表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双葉の従士  作者: 日辻
12/20

十一話 二つのアミュレット

 そういえば、二人して私服で出歩くことはあっても、ブルームガルトで会うのは初めてだったな、と起き抜けのベルはあくびをしながら考えていた。故郷に小憎らしいライバルがやってくることを思えば複雑な気分になったが、なぜか腹立たしさはなかった。憎い相手にでも愛する故郷を知ってもらいたいということなのだろうか、ベルにしてみても不思議な感覚だった。しかも、考えてみれば、ペステリア国の西の果てであるヘンペルからでは、首都ペステリアよりも東にあるブルームガルトへの旅路は、養成所に行く時よりもさらに長いものとなるのだ。わざわざここまで来なくても、と思わないでもなかったが、元はといえば向こうから言い出したことである。

 朝食に出された豆のスープを飲みながら眉間にシワを寄せていると、食卓を挟んで向かいに腰掛けた六つ上の兄、ヘルムートが青い瞳を細めて笑いつつ声をかけてきた。

「考え事しながら食事をするものじゃないよ」

「……え?」

「養成所の友達と買い物だろう? 楽しみにしてたじゃないか」

「楽しみになんかしてない!」

 ムッと睨み付けると、ヘルムートは各地域の従士団員が揃って着用する緑のサーコートの下で余裕の笑みを浮かべた。ベルと同じ栗色の髪を短く切った彼は、休日の今日も訓練に出かけていくのである。

「素直じゃないなあ……おっと、待ち合わせ場所まで送ろうか?」

「ううん、詰所とは反対方向だし。兄さん、早く出ないと遅刻よ」

「そうだったね。――じゃあ母さん、行ってくる。ベルも気を付けて」

 帯剣してマントを羽織り、ヘルムートは通りに向かって階段を降りていった。開かれた扉から春の陽気が飛び込み、瞬間的に室内に穏やかな空気が流れ込んだ。寒い季節はとうに終わり、爽やかな陽光が眩しい季節になったのだ。通りから運ばれてきた花の香りで、ベルの心も明るくなった。


 ベルが待ち合わせ場所に指定したのは、ブルームガルト市街に近い公園だった。花が咲き乱れる花壇の手前にはゲニー教の小さな石碑が建っていて、それを取り囲むように三十人弱の少女らが詰め掛けていて、ベルはちょうど最後に合流する形になった。

「ベル! おはよう!」

「ごきげんよう、ホフマンさん」

「おはよう、みんな。待たせてしまってごめんなさい――」

 それは、不思議な光景だった。昨日まで同じ教室にいた級友たちの輪の中に、埋もれるようにして一人だけ少年が立っていた。地味なマントを羽織った半ズボンの少年は、絡み付いてくる少女らの手で押し出されるようにベルの前に進み出ると、フニャリと締まりのない笑顔で彼女を迎えた。

「ベル、久しぶり!」

「……アディ」

 確認するまでもなかったが、アディはベルのクラスメイトの誰よりも身長が低かったので、従士というよりも小間使いかなにかのようだった。それが良家の子女たちの憧憬の眼差しを集めているばかりか、よく見ると早くも個別の手紙を受け取っていたらしく、嬉しそうに口許を綻ばせていたので、大層ベルの癪に障った。アディは元々女性に対して大甘な性格であるだけに、ちやほやともてはやされて「調子に乗って」いたに違いない。ベルはせっかく浮かべかけた笑みを瞬時に消し去り、アディを睨み付けた。

「……バカじゃないの?」

「え、ええ……?」

 非常に小さな声だったので、背後の彼女らには聞こえていないはずではあるのだが。苦笑するアディの後ろからヨハンナが飛び出してきて、機嫌よく事の成り行きを説明してくれた。要は、級友たちは「手紙の従士様」に会いたい一心で待ち合わせ場所に早く集合したのだが、アディの方はというと、前日の夕方にブルームガルトに着いて宿で一泊した後、「お嬢様方を待たせるわけにはいかない」とさらに早くこの場所を訪れていたということだった。中等学校が遠いため、日が昇る前に家を出るのが習慣になっているアディにとって、この程度の早出は問題にならなかったのだ。ベルのクラスメイトで初めに着いたアライダによると、「朝日に照らされながら石碑に祈りを捧げる男の子を見て、すぐに分かった」とのことである。

