勇者サマの訪問と大きな忘れ物についてのお話
「ようやく会えたな、絶対悪の魔王! この俺がお前の首を掻き切ってやるぜ!」
目を血走らせた勇者――ええと、なんて言ったっけ。ソ、なんちゃらさんだった気がするんだけれど。ソアン、ソヌファ……あれ、ソシアンさんだったか――がそう叫び、遠くにいる私に向かって剣を振り回しながら突っ走ってきた。あっぶな。アナタ、手元狂って自分の頭が真っ二つになっても知らないわよ。
「覚悟しろおおおおおおっ」
覚悟しろ、と言われても。満身創痍の勇者ソなんちゃらさんと無傷の私じゃ、どう見たって利があるのはこっちだ。向こうはもう魔法を使うことすらできないみたいだし、あんまり無理しないでほしいんだけれど。
『どうする、ジュノー。反撃に出るかい?』
そう足元で話すのは、タートル・トール・タルタルだ。名前の通り亀を模した使い魔。私が魔王になってしばらくして、寂しさのあまりどうしても話し相手が欲しくなって作った。そんな身勝手な理由で作られるなんて可哀想だとは思うけれど、こんな私の我儘に文句ひとつ言わないでくれるナイスガイ。ちなみに、彼はこの世で最も害のない使い魔として生成されたから、魔法はからきし使えない。こんな業を背負うのは私一人で充分だもの。
「そうね。でも反撃したら戦いは長引くでしょうし、そうしたらソなんちゃらさんの命が危険よねえ。彼、引かないでしょ」
『プライド高そうだもんなあ』
「ココは一発適当に怪我して、彼に少しの優越感を味わわせてご帰還いただくわ」
そうかい、と人間さながらに溜め息を吐くタートル・トール・タルタルに私は少し微笑み、勇気と正義を振りかざす勇者ソなんちゃらさんを迎え撃った。
「いったあ。あの剣、随分と切れ味が悪かったのねえ。いっそスパッとやってくれた方が肌も傷つかないんだけれど」
『モタモタしてないで、早く治癒魔法を使ってくれよ』
「わかってるわよ」
勇者ソなんちゃらさんと戦うふりをして、適当に腕を切らせてご帰還いただいた後。治療を終えた私とタートル・トール・タルタルは、魔王城の周辺をプラプラしながら、彼らの忘れ物がないか見て回っていた。ちなみに、遠くからはあんなに威勢よく叫んでいたソなんちゃらさんは、私と邂逅した途端、一瞬どころか1分丸々震えたまま突っ立ってて、私が魔法なんて使ったら気絶しちゃうんじゃないかって思うほどビビっていた。で、本当は互いに怪我をしないレベルで戦ってから適当にやられたふりをしようと思ってたんだけれど、急遽予定変更。さっくり終わらせることにした。この様子から鑑みるに、彼は大した実力も経験も度胸もないのに、周囲から祀りたてられて調子に乗っちゃった勇者サマだったんだろう。よくよく考えてみれば、魔王城に至る道に大怪我をするほどのトラップは仕掛けていないのに、彼は疲弊した状態でやってきたのだ。よっぽど不慣れな旅だったらしい、可哀想に。
『あんなオンボロ剣、聖剣にゃ程遠いわな。お前さんを切ったって大喜びして帰っていったが、周りが信じてくれるかどうか』
確かに。あれじゃ動かない的か、あるいは私のようにわざと切られに来た相手しか傷つけることができないだろう。
「パチモン掴まされちゃったのかしらねえ」
彼は私をちょっと切った後「うあー」と大げさに痛がる私を尻目に、早々に撤退していった。そして姿が見えるか見えないかぐらいに遠のいたところで、
「世界を震撼させる絶対悪、魔王に勝ったぞ!」
そう叫んで仲間と合流していた。お調子者の彼に幸あらんことを。
彼が口にした、世界を震撼させる絶対悪。私のことを説明するときは、みんながこの言葉を冠にする。本の帯みたいで、個人的には割と気に入っている。私の目指す「絶対悪」ってのが用いられていることもポイントが高い。他には墜落した元勇者だとか、生きとし生けるものすべての敵とかもあるけれど、正直ダサいと思ってしまう。正しいのは確かだとしても。
