睡眠欲は勝利を掴む。
視点が途中から変わります。
とりあえず手当をと向かう先は、教会らしい。
まあ、自称聖職者の様な職業の人達がここに居るのだから、
当たり前なのだろうと納得することにした。
なにしろ今のみのりの状態は、黒髪マッチョに手を引かれ、
後ろに金髪男と行った感じの道行で、いや連行されているのだ。
黒髪マッチョは無言で背を向けているし、
金髪男からはなんだかチクチク、いや、
ちりちりとした視線を感じて寒気すら感じてきた。
この視線には覚えがある。授業で教壇に立つ先生が、
誰に当てようかと生徒を値踏みしている視線と似ている気がする。
ちなみに当てられないコツは、適度に気配を消す努力をすることだ。
むやみやたらに顔を背けたり、背水の陣とばかりに目を合わすのはむしろ自爆行為だ。
修行僧になった気分で、寿限無かお経あたりの言葉を脳裏に唱えつつ、
教室内でひっそりと息を潜ませるのだ。
みのりにとって、教師と生徒の攻防の大半はその方法で解消できる。
他にもあてる対象は沢山いるのだから、
先生も困らないしみのりももちろん困らない。
だが、今の状態は、逃げたくとも逃げられない。
こういうのを、前門の狼後門の虎といったかどうだったか。
馬車で送って貰えることに浮かれて、あの時断ればよかったのではと、
じりじりとみのりの脳裏に冷たい焦りが浮かんでは消えた。
だが、手を振り払って逃げるには、ハードルが高すぎる。
彼等が言うに、隣村は山越えだ。
土地不案内の上に、体力的に見てまず面倒だ。
とりあえず、この手を何とかしたい。
まずは試しに手の力を抜いて、黒髪マッチョの手から私の手を抜こうとしたら、
反対にもっとがっちりと組まれた。
指と指を絡めて来るので、指の血管が悲鳴を上げた。
囚人を決して逃がさないという意思表示か。
見下ろすと手の大きさが大人と子供程にも違うので、
黒髪マッチョの太い指の間に私の指が挟まれて浮いている感じだ。
微妙にうっ血し、指先が白くなってきた気がする。
黒髪マッチョの拘束が厳しくなったと同時に、
後ろに背後霊の様についてきている金髪男の視線が、
ちりちりからじりじりに変わった。
今なら、日焼けサロンと同じ効果がえられると言う謳い文句で客が連れるかもしれない。
そのくらい、厳しい視線だ。
これは、逃げるな、大人しくしろということだろう。
みのりは、心の中でため息をついて、頭を垂れた。
気分はドナドナ連行され中のみのりと他二人。
てくてくと障害物のない田舎道を下る。
教会は村の中心部にあるらしく、村の端の少し高台に位置する丘の上に、
ででんと位置する大きな村長の家からだと、すこし歩かなければならない距離だ。
腐っても村長と言うだけあって、みのりが掴まっていた小屋に隣接している村長の家は、
御屋敷と言ってもいいぐらいに横に長かった。
ダックスフンドとちわわと比べて、
ああなるほどと言うくらいに本当に横に長いのだ。
西洋風木造建築と煉瓦をうまく組み合わせた重要文化財の様な建物だ。
みのりは、これがあの豚の屋敷と知っていなければ、
少しはこの屋敷の主人に夢が見れたかもしれないと、
この小奇麗なダックス御屋敷に大変残念な感想を抱いた。
村長の家から続く一本道の周りは、
農地と背の低い低木がちらほら見える舗装されていない田舎道。
そして、今は早朝も早朝。朝日が顔を覗かしたばかりの時間である。
その意味の示す事柄は、つまり通行人が他に誰一人居ない。
そして、早朝の空気は意外に寒いのだ。
歩いていくうちに足元からじわじわと寒気を感じてぶるっと体を振るわせた。
早朝も早朝なので、夜露が乾ききっておらず、朝霜が降りている。
右手は黒髪マッチョに繋がれて引かれていくため、
自由になる左手で寒さに震える腕をさすった。
「寒いでしょう。 そんな薄着では朝のこの寒さは心許無い」
頼みもしないのに黒髪が手で簡単に羽織っていたマントを外し、
みのりの肩からすっぽりと外套のように着せかけた。
うむ、暖かい。
先程まで黒髪マッチョが来ていただけあって、体温が移っていて、
寒さに凍え震えていた全身がほっとした。
暖かなマントから、たばこの香がした。
父がたまの休日にホタル族となってベランダで吸っている、
おじさんタバコの代表ピOスと同じ香りだった。
おそらく黒髪マッチョは女性に優しい性質なのだろうと思った。
もしかしたら八方美人タイプで、あちらこちらでマントを貸出しているのでは。
そう思えるほど、鮮やかな手つきでマントをみのりに被せたのだ。
みのりはファザコンの気はないが、借りたマントは暖かい。
親父予備軍だろうが、八方美人だろうがマントに罪はない。
分厚い生地は朝の冷気を遮断する。
マントを体に巻き付けながら、お礼を言った。
「有難うございます」
肌触りがよく重くない。本当に良いマントだ。
このまま、このマント貰って帰れないだろうか。
黒髪マッチョは金持ちそうなので、頂戴と言えばくれるかもしれない。
ちょっとだけそう思った。
そうしたら、金髪男の視線が何故かもっと激しくなった。
そこでふっとみのりの脳裏に冷静みのりが数人の他のみのりを伴って現れた。
自堕落みのりと、楽観みのりだ。
冷:諸君!ここは他人の感情を推して知るべきだと思うが。
落:えー面倒だよ。やめよう。
楽:面白そうだよ。さあ、皆で考えよう!
