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双葉の従士  作者: 日辻
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一話 九度目の夏

「ホフマン、シュッツァー」

 夏のある昼下がりの休憩時間、どっしりと落ち着いた男性の呼び声に、応えたのはベル一人だった。いつも二人で一緒にいるように思われているのは、彼女の弁によれば「非常に不愉快」で「迷惑千万」なことなのだが、毎回噛み付くほど律儀ではない。ベルは木の幹に預けていた背を起こして素早く踵を返し、お世辞にも愛想がいいとは言い難い仏頂面を教官に向けた。栗色の髪の下から覗く猫のような青い瞳は、プロイス教官の短いダークブロンドを頂く武人然とした巨躯を捉えた。きっちりとまとめた団子状のシニヨンは、ベルの几帳面な性格をよく表している。

「私だけです。アディはいません」

「なんだ、シュッツァーは一緒じゃないのか。二人揃ってるなら来てもらおうと思ったんだが……そう怖い顔するな、美人が台無しだぞ」

「ご用件はなんでしょうか」

「半端な時期だが、俺が担当する予定だった新人が来たからな。お前たちを紹介しておこうと――」

 先日片田舎で山火事が発生し、その影響で入所が遅れた者がいることは、ベルら在所中の訓練生の耳にも入っていた。約一週間の遅れなら、きっとそれほど問題にはならないだろう。そんなことよりも、後輩に紹介する時から二人組扱いするのはいい加減に止めろ、と求めるべきか、本気で検討し始めた時だった。ベルの耳にこびり付いた、よく通る少女の声が飛んできた。

「ベル! 荷物、実家からだった! ……あっ、プロイス教官! なにかご用事でしょうか?」

「うるさい」

 ベルの刺々しい物言いにも慣れたもので、アディは溌剌とした態度を崩すことはない。優しい茶色の柔らかなショートカットを揺らしながら、軽やかな大股で瞬く間に訓練場の門から壁際の木陰へと駆け込んでくると、十五歳としては平均的な身長のベルと比べて随分背が低いことが一目瞭然だった。アディが少年のような青緑の丸い瞳で見上げると、教官は満足気に笑みを浮かべていた。

「おう。よし、揃ったな。お前らはセットで覚えさせないといかん」

 その嬉しそうな顔は間抜けに見えるからやめろ、とアディに向かって言おうとしたベルの口から漏れたのは、かすかなため息だけだった。傍のアディはそんな彼女の内心など露知らず、いかにも人畜無害そうな笑みをたたえていた。


 ベルとアディが教官に連れられて武器庫に向かうと、ちょうど先輩訓練生のハイノ青年と、新人とおぼしき就学年齢程度の茶髪の少年が、年季の入った木の棚に挟まれるようにして談笑しているところだった。急に夏の陽射しが遮られたからか、埃っぽい武器庫の中は不思議なほどヒンヤリしているように感じた。淡い金の髪に灰色の瞳が印象的な青年は、三人組を一瞥して用件を察すると、教官に目礼を残して静かに模擬剣の点検に戻った。担当教官の姿に、少年は慌てて棚の間から抜け出して行儀よく姿勢を正した。プロイス教官は目を細めて微笑み、斜め後ろに控えていた二人の少女を順に手で指し示した。

「クリーガー、髪をまとめてる方が直接の先輩になるホフマン、小さい方がシュッツァーだ。二人とも十五歳。今いる女子の訓練生は彼女らだけだ。二人ともとても優秀だぞ、女子だからといって甘く見ないように」

「アーデルフリート・シュッツァーです。ヘンペル出身です、アディでいいよ。一緒に頑張ろうね」

「ベルティルデ・ホフマン。よろしく」

 朗らかなアディと比べると、ベルの冷淡な調子が際立つ。それ以上ベルが何も言おうとしないので、アディが再度口火を切った。

「ベルはブルームガルト出身ね。すごく強いよ!」

 朗らかに隣を指すアディを、ベルがピシャリとたしなめた。

「アディ、聞かれてないことまで喋らないで」

「マルセル・クリーガーです、八歳です! コリントから来ました! よっ、よろしくお願いします!」

 少年の背後で、武器棚を覗いていた青年が吹き出した。マルセル少年の緊張ぶりがおかしかったのだろう、真っ赤な顔を振り向ける少年に「すまん」とジェスチャーで伝えるのが、小さな肩越しに見えた。アディは同じ片田舎出身として気にかかっていたらしく、すぐに質問に移った。