「あのねホフマンさん、私、アーデルフリート様に手の甲にキスしていただいたのよ!」

「私も!」

「私もよ、みんなそうよね!」

「……」

 少女たちがはしゃいでいるのとは対照的に、ベルはますます不機嫌そうになっていき、アディは内心で慌てながらベルの方へ向き直った。

「ええと……ベルにもしようか?」

 次の瞬間、ベルの肘打ちが飛んだ。マントの下から友人たちの誰にも見えない角度で放たれた鋭い一撃には、さすがのアディも他人事のように感心したほどだった。ベルは素知らぬ顔で級友たちに向かうと、なんとか穏やかな表情を作った。

「ちゃんと会えてよかったわ。改めて紹介させて」

 肘鉄砲を受けた肩口をさすっていたアディは、脇腹をつねられて目を白黒させながらベルの横へ引き寄せられた。ベルはアディには一瞥もくれず、クラスのほぼ全員に向けて語りかける。

「この子が中央養成所にいる二人目の女子訓練生、アーデルフリート・シュッツァーよ。手紙では分からなかったと思うけど、本当に小さくて男の子みたいでしょう」

「でも、ホフマンさんよりお姉様でいらっしゃるし、お強いのよね!」

「こんなに可愛らしいのにヘンペルの衛士なんて、とても素敵だわ!」

 ベルの機嫌を損ねるのでそれ以上褒めるのはやめてほしい、とも言えず、アディはニッコリと笑って見せた。


 少女たちは、各々焼き菓子の入った小さな袋を手に、幸せそうな笑顔を残して街中へ散っていった。アディは持っていた大きな布袋の中身を放出し尽くし、ホッと安堵しながら抜け殻と化した袋を小さく畳んで肩掛け鞄にしまい込んだ。アディと並んで級友たちを見送っていたベルは、これで隠す必要もなくなった、とばかりに顔をしかめたが、アディが自分の誕生日プレゼントを選ぶために遠出してきたことを思い出すと怒ってばかりもいられず、複雑そうに静寂の戻った公園を見回した。この場を埋め尽くしていた一クラス分の少女たちは、本当にアディに会うためだけに集合していたらしく、一人一人「手紙の従士様」からの「お返し」を受け取った後は、ヨハンナの「後は二人きりにしてあげましょう!」という、ベルに言わせれば「全く無用」の気遣いにより、あっさりと速やかに退散してしまったのだ。アディは恐縮した様子でベルの方を向き、眉尻を下げたまま笑った。

「……皆さん、私に会うために早起きしてくださったんだよね。すぐ解散させちゃって、ちょっと申し訳ないな」

「ええ、まあ……でも、みんな喜んでたわ。アディが期待外れだったらどうしようかと思ってたけど、よかった」

 正直な言い分に弱々しく肩を竦めたアディを促し、ベルは陽気に満ちたブルームガルトの街を歩き始めた。しっかりと区画化され、石畳や雨水の流れる溝が整備された街並みは、機能の面では首都ペステリアに引けを取らない洗練具合だった。眩しそうに目を細めながら歩くアディに、ベルは先ほど貰い受けた返礼の品について尋ねた。

「そういえば、さっきのクッキー……あんなにたくさん、どうしたの?」

「あ、あれね、リリーのお家で買ったんだ。お母様の焼き菓子を売ってるんだよ。リリーも手伝ってるらしいんだけど、すごく美味しいよ!」

 リリーと聞いて、ベルは眉間にシワを寄せた。それに気付いているのかいないのか、アディはベルが気になっているであろう事柄を先に話し始める。

「ヘンペルとかジーメンスは農村部だからね、春のこの時期になると農業休暇があるんだ。子供たちもお家を手伝いましょう、ってやつ。うちは農家じゃないし、畑は手放しちゃったからただの連休になるんだけどね」