冷:ここで取り上げるのは、何故金髪男が、
こうまでみのりを睨むのかと言うことだ。
落:気のせい、気のせいだって。
冷:一番考えられるのは、みのりが唯気にくわない。
楽:なんかしたっけ?
さっき豚村長が落とした短刀から落ちた宝石を拾ったのがばれたのかな。
落:えー拾った物は、拾った人の物だよね。
楽:金髪も実はそれを欲しかったとか?
冷:いや、落ちていた短刀に見向きもしなかったんだ。
それはないだろう。
落:短刀本体は小屋においてきたし、問題ないじゃん。
多分それ以外の理由だよ。
楽:あ、閃いた!
金髪男は、もしかしたら黒髪マッチョのマントを狙っているのかも。
冷:見た感じ、同じマントを身に着けているように見えますが。
楽:ほら、実はこのマント、特殊起毛が多い幻の一品だとか?
落:同じだろ。気のせいだ。
ただ単に、黒髪のマントを使うみのりが許せないとかじゃないか?
落:あ、そういう事なんだ。
冷:何がそういうことなのか?
楽:金髪と黒髪マッチョはラブラブで、黒髪マッチョのマントを
自分たち以外の他人がつけてほしくないという独占欲。
落:あ、特殊腐女子漫画要項か。なるほど。
冷:そうか、それならば怒っているのも納得できるな。
つまり、怒っている要因は私ではなく、黒髪マッチョのマント。
なんだ。そういう事なら、マント返したら問題なくなるな。解決だ。
落:えーでもマント返すと寒いよねー。
楽:……後で返そう。今は知らなかったふりで無視。うん、それがいい。
冷:それしかないだろうな。
落:面倒だからほっとこう。
三者が合意した。
みのりが脳内会議に明け暮れている間に、
田舎の道は少しずつちらほらと点在する人家を見せ始めた。
家自体は隣の村と変わらない木材を使った家。
だが、微妙に貧富の差が激しい気がする。
ぼろぼろの木が張り付いただけの様な家は、
素人が作ったのではないかと思われる雑な物。
更には、藁ぶきの家まである。
藁ぶきの家に至っては、小屋と呼んでも差し支えないくらいに小さく、
本当に風で飛びそうだ。
先程見た赤レンガのダックス屋敷とは雲泥の差だ。
藁の家に木の家、煉瓦の家とくれば、三匹の子豚セットは完璧だ。
態とそうしているならば、なかなか芸が細かい。
豚が村長のくせに、なかなか遊び心と言うものを理解しているようだ。
みのりが家に優劣をつけていたら。その視線に気が付いたのか、
後ろに居た金髪男が横に立ち、憂い顔でこちらをみた。
「貴方も気が付きましたか。
村長の立派な屋敷に比べ、みすぼらしい村民の家々。
この村は、あまりにも貧富の差が大きすぎる。
村としては大きな集落なのに、他の土地と違って発展が望めないのは、
富がきちんと下々まで分配されないからです」
いや、何も言ってませんし、気が付きもしませんが。
みのりが黙っていると、黒髪が金髪の後を続けた。
「新しい村長が任命されると変わってくるのでは?」
金髪は、首を振った。
「おそらく、村長の息子が後を継ぐ形になるでしょうから、
この支配の形は変わらないと思われます。
まあ、監察官を送る手続きをしますが、この病の騒ぎでは、
すべてが後手後手に回ってしまうのは仕方ないでしょうね」
息子。豚に息子がいたのか。
「それにしても、この病の収束は着くのでしょうか。
薬師と医師の話では、一向に収まる気配がないと」
黒髪と金髪は難しい話を私の頭一つ上で会話する。
背が高い人同士で、勝手にやってくれと言いたくなってきた。
「術師の治癒の光が効かない病なのです。
全く未知の病に試行錯誤を繰り返すのは仕方ないことです」
「しかし、医師の数も薬も満足にそろわないのです。
これでは試行錯誤すら出来ません。
このままでは悪戯に患者を死なせるだけです。
王都に要請を頼みましたが、流行病と聞いた医師は、
皆こちらに来ることを拒否しました」
「人間だれしも死ぬのは怖い。仕方ないことでしょうね」
「いっそ、領主直々の命令で医者や薬師を連行しては?」
「いや、それでは人々の反感を煽るだけだ。