「山火事、大変だったでしょ? お家とかご家族の方は大丈夫だった?」

「はい、道は塞がれちゃいましたけど、うちは川向こうだったので! それで、その……シュッツァー……さん?」

「ん、なに?」

 マルセルの癖のあるショートカットは、わずかな体の動きでもフワフワと揺れた。彼は人の良さそうな茶色の瞳をキョロキョロと落ち着きなく動かした後、声をひそめて問いを投げた。

「女の人……なんですか?」

 教官と青年から、ついに笑い声が飛び出した。ベルが閉口するのも構わず腹を抱える男性陣の間で、アディはこともなげにニッコリと頷いた。

「うん、そうだよ。紛らわしい名前でごめんね」

 すかさず、ハイノが茶々を入れる。

「そうじゃねえだろ、お前胸ないし髪も短いから、本気でどっちか分かんねえ時があんだって!」

 半分笑いながらではあるものの、教官がハイノの言葉を遮った。

「そのくらいにしとけよエッケルト! ……じゃあクリーガー、また後でな」

「はい!」

 気楽な調子で小さく手を振るアディをチラリと見やり、つられて手を振りそうになってから慌てて直立の姿勢に戻る少年に視線を流して、ベルは教官とアディの後を追ってその場を後にした。残されたマルセルは、何やら言いたげな顔を青年に向けている。

「ベルはあの通りおっかねえぞ、頼み事はアディにしとけ」

「ベ――ホフマンさん、あんまり喋らないけどきれいな人ですね」

「あー、一目惚れ?」

「ちっ、ちが、違います!」

 マルセルは耳まで真っ赤に染めている。含み笑いを隠そうと、ハイノは棚に向き直って帳面に「問題なし」と書き込んだ。


 午後の残りの訓練時間は、槍での打ち合いに費やされた。負けず嫌いのベルには口惜しいことに、槍術は多くの訓練生にとって養成所でしか習わない武術のひとつであり、年齢が近い訓練生同士ならそれほど腕前には差が見られなかった。指先から肘までよりも長い武器の操法がやや不得手なアディにとっては、それが幾分かの助けだった。流派の違いもあって、それぞれの得意分野ではほとんど勝負にならないが、これは別、ということなのだ。公然たるライバル関係として張り合い続けてきたベルとアディの打ち合いは養成所内の密かな名物で、互いに互いの手の内を知り尽くしているらしく、側から見ると毎番互角の相当な激闘だった。模擬槍同士がぶつかり合う音に紛れ、初めて握る槍を慣れない手付きで構えていたマルセルは、訓練場の端の方で繰り広げられる静かな攻防を半ば呆然と見つめていた。

「ん? ああ、例の女子二人がなかなかやるだろ」

 少年の視線の先にあるものを察し、プロイス教官が槍の構えを解いた。斜めに下げていた穂先を半回転させて石突きを地面に下ろし、休憩ついでに二人の紹介を加えることにしたのだ。

「武術が上手いのと闘いに強いってのは、微妙に違うもんだ。ホフマンはとにかく抜群に上手い方だな。特に剣が上手い。教えた型が素直に身に付くし、こうして見ててもお手本みたいに綺麗だろう? 変な癖がないんだよ。女にしてはよく鍛えてあるしな。咄嗟の判断力もあるし、肝が据わってて良い戦士だ」

「はい!」

 新しくできたばかりの師弟が見つめる先では、一本取られたらしくベルが苦々しげにアディを睨んでいた。対峙するアディは、訓練着のシャツの袖口で汗を拭っていたが、その面差しからは先ほどマルセルが見た穏やかな印象は消え去り、ヘラジカを追う狩人さながらの冷徹な瞳をベルに向けたままでいた。生えかけた顎髭を片手で摩りながら、教官は続けた。

「シュッツァーの方はちょっと特殊で、東国の徒手と飛び道具の投擲が得意だ。あいつも型は割とすぐ覚えるんだが……実践になると人が変わるんだよな。殺気がみなぎるというか、どこかに切り替えレバーでも付いてるのかもしれんな。とりあえず、ヤツの強みはセンスだ。たとえ邪道でも、常に自分の最良手を取れる。だからシュッツァーは闘いに強い」

