段階で、数が小さいほど良いということだった。記録係のハイノがペンと板に貼り付けた羊皮紙を手に、名簿を見ながら一人ずつ名前を呼んだ。

「では、年齢順に長剣術の練度を判定します。最初の人は、ピア……カ……ニュー……オリ……?」

「ピルッカ・ヌオリヤルヴィです。よろしくお願いします」

 ピアはのんびりと言い返したが、ドムスは難しい表情で何度も頷いていた。ピアの剣技には長剣の重さをものともしない腕力が存分に活かされていて、剣を枝のように振り回す先輩の姿に、後輩たちはいつも感心と呆れがない交ぜになった眼差しを送っていた。ドムスは慣れた様子で雹にも似た剣戟を捌き切った後、息も切らさずに微笑んだ。

「いやあ、君はなんというか、若いのにすごいな。君のような剣士は、確か北方の山奥で見かけたよ。我々の剣術とは違うが、思わぬところに打ってくるのが上手いね。一にしよう」

 ハイノはニヤリと笑いつつ応じ、羊皮紙に判定を書き入れた。ピアは試合前と同じようにのんびりと「ありがとうございました」と言い残し、訓練生の群れに戻っていった。そこからは、アディの期の訓練生が続く。

「フランツ・バウムゲルトナーです。よろしくお願いします!」

「――うん、君は目がいいんだな、こちらの手をよく読んでくる。せっかく見えているんだから、もう少し反応が早くできるといいね。二にしよう」

 判定試合を終えたフランツは、肩で息をしながらフェリクスの隣に崩れるように腰を下ろした。

「あー、騎士の人ってやっぱすげえな……剣がめちゃくちゃ重い……」

「うん、すごい気迫だったね。あれが寸止めなんだから怖いな……」

 それから数分、ハイノに呼ばれてフェリクスが立ち上がった。

「フェリクス・マルツです。どうぞお手柔らかに」

「――よし。君の剣技は綺麗だね。カウンターが特に上手かったよ。執拗に……失礼、粘り強く急所を狙うのもいいと思う。一にしよう」

 ここまで約五人を相手にしても、ドムスは汗すらかいていなかった。彼のような人物の集団が騎士なのだと思うと、訓練生たちは改めて騎士になることは困難なのだと実感できた。

 男子が一通り判定を済ませた後、女子の番が回ってきた。ここでも年齢順が適用されるので、誕生日の早いアディが先に名前を呼ばれた。

「アーデルフリート・シュッツァーです。よろしくお願いいたします」

「……ん、アーデルハイト、かな?」

「アーデルフリートです」

 ドムスと対峙するアディの横顔を、ベルは誰よりも真剣に見つめていた。アディの苦手と自分の得意が重なるのは、この長剣術だけなのだ。

 そもそもこの長剣は、訓練を受けた男性が扱うことを念頭に置いて作られている。いかに女子用に多少短く、軽量化されたものを持たされていたとしても、体格に恵まれないアディには馴染めない重さだった。平均的な体躯で体力練成を重ねたベルだからこそ、長剣術を体得することができたのだ。アディは自らの剣に振り回されつつもそれなりに善戦したのだが、男子の組が終わった直後では、その技量は特に拙劣に見えただろう。

「――ここまで。君のいいところは素直に型を身に付けているところだね。それに、足運びや身のこなしはとても鮮やかだった。でも、その剣は君に合っていないのかもしれないな。三にしよう」

 アディは汗を拭いながら入れ違いにドムスの前に進んでいくベルを見送った。中央養成所女子の名誉は、ベルの肩にかかっている。

「ベルティルデ・ホフマンです。よろしくお願いします」

 ドムスは、三を付けた直後の少女に対して、手加減をするわけにはいかないにしても少しは判定を緩めるべきなのだろうか、と思い始めていた。そうしてベルと斬り結び、その考えを捨てて満足げな表情を浮かべたのだった。

「――よし。君も実に剣が上手いな。たとえ劣勢になっても落ち着いて対処できるし、攻撃の時の溜めが短くて隙がない。男子に引けを取らない剣士だね。一にしよう」

 フランツが思わず「うおお」と悲鳴じみた小さな感嘆の声を上げた。上がった息を整えながら、ベルは捧げ持っていた剣を下ろして「ありがとうございました」と応えた。


 次の判定試合が始まるまでの間、アディはベルと並んで訓練場の端で休憩していた。寒空の下では、下のクラスの訓練生たちと判定員らの試合が続いている。

「ベル、今年も剣術一だったね! 本当にすごいなあ」

「当然よ、死ぬ気で稽古してるんだから。あと……うるさい」

 アディの能天気そうな様子が気に食わないからでもあるのだが、ベルは少しだけ不機嫌だった。なにせ、ここからしばらくはほぼ互角の戦いが続くのだ。短剣術はベルもアディも一だったが、槍術は一を取れる者がごく少なく、二人とも二だった。弓術はベルが一でアディは二だったが、アディは別にナイフ投げの判定も受けていて、そちらは文句なしの一である。馬術はベルとアディ共に二だったが、ここまで二か三が続いていたフランツが馬術で一を取り、面目躍如となった。ベルにとって腹立たしいことに、格闘術はその日の最後に判定が行われた。