それならば、……」
難しい話を連発する二人の話は、みのりの耳を右から左に抜けていく。
そう、耳にはいれど頭に残らずだ。
ついでに、今現在、みのりは意識が半分以上飛んでいた。
みのりの必殺技、『起きているふり』を実行していた。
誘拐されたあげくの救出劇。
緊張感が崩れかけたところで、暖かなマント。
そして、脳の拒否する難しい話。
そこまでくれば、仕方ないと思うはずだ。
みのりは歩きながら、寝ていた。
そう、みのりは大変眠かった。
睡眠時間が足りないのだ。
黒髪マッチョに手を引かれているが、
強烈な眠気に襲われたみのりは、大変ふらついていた。
目はかろうじて開いて前を見ていると思っているが、
それがはたして前かどうか判断がつきかねる。
そもそも、瞼と瞼が磁石の様に、かなりの吸着力を発揮していたのだ。
そんな感じで、みのりは酔っ払いの千鳥足にも似た様子で、
頭がカクンカクンと船をこぎながらも、手に導かれるまま歩いていた。
ぼんやりした頭で考えた。
不味い、このままだと地面で寝てしまう。
地面は冷たくて硬いので、嫌だなあ。
それくらいみのりの睡魔は強力だった。
そんなみのりの体が、行き成り宙に浮いた。
そは宇宙人の力かと一瞬目を開いたが、
みのりの顔面まで30cmの所に近づいていた顔をみて固まった。
手を引いてくれていた黒髪マッチョならいざ知らず、
金髪さんと顔と顔がお見合い状態だ。
そして、浮いた体に背中とひざ裏に感じる硬い筋肉。
つまり、お姫様抱っこと言うやつだ。
いや、相手は神官だそうだから、王子様でないなら、
お姫様という名称は当てはまらないかもしれない。
それなら、なんといえばいいのか。人身御供か、生贄か。
眠くて頭が回らない。
「あ、あの、これは」
金髪男は心配そうにみのりの顔を見つめて言った。
「オリ、貴方は今にも倒れそうです。
か弱い女性があんな酷い目に会ったのです。
貴方には、休息が必要です。
私に全てを任せて寄りかかってください。
少しは楽になる筈です」
何故私を抱っこすると金髪さんに聞きたかったが、
倒れそうだと言うところを眠りそうだと言う言葉に変換すると、
当たってると思って頷いた。
歩きながら半分寝ていたみのりには、確かに早急に休息が必要だった。
「有難うございます。レイ、様?」
お礼を言った後、名前の所で少し躊躇する。
なにしろレイの後が何だったか思い出せないからだ。
もちろん、黒髪マッチョ、確かヒューだったような違ったような。
眠気ピークの時に聞いた物は、覚えていられないと言うのが当たり前だろう。
みのりはとにかく寝起きが悪いのだ。
寝起きに自己紹介など、忘れてくれと言わんばかりの行為だろう。
みのりはそう自己判断した。
名前が違っているかもしれないので、怒ったのかと思ったが、
金髪は更に輝かしく微笑んだ。
「いいえ。このまま安息できる場所まで運びますので、
お気になさらずお休みなさい」
強烈な眠気と、暖かな体温に、みのりの意識はストーンと落ちた。
*********
意識が無くなったみのりの体が、少し重みを増す。
それを手のひらで感じて、更にしっかりと抱きかかえなおした。
ヒューバートがレイナードに腕を差し出した。
「レイナード様、彼女は私が運びましょう。
貴方は、もう三日寝ておられない。お疲れのはずです」
レイナードは苦笑した。
「私が三日寝ていないことを知っているヒューも同じことでしょう。
それに、彼女は軽い。
これしきの重み、行軍していた時に比べれば何のことはありません」
二人で目を合わせて、過去を振り返って苦笑した。
神聖帝国の治癒術師であり、若手神官の筆頭頭であるレイナード。
神聖帝国の聖騎士にして、近衛第一連隊隊長のヒューバート。
二人は、軍の遠征部隊に何度も編成され、苦楽を共にしてきた、
気のしれた友人である。
3年前、王が崩御され、長きにわたる戦が終わった。
そして、新しき王の元、軍部は縮小され編成しなおされ、
軍に召し上げられていた国民はそれぞれの故郷に帰った。