「はい。でも、それって……どっちが強いんですか?」

 新米訓練生の素朴な疑問に、教官は悪戯っぽい笑みを向けた。

「俺にも分からんな」


 夕暮れが訪れる前に、その日の従士訓練生の課業は終了する。これは国内のどの養成所でも共通の規則で、夜が来る前に所内の照明を点検する必要があるからである。約百人が寝泊まりする宿舎の中、微かに軋む板張りの廊下には、陶器製の大振りな水差しを抱えて歩くアディ、その傍らで先端に小さなフックのついた一メートルほどの棒を手にしたベルの姿があった。

「……アディ、待って。あそこがなくなりそう」

 ベルが棒で指し示した先は、玄関脇に吊るされたランプのひとつだった。透き通った素材の口が窄まったボウル状の容器には、金属の蓋と吊り下げるための輪が付いており、中にはボンヤリと明かりを灯す乳白色の小石が一個ずつ入っている。容器内を満たしているべき透明な液体は、今や底から数センチといったところだろうか。フックを器用に輪に通して持ち上げると、中の小石が容器の中を転がってカラカラと音を立てるのが分かった。特に珍しくはない、俗にランプの水と呼ばれる液体を触媒の石にかけるだけの照明器具である。

「ここで最後かな? ……あ、夕陽が沈むところだ。今日も暑かったね!」

「そうね」

 アディの声を右から左へ聞き流しつつ、留め具を外して容器の蓋を開いた。ベルの掌になんとか収まるサイズのそれに、アディが水差しからランプの水を注ぎ入れると、未だ熱気の残る周囲には独特の青草のような香りが漂った。

「いつも思うけど、こんな透明な窓石を沢山使えるのって贅沢だよね。さすが中央、というか」

 窓石とは、窓枠の内側に嵌められた板材のことであり、ランプの容器の材料でもある。薄く剥がれる性質のある積層状の鉱物だが、庶民の家に使われるようなものには大抵不純物が混じっており、白濁しているものなのだ。国内にいくつか存在する他の養成所では、おそらくそのような窓が見られることだろう。ベルは生返事を返しながら蓋を閉じて留め具をしっかりとかけ、棒を操って元の位置にランプを返した。容器中の小石の周りでボンヤリと起こっていた蛍光はやがて強度を増し、周りの照明と遜色ない明るさを取り戻した。

「よし、終わりだね! お疲れ様」

「……お疲れ様」

 こんな生活も、中等学校を卒業するまでのあと数年といったところだろうか。水差しを小脇にボタンを一つ開けた揃いのスタンドカラーシャツの胸元にパタパタと空気を送りながら窓越しの夕陽を見つめるアディの横顔を眺めていると、ベルの胸中に漠然と寂寥感めいたものが漂い始めた。今期の訓練はまだ始まったばかりで、出身地の学校で新学年に進級する秋まではこの養成所で教育および戦闘訓練を受けるのだが、きっとこの夏も瞬く間に過ぎ去ってしまうことだろう、そんな予感があった。アディとの幼い頃から変わらぬライバル関係はいつまで膠着し続けることやら、しかしふとしたきっかけで歴然とした差がついたら、思わぬ事情でどちらかが従士の道を外れたら……。

(バカみたい、そんな余計なことなんて考えて)

 表情豊かとは言い難いベルの考え事はただでさえ傍目には分かりづらいのに、この数秒の沈黙になにかを感じ取ったのか、アディは気遣わしげな目で隣の友人を見上げた。このような「妙に鼻が利く」ところも、ベルからすれば油断ならないと感じる部分だ。

「どうかした?」

「なんでもない。報告済ませて部屋に帰ろう」

 まっすぐな視線から目を逸らし、問題のない旨を告げて先に歩みを再開すると、アディは素直に頷いてベルの隣に並んだ。

(今はそれなりに平和だし、アディも私も騎士団入りは確実って言われてるんだから……なにも心配なんてない)

 従士は単に公的に認められた戦士というだけの存在だが、特に国王直属の従士は騎士と呼ばれ、主に王宮警護や国防を担う武人の花形である。わざわざ大枚を叩いて首都の養成所に通う訓練生たちの多くが目指すのは、ただの従士ではなく青いサーコートに白いマントの輝かしい姿なのだ。ベルの将来の夢もまた、王宮で働く騎士だった。この中央養成所は、騎士団への近道とも言われている。無論訓練生全員が騎士になれるわけではないが、地方の養成所と比べれば格段に騎士団入りの確率は高くなるだろう。