 アディが続けて語ったことには、母の実家で小さな畑を耕している祖父母の手伝いをすることならあるという。今回は思い切ってブルームガルトへの小旅行に踏み切り、ベルらの休日に合わせて会いに来たのだとか。連休は一週間に満たないため、買い物を済ませてもう一泊したら、朝一番の長距離馬車を乗り継いでヘンペルへ帰らなくてはならないらしい。ベルはクラスメイトといいアディといい実に奇特なことだ、と呆れ半分に相槌を打った。

「それより、ブルームガルトってすごく綺麗なんだね! ベルとフランツって、こんな都会に住んでたんだなあ……」

 首都を見慣れているとは思えない、いかにも田舎者らしい感想に、ベルは通りを歩きながらアディの顔を横目で窺った。通りに平行に伸びる石の水道橋を見上げるアディの瞳は春の日差しにキラキラと輝いていて、ベルは思わず瞼を閉ざしかけた。

「あの寺院の屋根、ピカピカしてる! ん、ベル、どうかした?」

「……なんでもない」

「そう? あっ、ベルのお家はどっち?」

「住宅街よ、公園を挟んで反対側」

 それを聞いたアディがあからさまにがっかりした様子だったので、ベルですら多少いたたまれなくなったほどだった。しかし、生まれ育った街を褒められると胸の辺りがくすぐったく、誇らしさを感じられた。二人は穏やかに降り注ぐ陽光の下を、まっすぐに商店の立ち並ぶ通りへと歩んでいたが、まだ少し時間が早いためか、水道橋の影に入り込むと思いがけない冷気に包まれた。急に寒気がして足元を見下ろしたアディは、敷石の間から飛び出した小さな野草に口許を綻ばせた。

「ヘンペルと同じニオイスミレだ。よかった、ここもちゃんとペステリアなんだね」

 アディの野花好きは、彼女の数少ない「少女らしい」部分である。ベルは和らいだ微笑みを無意識にじっと見つめてしまい、慌てて目を逸らした。徒手格闘をしていないただの(・・・)アディに見惚れるなんて、そんなことがあっていいはずがないのだ。急に落ち着かなくなった自身が苛立たしく、努めて遠くへやった視線の先に、タイミングよく別の緑色が現れた。ベルはアディの肩をつつき、日向を行く二人組の男性を指した。

「アディ、ブルームガルト従士団の団員よ。私の兄もそこの団員なの」

「ああ、緑のサーコートだね! ブルームガルトの紋章はかっこいいなあ」

 アディの視力に驚いたことはともかくとして、ベルは無邪気なアディに内心でホッとため息をついた。


 各種ツンフト(ギルド)の多いブルームガルトでは、極めて質の高い工業製品や細工品等が作られており、またそれらを手に入れやすい環境にあった。ベルへの贈り物を選ぶために訪れたことには違いないが、アディはつい自身の興味に従ってしまい、武具を製造するツンフトの工房が並ぶ通りを覗いていた。ベルはそんな彼女に呆れるわけでもなく、一緒になって工房直営の店で売られている剣や槍を眺めていた。二人とも従士候補生であることが幸いした格好になったが、アディは約十分後には反省した風情で足を速め、宝飾品の細工ツンフト通りへと向かっていった。ベルはばつが悪そうなアディを見下ろし、それから背後に遠ざかった武具店を振り返った。