レイナードとヒューバートは新王アリストとは親しい間柄で、
俗にいう竹馬の友という間柄だ。
軍部学校で育った、幼少のころからの付き合いだ。
新王アリストの気のおける友人として、能力の高い信頼できる側近として、
王都に引き止められた。
レイナードは神殿を押え、ヒューバートは軍部を纏めて押え、
神聖帝国の立て直しに尽力した。
あれから3年、やっとすこしだけ身辺が落ち着いてきた矢先のことだった。
突然、レイナードの妹から一報が入った。
地所から原因不明の病が勃発して、手におえないとのことだった。
レイナードは、この地方一帯を治める領主の5男坊であったが、
長引く戦と病で、領主と4人の兄、2人の義姉は亡くなっていた。
今残る血筋はレイナードと嫁いだ妹のみ。
今は、レイナードの妹の夫で隣の領主の義弟が、領主代行を務めてくれているが、
いつまでも忙しい夫に甘えているわけにはいかないと妹に泣きつかれた。
それゆえ、今回の病鎮圧の為にと銘打って、とりあえず様子を見に来たのだ。
レイナードが王都から離れるのを苦々しく思って、王はヒューバートを付けた。
必ず連れ帰る様にと。
だが、この村の現状を見て、素直に帰ることなど出来る筈がなかった。
レイナードが幼き頃から遊んだ美しい丘は、荒れ果てて荒廃し、
村人は貧乏な生活に苦しむだけでなく、病まで襲いかかっていた。
レイナードは病人に治癒の光を送り込んだが、病は悪化するばかり。
薬師の煎じる薬は、一時は病の収束を見せたものの、
再度、更に手におえない症状を伴って勃発した。
医師は、血のめぐりを探る為に瀉血治療を施したりと、
いろいろ試行錯誤を繰り返しているが、大きな進展はなかった。
そんな折、誰かが聖女の奇跡について話していたのを聞いたのだ。
同じ病に苦しむ隣村が聖女の奇跡で救われたというのだ。
それは隣村から来た村長への手紙に書いてあったらしいという話だった。
その手紙の詳しいことを聞こうと村長の家を訪れたら、
村長は女を浚ってきたようだと家人が噂をしているのに遭遇した。
家人に聞くとこれが初めてではないらしい。
村長は、見目麗しい少女の様な初々しい娘を好んで、
時折愛人の様に屋敷に囲うことがあったらしい。
村長はどこにと聞くと、家人は答えた。
大抵は屋敷の端にある炭焼き小屋だと。
あそこなら石壁に囲まれて悲鳴がどこにも漏れないから、
村長にとって都合がいいのだろうと返ってきた。
レイナードとヒューバートは憤慨した。
病に苦しむ村民を前に、遊興に耽るとは何事かと。
小屋の扉を叩き声を掛けると、中から聞こえてきたのは、
助けを求めるか細き女性の声。
ヒューバートに頷いて、小屋の扉を蹴破った。
そこに居たのは、咲き始めの蕾の様な嫋やかな少女と、
刃物の刃を少女に向け、無体を施行しようとする醜い村長の姿だった。
少女は、縄に縛られながらも必死で村長の魔の手から抗おうとしていた。
小さな蝋燭に小さなランプが齎すわずかな明かりの下、
襲われる恐怖に怯える美しき少女。
それをみた途端、レイナードの中で何かが切れた。
ヒューバートも同じだったのかもしれない。
剣の唾がかちりとなって、戦場に居るかのように殺気が溢れた。
ここで殺すと彼女が怯える。
一瞬の判断で、レイナードは叫んだ。
「ヒュー、捕縛しろ!」
一瞬のうちにレイナードが村長のナイフを蹴り上げ、ヒューバートが剣から手を離し、
落ちていた縄で村長を身動きできぬように捕縛した。
そうして、村長を捕え彼女を救い出した。
縛られている縄を切ってお礼を口にする彼女を見て、
生まれて初めて、衝撃が走った。
朝日の登り始めた薄闇の中で、小屋から出てきた少女は美しかった。
濡れた様な黒髪。恐怖から解放されて安堵し涙ぐむ黒い瞳。
すらっと伸びた背中に細い首。
毀れそうに大きな瞳の下は、ほんのり色ついた頬。
伸びた鼻梁に続く熟れたさくらんぼの様な小さな赤い唇。
ほっそりした足首と手首の縄の後が赤い傷を痛々しく見せる。
握りしめた手は、柔らかく暖かい、労働を知らぬ手だ。