 宿舎を出ようとした矢先、二人の前に亜麻色の短髪の少年が飛び込んできた。彼はベルの顔を見てグッと言葉に詰まると、琥珀色の目を泳がせた後にようやくアディを見下ろし、唐突に言葉を発した。

「あっ……よ、ようアディ、今日当番だったのか?」

 ぎこちない様子だが、少年は二人から見れば一つ年上である。その意図を悟ったのか、アディはニヤリと笑った。

「フランツ、知ってて来たでしょ?」

「おま、ばっ――あ、いや、なんなら手伝うけど……」

「もう済んだから」

 ベルがにべもなく答えると、フランツは目に見えて落胆していた。

「ああ、そっか……」

「ありがとう、また今度手伝ってね!」

「……おう。お疲れ」

「お疲れ様!」

 アディの笑顔は、今は晴れやかなものだった。無言のベルの視線が報告を急かすものだと察せられ、フランツと挨拶を交わしていたアディが止めていた足を踏み出した瞬間、すれ違いざまにフランツが顔を上げた。心なしか、その頬は赤らんでいるようだった。

「……ベルも、お疲れ」

「お疲れ様」

 ベルが養成所で一年先輩のフランツに敬語を使わないのは、彼がアディの同期生だから、という理由なのだろう。立ち尽くすフランツを置いて歩き去りながら、ベルは怪訝そうに隣のアディに声をかけていた。

「さっきのフランツはなんだったの?」

「ベルを手伝いたかったんだと思うな」

 答えるアディが楽しそうに見えたので、ベルはムッと不機嫌そうに顔をしかめた。少年が自分たちを――正確にはベルを、養成所中探し回ってから現れたのであろうことは、アディの胸の中に留められた。約束したわけではないのだが、これも長年の友人への気遣いのつもりなのだった。


 食堂に全員揃っての夕食の後は、消灯まで概ね自由に使える時間である。ベルとアディの居室は、通常四人で一室と定められている訓練生の部屋を二人で使用する格好になっている。女子の訓練生が二人だけであるためだが、かつては先輩訓練生と四人だったこともあった。その先輩らも、今では女性の騎士として王宮の守りに就いている。四つずつあったベッド、小さな机と椅子のセット、荷物を入れるチェストは半数が取り払われ、部屋がかなり広く感じられるようになっていた。元々簡素な部屋だったが、今では多少物寂しさが漂うほどだった。自分のベッドに腰掛けながら、アディは窓際の机に向かうベルの背中を見ていた。

 入浴の後で、ベルは背中の中程まで伸ばした長い髪を乾かした後、一つに縛ってから器用にまとめ上げている。生まれてこのかた肩よりも長く髪を伸ばしたことのないアディにとっては、何度見てもまるで手品のような出来事だった。訓練着のシャツとズボンを脱ぎ去ってワンピース型の寝巻に身を包むと、ベルは女性のアディから見ても申し分のない美少女だった。必要最低限の筋肉を備えながら、均整のとれたしなやかで女性らしい身体のラインが保たれていて、従士よりも踊り子に向いているのではないかと思うこともあるほどである。対するアディはチュニックシャツに半ズボン姿で、薄い身体に細い手足も手伝って、一見すれば華奢な少年の出で立ちである。これが従士候補生だと一見して分かる者はいないだろう。昼間にハイノから言われた通り、アディは本来男性に付けられるべき名前のせいもあって、女子というよりも年少の男性のように見られ、扱われることが多かった。本人がそれを全く気に病んでいないのは、幸いなことなのかもしれない。アディは両腕に抱えていた綿入りの枕に顔を埋めたまま、足だけで室内履きを脱いでパタリと横倒しにベッドに沈み込んだ。

「マルセル、他の同期の子たちとも仲良くできててよかったね」

「そう?」

 ベルの返答は気が入っていないようにも聞こえたが、きちんとアディの言葉を理解していることは、話しかけた本人がよく知っている。アディは眠たげに目をしょぼつかせながら言葉を続けた。

「人見知りかと思ってたな、昔のベルみたいに」

「私は今も昔も人見知りじゃないでしょ」

 案の定、噛み付かれた。アディは身体を丸めたまま微笑み、出身地の中等学校で出された夏休みの課題を終えて自分のベッドに向かうベルの動きを目で追った。腰を下ろし、まとめていた紐を解くと長い髪がサラリと背中を覆っていく、アディはその瞬間が好きだった。自分にはない「女性らしさ」とはこういうものだ、といつも感じている。羨むわけではなく、ただ眩しく思っていた。