「別にもう少し見ていてもよかったんだけど。私も武具には興味あるし……」

「ううん、女性への誕生日プレゼントを武器屋さんで買うのはどうかと思って。ベルは私に花飾りをくれたわけだし、私も身に付けられるものをあげたいよ」

 これも「紳士」教育の成果なのか、アディはいかにも女性が好みそうな宝飾店に踏み入れた。大抵の少女なら目を輝かせて店内を物色するものだが、きらびやかなイヤリングや指輪に囲まれたアディの表情には明らかな懊悩の色が見て取れ、なんの興味も惹かれないものをあえて眺めているように、ベルの目には映った。本当に少しも心惹かれないのだとすれば長居するのも苦痛だろう、とベルは早々に退店した。慌てて後を追ってきたアディは、不安げにベルを覗き込んだ。

「ごめんベル、こういうの嫌いだった?」

「ううん、好きよ。でも――」

 アディが退屈かと思って、と言おうとしたが、憎い相手を気遣っていたことに気付いてからは非常に不愉快だった。しかし、養成所での訓練期間中に買い物に出た際は、アディはどんな店にいてもニコニコしていた記憶がある。ベルが怪訝に思っていると、本人が先に理由を述べた。

「……その、いつもは楽しそうにお店を見てるベルを見てたから楽しかったんだけど……今日は私も選ぶ番でしょ? なんだかすごく悩んじゃって。完全にお任せしちゃうのでもいいけど、ベルは親友だし、私だってちょっとくらい――」

 色々と言いたいことが込み上げ、ベルはアディが着ているマントのフードを両手で掴んだ。しかし、肝心の言葉が出てこない。目を見開いているアディを解放し、やっとのことで本日二度目の「バカじゃないの?」を投げつけた。

「……ベル、顔赤いよ?」

「うるさい。なに、私を見てたって。退屈なら退屈って言ったら?」

「全然退屈じゃ――あいたっ⁉︎」

 目にも留まらぬ速さで膝を蹴飛ばされ、アディが崩れるようにしゃがみ込んだ。ベルは自分のフードで頰を隠しながらそっぽを向き、小声で言葉を続けた。

「せっかく遠くまで来たんだから、アディにも……楽しんでほしい。選びづらいなら、アディが欲しいものでいいんだし」

「ありがとう! でも、それでいいの?」

 急所を突かれた割にはケロリとしているのが腹立たしかったが、アディの顔に希望の光が差していたので、ベルの言葉がきちんと伝わったことが分かった。ベルはアディのマントを掴んで強引に立たせ、締まらない笑顔を不機嫌そうに睨んだ。

「いいの。それに、身に付けられるものって、こういうアクセサリーだけじゃないし。アディ、ゲニー教徒でしょ」

「……え、うん」

 アディが頷いたのを見て、ベルは黙って踵を返した。別の通りに、目的の店がある。


 寺院の敷地内であるばかりか、店員が僧衣を着ているので、この店がゲニー教に関連のあるものを売っていることはすぐに分かった。アディは不思議そうに店内を眺めていたが、ベルに手招きされて壁際の一角に歩み寄り、そこで色とりどりの首飾りと対面した。

「アミュレットだ! すごい、こんなに綺麗なのがあるんだね!」

 二人の前にぶら下げられているのは、ゲニー教の、いわばお守りである。アディがこれまで見てきたものは、金属を円形、または楕円のコイン状にして様々な文様を刻んだものだったが、ここでは薄く円形に切った様々な鉱石の表面に文様が刻まれており、文様部分は金や銀で色が付けられていた。いずれも硬貨一枚で隠れてしまうほどごく小さく、アクセサリーにしてはかなり地味な印象だった。

「石のアミュレット、最近ブルームガルトのツンフトが作り始めたの。まだペステリアとここでしか買えないと思う。興味ある?」

「そうなんだ、こういうのは好き! 私も買おうかな」

 これで決まったようなものである。アミュレットを手に取りながら楽しげに笑うアディを見て、ベルも一つを掌に乗せた。文様にはそれぞれ意味があり、かけたい願い事によって使い分けることもあるという。店内にいた中年の僧が二人に近寄ってきて、あれこれと説明してくれた。