おそらく育ちの良い富裕層の令嬢に違いない。
さらりとした光さえ弾きそうな瑞々しい美しい肌に、桜貝の爪。
今すぐに吸い付きそうになるくらいに魅力的だった。
嫋やかで控えめで、あんなに恐ろしい目に会ったのに、
泣き叫ぶでもなく、必死で感情を押えることが出来る女性。
質問にも、しっかりとした言葉を話す理知的な返事。
聖騎士、聖神官と名乗っても態度が変わらない。
大袈裟に驚くことも、媚を売る様にしなだれかかることもない。
だた、礼儀正しく助けてくれた礼を述べただけだ。
どれをとっても魅力的だった。
名前を聞き、オリと答える唇から、自分の名を聞きたいと願った。
隣村の出身なら、隣村の村長の娘とかであろうか。
いや、隣村近くに風光明媚な景色で知られる地所があり、
そこには貴族の別宅も幾つかある。
そのうちのどれかに避暑に来ている令嬢かもしれない。
オリの身元について、いろいろ思考を巡らせた。
手当をとヒューバートが先走って手を引いたときは、
本気で殴り倒しそうになった。
だが、オリに対して恋情を抱いたのはヒューバートも同じだったようだ。
女性ばかりの姉妹に囲まれて育ったヒューバートは、
女性に対し偏見を持ちがちであった。
どんな女性に対しても一線を決して崩さないヒューバートが、
彼女の手を離したくないと手を絡めていたのに、
唸り声をあげて抗議しそうになった。
だが、彼女の戸惑う顔が可愛らしく、
怖がらせてはいけないと自らを自粛した。
ヒューバートは更に手が早かった。
寒さに震えるオリにマントを被せたのだ。
自らのマントを外しかけたレイナードは一歩も二歩も遅れた形になった。
女慣れしているとは露とも思っていなかったが、
女性ばかりの家庭からえる経験が元なのかと感心しながら、ヒューバートを睨みつけた。
お互いの視線が意味するものについて。
長年の仲だ。解らないはずがない。
譲らない。譲りたくない。
恋敵という間柄に初めてなった親友に、少しだけ笑った。
そして、その対象となるオリを見下ろすと、
彼女は道なりに点在する貧乏な家々と丘に建つ村長の家を見比べていた。
この村の貧富の差に気が付いたようだ。
問題を問いかける様な、困ったような、それでいて静かな瞳。
領主の権限を持つくせに、何故それを朴っておくのかと、
暗に問いかけられたような気がして恥ずかしくなった。
必死で言い訳とばかりに事情を説明し、
それを見た相棒が話を逸らしてくれた。
病の事を話て、そういえば隣村の聖女についての話を聞きに屋敷に言ったはずなのに、
村長を捕縛して彼女を連れ帰ることに頭がいっぱいで、
すっかり忘れていたことに気が付いた。
ヒューバートも同じだったようだ。
彼女の隣村の出身なら聖女の事について知らないかと尋ねようとしたら、
彼女は足元がおぼつかなく、ふらついていることに気が付いた。
あの村長に無理に浚われてきたのだ。村長に目を付けられ乱暴に扱われ、
ここまで連れてこられただけでも少女には辛い経験だったに違いない。
なのに、文句ひとつ言わずに、必死で我々に着いてきていたのか。
なんて、謙虚で控えめな奥ゆかしい人なんだ。
心がどうしようもなく震えた。
今度はヒューバートが手を伸ばすより前に、
彼女の体を抱えることに成功した。
申し訳なさそうにレイナードを見上げる彼女を、
心配していると告げ、安心させるように笑った。
彼女の口から控えめな礼の言葉とレイナードの名前の一部が発せられる。
その衝撃は天上の鐘が鳴るか如くに麗しく耳に届く。
「お気になさらずお休みなさい」
そう彼女に告げて、その小さな体をそっと抱きしめた。
彼女は突然のことに困惑していたが疲れと睡魔に負けて、
彼の胸にことんと頭を寄りかからした。
暖かな小さな吐息と確かな鼓動。
その存在全てに、胸が騒いだ。
レイナードは、私の胸の中で、ずっとこのままと。
心の中でそう告げていた。
そして、そんなレイナードを、親友であるヒューバートは、
苦々しい目で見つめていた。
次話はヒューバートの視点を含みます。