 養成所で習う徒手格闘術は、立位での突きと蹴り、投げ技を基本としたものだが、長剣や槍が主な武装とされていて、ごく近距離では短剣を使うよう指導されている上、剣術に抜剣時の格闘(ソードレスリング)が含まれるからか、それほど重要視されていないのが現状である。東国起源のアクロバティックな徒手格闘を習ってきたアディも一応「ペステリア式」を習得しているので、型の判定に際して問題はなかった。

 屋内訓練場で待っていた格闘術の判定員は、ドムスより少し年上の日焼けした騎士だった。彼が連れている従騎士も中央養成所の出身ではなく、少し大人しそうな青年だった。この騎士もまた、養成所で習う格闘術を習得した者であり、そのような戦いを学んだ人々の中で生きてきたはずだった。だからだろうか、練成期クラスのおよその訓練生たちは、「最後から二番目」の大番狂わせに密かに期待していた。

 格闘術でも、始めに判定試合を行ったピアが目覚ましい暴れぶりを見せ付けた。寸止めに失敗して判定員を殴り飛ばすトラブルはあったものの、恐るべき頑丈さでは騎士の方も負けていなかった。続く男子訓練生たちは無難に自分の番をこなしていき、ついにアディの番がやってきた。

「ほう、女子がいるんだったな。組手でも当てはしないから安心しなさい」

「はい」

(「当たりはしない」の間違いでしょ)

 そして、ベルの思った通りになった。

 アディが使う「カイン流」には防御は存在しない。あるのは回避と、それに連なる攻撃だけである。体をコマのように回す動きは身をかわすだけのものでなく、遠心力を活かした攻撃の予備動作なのだ。しかも、判定員は基本的に立ってアディの方を向いたまま前後左右にステップしているのに対し、アディは彼を跳び越えたり、前転で足元を潜り抜けたり、彼に背を向けて伏せながら蹴りを放ったりと、上も下もなく動き回っていた。

「おっ――おい、ちょっと、一旦やめ!」

 アディの曲芸めいた格闘術は、養成所内でちょっとした見世物のようになっていた。判定員は額の汗を手の甲で払い、直立姿勢に戻った少女を驚愕の面持ちで見下ろした。

「お前の……それは格闘か? いや、格闘なんだろうが……型の時は『普通』だったじゃないか」

「遠い東国の武術です。私のような小柄な人間にこそ相応しいのだそうです」

「……そうか。どうもこのクラスには外国の血が流れているみたいだな。よし、続きだ。私もペステリア騎士、ただで勝ちはくれてやらんぞ」

 判定員は、ピアの方を盗み見てから試合の再開を告げた。さすがに判定員へのクリーンヒットと思われる場面は少なかったものの、試合はアディの一方的な攻勢に終始し、結局一が与えられた。ベルは従士の格闘技をきっちりとこなしたが、腕力の差で押され気味になることが多かったため二と判定された。


 教官対抗戦の全ての日程を終えた後、ベルらのクラスの訓練生たちの間では、やはり徒手格闘でアディを攻略できる者はペステリア国内にはいないのかもしれない、との評判だったため、ベルの機嫌は予想通り悪化した。よりにもよって二日ともアディの勝ちで終わるとは、ベルには耐え難い屈辱だった。総合成績で多少勝っていたとしても内容が気に食わないという完璧主義は、帰り際のハイノに「相変わらずだな」と言われるほどだった。

「ベルもさ、再来年の今頃には従騎士だろ? 騎士団は強い女子の巣窟だぞー、ちょっとは負けに慣れた方が――」

「いいえ」

 ベルは首を振った。悔しいことだが、自分の負けず嫌いが特別に強くなっている理由は自覚しているつもりである。

「私は『アディに』負けたくないだけです」

 夕陽の差す前庭では従騎士たちが、各々の指導者が養成所本部への報告を済ませてくるのを待っているところだった。ハイノは主人が判定試合の間外していたマントを預かっていて、腕にかけたそれを撫でながら意味ありげに意地悪な笑みを覗かせた。

「あ、やっぱそうなのか。ベルってほんとアディのことさあ――」

「ハイノ、待たせたな」

 ドムスが本部棟から顔を出したので、ハイノは言葉を切って主人に向き直った。若い騎士はハイノの手でマントを付けられ、お辞儀の敬礼を送るベルに優しい眼差しをやってすぐに歩き去っていき、ハイノもその後を追った。途中で振り返って手を振る先輩を見送りながら、ベルの心はまだ完全に穏やかとはいかなかった。自室に戻ってアディの顔を見れば、苛立ちがぶり返すかもしれない。こうなると一つ小突いてやらなければ気が済まない、とベルは踵を返した。アディの待つ部屋に帰る、これも後二年弱のことなのだが、不思議とそれが意識に上ることはなかった。冬の日はすぐに暮れていき、養成所にももうすぐ夜が訪れようとしていた。

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