「丸文様は円満と絆の象徴です。縁結びや家内の安全を祈念される方にはこれがおすすめですね」

「特別な丸なんですね」

「炎文様は手先を器用にし、職人仕事を助けてくれます。それから、家が火事にならない効果もありますよ」

「職人さんにうってつけですね」

「あなた方はまだお若いですし、新芽の文様はいかがですか? 成長の象徴ですからね。精霊が健康と生命力をお与えくださいますよ。それに、不屈の心も身に付くでしょう」

 僧の勧めもあり、将来のことを考えてもこれがよさそうだ、と二人は頷き合った。後はどの石を選ぶか、という問題だけである。悩んでいたベルの顔の前に、急にアディが青い石の一つをぶら下げた。ベルがアディの方を見ると、アディは嬉しそうに何事か確認して頷いた。

「ほら、この石、ベルの瞳と同じ色だよ! 綺麗な青!」

「……瞳と同じ?」

 それを聞いて、ベルもそれほど迷わず二つのアミュレットをアディの顔の左右に垂らした。光の加減や見る人によって青とも緑とも言われる色だが、ベルが選んだ石の片方がよりアディの瞳に近いように見えた。そうして、二人の手には芽吹いたばかりの双葉を描いた、互いの瞳の色の石が残った。

「これでいい? じゃあ、両方買ってくるね!」

「……ええ、そうだったわね」

 当然このような品物には材料費と加工費だけでは済まない価格設定がなされているのだが、アディはためらわずに僧へと代金を支払った。揃って寺院を出たところで足を止めると、アディははにかみつつジャケットのポケットから青い石のアミュレットを取り出し、革紐の部分を掌に垂らしてベルに差し出した。

「はい、これ。少し早いけど、お誕生日おめでとう!」

「ありがとう、アディ」

 図らずしてお揃いのものを贈られることになったが、ベルの胸中は不思議なほど落ち着いていた。揃いのアミュレットを持つことで、アディとの繋がりがより強固になったように感じたのだ。アディは呑気に笑いながら青緑の石を首に掛けていたが、ベルの中では早くも宿命の好敵手の証になっていた。シニヨンに引っかかってしまうため、一度紐の結び目を解いて首から提げると、マントの上からディアンドルのブラウスの胸元まで引き込んだ。アディは男装なので、アミュレットをシャツの下に入れれば完全に見えなくなっていることだろう。

 必要な買い物は終わったが、帰るにはまだ早い。二人は寺院に参詣した後、日暮れが近付くまでブルームガルトの街中を歩き回った。


 アディの宿はブルームガルトの西端、つまり隣の都市との境に近い場所にあった。宿の前までたどり着くと、アディは名残惜しそうに橙色に染まり始めた西の空を見上げ、ベルの方へ穏やかな表情を向けた。

「ずっと案内してもらっちゃったね、今日は本当にありがとう! いいプレゼントが見付かってよかった」

「うん、その――こちらこそ」

 ベルはマントの上から胸元の石を指先で押さえた。すっかり体温に馴染んだそれは、体の一部のように肌の上に収まっている。ベルと同じように胸元に手をやって、アディが嬉しそうに笑った。

「えへへ、これ(・・)で離れててもずっと一緒だもんね」

「……」

 ここが養成所の寝室なら、枕を投げつけていたところである。ベルは恥ずかしそうに俯いたが、決して嫌な気分ではなかった。ベルがおそらくそうなるように、アディの方もこれからはアミュレットを通じてベルを思い出すはずである。それがどれほど先まで続くかは分からないが、しばらくの間だけでも憎い相手に自分を意識させておけるなら十分だった。自分ばかり気にしていたのでは不公平だ、と思わないでもなかったのだ。ベルは、視線を少しだけ上げた。