物思いに耽りながら歩いていると、タートル・トール・タルタルが不思議そうな顔で私に問いかけた。
『なあ、ジュノー。なんでお前さんはわざわざあんな勇者もどきの相手もしてやるんだ?』
「勇者もどきって……」
彼の端的な表現に思わず吹き出し、気を抜く。すると、それを合図に解除魔法が発動されてしまった。
『あ……』
「あらら」
私は勇者がこちらに来ることを知ると、まず始めに魔王城の外装を幻視で覆っている。花の咲かないひび割れた地面、赤土色の背の高い門、暗くジメジメとした魔王城。誰しもが悪の巣窟だと思えるように見た目を整えてから、彼らを迎えるようにしている。村人がお友達のために部屋を片付けたりするのと同じようなものだ。ただ、私は魔王だから。おいしい紅茶とジンジャークッキーの代わりに、恐怖と憎悪を与えるしかない。出迎えの笑顔の代わりに、苦痛で歪む顔しか見せられない。それが最大限のおもてなし。
でも、普通に考えてみてほしい。あんないかにもカビが生えてそうな暗い城に、魔王と言えどもレディーの私が住んでいると? そんな不潔なの、嫌に決まってるじゃない。だから。
『綿密に飾り付けても、壊れる時はあっという間だな』
幻視が解けて、城は本来の姿へと戻っていく。地面は緑と花にあふれ、そびえ立つ門と城は溶けて、森と小さな赤い屋根の家が現れた。木々が風に揺られてさらさらと心地よい音を奏でている。この童話に出てきそうな穏やかな景色が本来の魔王城だと知ったら、勇者サマたちはどんな顔をするのかしら。ちょっと見てみたい気もするけれど、多分絶対に行わないであろう実験だ。
風景が完全に戻ってから、私は魔法で籠を取り出し、中に入っていた数匹の蝶を大空へ解放してあげた。勿論これも私が作った蝶だ。私の利己的な思いの元造られた、仮初の生物。
「みんな、もう出てきても大丈夫よ」
『ああ、やっと新鮮な空気が吸えるわあ』
羽ばたきながらそう言ったのは、B.アレクサンドリア。私の周りをくるくると回って、広い世界を楽しんでいる。
「狭いところに入れてごめんね」
可哀想ではあるけれど、勇者が放つ魔法は割合大規模なものが多い。それに空を飛ぶ彼女たちが巻き込まれたらと思うと、どうしても避難させないわけにはいかなかった。
『いいわよ。ここ最近オキャクサマが来なかったから、ちょっと時間の感覚がおかしくなってただけ。ジュノーこそお疲れ様ね』
「ありがと」
お互いに役割を果たしたことをひとしきり称えあって、さて一仕事終えたしお茶でも飲みますか、と家の中に入ろうとすると、私の肩に乗っていたタートル・トール・タルタルがんん、と声を洩らした。
「どうしたの?」
『おかしい……家の脇に、何かいる』
「えっ」
『多分、生き物だ。ジュノー、確認した方がいい』
嘘でしょう。
恐る恐る「何か」に近づきながら、私はそこにいるものの可能性について考えた。私が生成した使い魔は、タートル・トール・タルタルとB.アレクサンドリアたちだけ。となると、森に住む生物がこちらまで出てきてしまったのかしら。いや、つい先ほどまで幻視空間で辺り一帯を覆っていたのだから、それもあり得ない。幻視空間には、私は認識した生物しか入ることができないようになっているのだから。ということは、まさか。
まさか。
「う……」
「何か」は私の足音に反応して小さな唸り声をあげる。姿を確認するとそれはその、まさかで。
「きっ……きゃあああああああああああああああああああっ!!!」
どう考えても勇者の格好をした、男の人。ってことはつまり……あの勇者サマ、仲間の一人を置いていきやがったのね!
かなりのんびり更新になります。気長におつきあいくださると幸いです。