「それより、今日家から来たって荷物だけど」

「え、なに?」

 思わぬベルからの問いに、アディの目がにわかに見開かれた。

「荷物だけじゃないでしょ」

「手紙も来てたけど……」

「リリー何某から?」

 アディがポカンと口を開いた。ベルはいつもの機嫌の悪そうな目で、数メートルの空間を隔てて隣り合った寝台に横たわるアディの様子をじっと観察していた。

「……うん、リリーも手紙送ってくれてた。まだ読んでないんだけど……」

「……そう」

 ベルが視線を外したので、アディは思わずホッと息をついてしまった。リリーとは、アディが普段通っている学校の級友のことである。中等学校に進学してからできた友人らしく、幼年学校卒業以降、顔を合わせる度にアディが「リリー」について楽しそうに語るのを聞かされ続けてきたので、ベルは会ったこともないリリー何某を随分煙たく思っていた。知らない人物について語られてもこちらは反応しようがない、というのがベルの言い分だった。アディが使っている机の上には、実家から届けられたという麻布で包まれた小さな木箱があり、包みは解かれていた。手紙の方はといえば、蝋で封印された白い封筒が荷物の陰に隠れるように机の端に置かれていて、覗いてみればかろうじて宛先と宛名だけが読める状態だった。またなにかが友人の癇に障ったようだ、とアディはつい意味もなく声をひそめた。

「ええと、なんで分かったの?」

「アディがいつもより余計にうるさかったし、ニヤけてたから」

「ニヤ……けてた?」

「ニヤけてた。私の目をごまかせると思ってる?」

 もしこの場にハイノ青年がいれば、「浮気現場を見られた旦那とそれを追い詰める奥さん」とでも例えただろう。実際のところ、ベルはアディの机に小包の他に封書があるのを見ていたのだ。何度か見かけた特徴的な少女らしい文字だったので送り主の察しはつきそうだったが、ベルにしてみれば、アディが友人からのたわいない私信を、さも大切そうにもったいぶって読まずに置いていることが妙に癪だった。枕を抱き締めたまま困ったような面持ちのアディの方へ、自分の枕を片手にぶら下げたベルが静かに歩み寄っていった。

「……ベル?」

 怖々と、アディがベルを見上げた。このような時のベルは普段に輪をかけて機嫌が悪く、そして当たりがきついのだ。ベルはアディを間近に見下ろす位置に来て立ち止まると、一度唇を弓形に曲げてからボソリと言い放った。

「あっち。詰めて」

「えぇ……?」

「こっちで寝る」

 こうなると、後は問答無用である。アディはベルの手で無理矢理壁際に押しやられ、頭のすぐ横に枕が叩きつけられる気配にビクリと身を縮めるはめになった。ベルはというと、脱いだ室内履きを几帳面にベッド脇に揃え、ついでに脱ぎ捨てられていたアディの分まで隣に揃えて、無言のうちに同居人の隣に寝転んでいた。

「あの、暑いんじゃ――」

「うるさい」

 壁とベルの背に挟まれて、アディはついに観念したのか、おとなしく薄いリネンの掛け布団を引っ張った。まもなく消灯時間が訪れ、所内に消灯のラッパが響き渡ったが、ベルはてこでも動かなかったので、結局アディがベッドのヘッドボードを乗り越えてランプの灯りを消しに行くことになった。液体を満たすタイプのランプは、蓋の取っ手を何度か捻って引き上げると二重底の内側が一緒に持ち上がり、触媒の小石がランプの水の外に出る仕組みになっている。ランプの灯りはすぐにほのかなものになり、数秒後には室内はカーテン越しのかすかな月明かりだけの暗闇に閉ざされた。アディが隣に戻ってくるのを背中に感じながら、ベルは沈黙を守り続けていた。これでもベルなりにアディに反省を促しているつもりなのだが、一体なにを反省させたいのやら、今のところベル本人も理解できていなかった。アディも追及を諦めているようで、二人の間にはそれきり会話は交わされなかった。明日の朝になればアディがいつも通りの「馴れ馴れしい態度」に戻ると、ベルには分かっているのだ。

 そうして養成所の夜は更けていき、やがてあまり広くはないベッドの上で、少女二人分の小さな寝息が聞こえ始めた。

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