「……大切にする」

「うん、私も!」

 あっさりとした挨拶の後、アディは宿屋に入っていった。夏が来れば、また養成所で再会するはずである。女子の志願者がいればルームメイトが増えるかもしれないが、数少ない女子の従士候補生は実家から近い地方の養成所に入ることが多かったので、次期も二人だけで寝起きすることになるだろう。考え事をしながら歩くうち、いつの間にか自宅のある住宅街に戻ってきていた。夕飯にはなんとか間に合いそうである。


 ジーメンス郡の生徒たちは農作業を手伝っていることだろうが、ベルらの中等学校では次の日から授業が再開された。ベルは予想通り始業前からクラスメイトに囲まれ、昨日の「デート」の様子やプレゼントのことなどで質問攻めにされることとなった。同じような問いが相次ぐことも分かっていたことなので、この度も放課後に秘密の会が催されることが速やかに決定された。聞き分けの良い女子生徒たちは、始業五分前の鐘が鳴るとすぐに席に着いて、教科書やペンの用意を始めたのだった。

 クラス中が待ち望んだ放課後、ベルはいつものように教卓の前に据えられた椅子に腰掛けた。クラス全員に向かう景色も慣れたもので、今では進行役のヨハンナもほとんどベルに進行を任せているほどである。今日は手紙があるわけではないので、初回の会合のように早速質問を受け付けることになった。今回は特別で、ヨハンナが大体の質問をカードにまとめていたので、実にスムーズにことが運んだ。後はベルがそれに答えるだけ、という寸法である。

「……じゃあ、最初の質問ね。『プレゼントはなんですか』――ええ、そうよね。今着けているから、実物を見せるわ」

 ベルがにわかに制服のタイを緩め、シャツの第一ボタンを開け始めたので、教室中がざわめいたことは言うまでもない。「もしかして下着⁉︎」などという声が飛んだほどだったが、疑問はすぐに氷解したことだろう。ジャケットの胸元に現れた小さな石に、少女たちの視線が集まった。

「――ネックレスかしら?」

「アミュレットよ。石で作られたものが最近売られ始めたから」

 ベルは教室を見回したが、どことなく一部の級友の様子がおかしいように感じた。どこか顔が赤らんでいるような、興奮しているような。やがて、頰を紅潮させながら一人の女子生徒がおずおずと口を開いた。

「アミュレット……ええ、それ自体に意味があるのよね。でも、首に掛ける輪を贈るって――その、『あなたを独り占めしたい』って意味合いではなかったかしら――」

「――」

 咄嗟に止めることが叶わず、教室中が黄色い悲鳴に包まれた。助けを求めようとしてヨハンナの方に目をやると、ヨハンナまで頰に両手を当てながら熱っぽい目でベルの方を見ていた。

「アーデルフリート様、大胆でいらしたのね!」

「で、でも、ホフマンさんだって、それをお受けしたんだから!」

「待っ――待って、あの子は多分そんなことは知らないと思うわ!」

 ベルが声を張り上げたことで、教室はなんとか静けさを取り戻した。しかし、未だに奇妙な熱気が渦巻いている気配があったので、ベルは努めて冷静に言葉を並べた。誤解を解かない限りは、次の質問には進めない。

「残念だけど、そんなロマンチックな意味合いはないのよ。それに、これがいいって言ったのは私なの。アディも同じアミュレットを買ったから、お揃いではあるのだけど――」

「互いを縛り合うってこと⁉︎ それとも……なにかを誓い合ったのかしら!」

 どうやら、火に油を注いでしまったらしい。考えてもみれば、揃いの指輪を着けることは特別な関係を意味するものである。それに近しいものを感じたのだろうか、教室では盛んに「ロマンチックでメルヘンチック」な単語が飛び交っている。どうにかこの場を収拾しようと、ベルは片手を挙げて一旦注目を集めた。

「そう……そうね、強いて言うなら、ずっと良き好敵手同士でいることを誓い合ったのよ。このアミュレットには成長の願いが込められているから、互いにずっと強くいられるように」

 水を打ったように静まり返っていた室内に、暖かな空気が流れた。ひとまずは、これでいいだろう。ベルは何事もなかったかのようにアミュレットをしまって制服の首元を元通りにし、次のカードを手にした。

「次は、『デートではどこへ行きましたか』――デートではないのだけど。そうね、アディは初めてブルームガルトに来たから、大体の名所は回ったわ。一番気に入ったのは従士団の訓練施設とツンフト通りだったみたいだけど」

「うふふ、従士様らしいわね」

「すごく綺麗な街だ、って喜んでいたわ。次は――『頂いたお菓子はヘンペルで売っているものですか』ね。これは――」

 実のところ、ベルはアディから受け取った焼き菓子をまだ口にしていなかった。クッキーが嫌いなわけではないのだが、なぜか気が進まなかったのだ。ベルは一呼吸置いてから回答に移った。

「ヘンペルではなくて、隣町のジーメンスで売っているものなの。アディの中学のお友達に、実家がお菓子屋さんの人がいるそうよ」

「あんなシンプルなクッキーは初めてだったけど、とても美味しかったわ」

 にこやかに頷きを交わす級友らを前に、ベルは複雑な気分だった。アディに伝えればきっと喜ぶだろう、ただ、自分が伝えなくても彼女らが手紙に書くようせがむはずだと思った。静かに次の質問を読み上げようとするベルに、ヨハンナだけが気遣わしげな視線を送っていた。


 農業休暇の間にヘンペルを離れることは初めてで、一人だけ馬車に乗って遠出していくことは気が引けないでもなかったのだが、土産物を買い込むとそんな気分も幾分かは晴れた。ベルと別れて馬車に揺られ、高地の我が家に戻ってきたアディは、帰宅翌日の朝からブルームガルトで買い求めたリンゴのケーキを持って母方の祖父母や近所の家々を回り、農作業の労を労った。幼い頃から家族ぐるみの付き合いがある家ばかりなので歓迎されたが、中でもケヴィンの祖母は舞踏会でのことなどを覚えていたらしく、特に喜んだ様子で紅茶を淹れてもてなしてくれた。オスカーやツィスカの母親からも同じように紅茶による歓待を受けたばかりだったが、アディは礼儀として一杯目だけは笑顔で飲み干した。

 ケーキを取りに一度自宅へ戻ったアディが最後に向かったのは、隣町ジーメンスのリリーの家だった。タールベルク菓子店は農業休暇の間はほぼ開店休業状態で、リリーの家族も畑仕事に精を出している様子だったが、アディが訪れた時はちょうど休憩中だったらしく、リリーの母親が慌てて応対に出てくるところだった。

「ごめんね、今日は作っておいたお菓子が全部売れちゃって――あら? あなた、確かリリーの……」

「はい、ヘンペルのシュッツァーです。先日はクッキーをたくさんありがとうございました。クッキーのお礼も兼ねて、ブルームガルト旅行のお土産をお持ちしました」

 リリーの母親は、にっこりと笑うアディの前で胸に両手を当てて驚きを表した。リリーは母親に似たのだな、と一目で納得できるような若々しい女性である。彼女はケーキの箱を受け取ると、匂いで中身を察したらしく唇をたわめた。

「あら、まあ! わざわざありがとう。リリーを呼んでくるわね」

「いえ、畑に出ているのでしょうし――」

「大丈夫、ちょうどそこにいるのよ。待っててね!」

 母親に呼ばれ、入れ替わるように店の奥からディアンドル姿のリリーが店先に駆け出してきた。アディが小さく手を振ると、リリーは勢いよくアディに抱き付こうとして、すんでのところで踏み止まった。つんのめったリリーの肩を手で支えると、リリーは楽しげに「ありがとう」と笑った。

「いっけない、エプロンが汚れてるのに! アディを汚くしちゃうところだった。おかえり、あっちはどうだった?」

「ただいま、リリー。首都と同じくらい綺麗だったよ、おかげさまで楽しかった! クッキーも喜んでもらえたし」

 リリーの笑顔は相変わらず眩しかったが、普段学校にいる時とは違う簡単にまとめた髪型は、アディの目に新鮮に映った。

「よかった! 私も手伝ったもん、絶対美味しいと思うよ、なんてね。あ、でも……あっちのお嬢様たちにあげたんだっけ? 舌が肥えてるんだろうな……」

 笑顔から一転、弱気の色が浮かんだリリーに、アディは真剣な眼差しを向けた。田舎娘らしい都会への憧れは微笑ましいが、コンプレックスを抱えてほしくはないのだ。

「リリーとお母様のお菓子は美味しいよ、首都のお菓子も食べたことある私が保証する! きっと味も気に入ってもらえてるよ」

 リリーは束の間目を丸くしていたが、その言葉に破顔した。アディの肩を指先でつつくその表情には、悪戯っぽさがにじんでいた。

「もう、やっぱりアディ大好き! この女ったらし!」

「えへへ――えっ⁉︎ た、たらし……? そんな風に見えるの?」

「ジーメンス中じゃ女子にモテモテだし、ブルームガルトでもお嬢様たちに囲まれてたんでしょ? 隅に置けないなあ!」

 額をつつかれながら、アディは返答に窮してオロオロするばかりだった。やがて気が済んだのか、リリーはつつくのを止めて体の後ろで手を組んだ。

「お友達の誕生日プレゼントは? いいもの買えた?」

「うん。二人でお揃いのアミュレットを買ったんだ」

 リリーは「そっか」と楽しそうに頷いた後、背伸びをして大きく息を吐いた。エプロンに土や草の葉の欠片が付いたままなのだから、それなりに働いた後なのだろう。農作業の疲れが全くないはずはない。アディが気後れしたように目を伏せると、リリーは「気にしないで」とでも言いたげに気丈な笑顔を見せた。

「お揃いかあ、ふふ、仲良しなんだね。また今度学校で見せて。そうそう、お土産ありがとうね!」

「……あ、うん。お菓子屋さんにケーキを持ってくるなんて、ちょっと勇気いるね」

「全然! ブルームガルトの味を研究させてもらうね。じゃあ、そろそろ次の作業に行かなきゃ。来てくれてありがとう、ヘンペルのみんなによろしく!」

「うん。頑張ってね!」

 元気に店内に戻っていくリリーを見送りながら、アディは内心でオスカーの話題が出なかったことに安堵していた。リリーがその辺りの男子に興味を持つとは思えないし、舞踏会というイベントが終わってしまった以上、オスカーとの接点は失われたはずである。

(あのまま二人が仲良くなったりしたら――したら、嫌? オスカーの邪魔はしたくないけど……ううん、オスカーじゃなくて……リリーには男子と仲良くしてほしくない)

 娘を守ろうとする過保護な親のようで、自分自身に呆れてしまった。親友を独り占めしたがる女子生徒は何人か見てきたが、中等学校に入るまでは、まさか自分がこうなってしまうとは思いもよらなかった。ヘンペルへと戻る道すがら、知らず歩みは遅くなっていた。

(男みたいなんて言われるけど、変なところだけ女っぽいというか……女々しいんだな、私。誰とでも仲良くなれるのがリリーのいいところなのに)

 雪は完全に解け、今やこの高地も新緑に包まれ、自然が上げる喜びの声が聞こえてきそうな景色が広がっていた。しかし、アディの胸中はどこかどろついていて、まるで中途半端に解けかけた雪と泥が混ざり合ったような心模様である。家に着いたら一人で徒手の稽古をしよう、とアディは重い足を無理やり駆けさせた。迷いや心配事は、体を動かしている間はさっぱりと消え去ってくれる。このどうしようもない心の内も、無心に稽古していればどこかへ行ってしまうだろう。言えない気持ちを抱えたまま、半ズボンの少女は蝶の番を追い越した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