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誘拐事件発生です。

ドンドンドン、ドンドンドン。

何処かで何かを叩く音がする。

激しい乱打に、祭りの踊り太鼓を思い出した。


しかし、祭りの太鼓にしては華が無い音だ。

祭りを盛り上げるなら、強弱をつけたうえで、

軽くサイドを叩いて色を付けるくらいするべきだろう。

祭りの花形なのだから、もっと精進するべきだな。


みのりは、夢の中であるが文句をつけた。

心の中で文句をつけるのだ。誰にも文句を言われる筋合いはない。

誰にも迷惑はかけてないし、もちろん誰に告げ口するつもりもない。



なにしろ、みのりは夢を見ている真っ最中なのだ。

それは、みのりにもしっかり解っている。

なにしろ、祭りを思い出した途端に、

目の前の景色が近所の境内の祭りに早変わりしたからだ。


なんたる簡単。プチ早変わりだ。

だが、それはそれで楽でいい。


キキキィーィィィ。


甲高い何かすれる様な音。

祭り囃子にしては、歪で音が鋭角すぎる。

もっと滑らかさを前面に出しつつ、リズムを取って音を紡ぐべきだろう。

ここでもお囃子に文句を付ける。


「い……、早く……、つ……こい」


誰かの声が切れ切れに聞こえる。声の性質からして男の声だ。

声が小さすぎるのか、はたまたみのりが聞く気が無いのか、

まあ、野太い男の声なんぞ聴いても嬉しくない。


そう思っていたら、どこかで耳慣れた祭囃子が聞こえてくる。

本当に夢は、便利だ。ナンタルチアだ。


バタバタバタバタ。ドタドタドタ。


暑い夏に必須な団扇を激しく仰ぐ音に、

べた足のおばさん連中が踊る盆踊りの足音だろうか。


母と同世代の団塊の世代真っ最中のおば様達の盆踊り。

真っ赤な顔で息を切らしながら襟を大きく広げ、裾を荒げて踊る姿は、

これが若い意御嬢さんならどこぞの男が、

ころりと引っかかりそうな程の露出具合だ。


だが、残念なことに引っかかるのは、露店の兄さんの調子のいい掛け声ばかり。

どちらにとっても良いカモネギという関係となっている。


ガラガラガラガラ。


境内近くのテントでビンゴの箱が廻る。

そういえば、みのりはあのビンゴで、大抵重い物を当てる。

どうせなら鼻をかみたいからティッシュが欲しいと思って廻しても、

当たるのはみりんやら醤油やら、

はたまた洗剤セットなど大抵がずっしりと重い物だ。


一度、持って帰るのが重くて面倒なので要らないと断って帰ったら、

翌日、一言も言ってないのに、

何故か母は私が特選丸大豆しょうゆを特設会場に置いて帰ったことを知っていた。


折角高い物をあてたのだから持って帰れと言われたが、

みのりは非力なのだ。一升瓶を担いで祭りに参加しろとは何の拷問だ。

それならば、自分でくじを引けと言い返した。

当然だろう。大体、祭りを楽しむのに醤油瓶は邪魔以外なにものでもない。


だが、母も兄も、たまにしか家にいない父も、

ティッシュの神に愛されているようで何時もティッシュを引き当てる。

急にトイレに聞きたくなってそこに紙が無い時には便利だぞと言うと、

それに何故か大変憤慨する母。事実なのになぜ怒るのか解らない。

その後の一週間、兄と父の弁当が大変悲惨な目にあったそうだ。

兄曰く、当事者であろうみのりは学食があるので特に問題が無かったのも、

母の怒りを長引かせた理由らしい。


不条理だが、母の怒りを収める為に、兄と父の提案という名の嘆願を聞いて、

祭りのくじ時には必ず同伴者がついてくるようになった。

つまり、現物回収の為、兄が付き添うようになったのだ。

まあ、重たい瓶を抱いて神社の境内を降りる兄の背中は、

赤子を抱きしめた子育てパパのようだった。


その経験が糧となったのか、子を持つ親となった兄は、

近所でも評判の子育て上手な父親であるらしい。

お蔭で一人息子はすくすく元気にパパ大好きで育っている。

何事も塞翁が馬とはこのことであろう。


ピシッピシッ。ピシッピシッ。


その横でコルクを使った射撃遊び場から音が聞こえる。

あの義姉には言えないが、

昔の彼女(仮)に一番上の段の高価そうな鞄をねだられた兄が、

何度も惨敗した戦績を持つ由緒正しき射撃屋だ。

あの鞄はヴィトンではなく、ベトンだと言わなかったのは、

みのりの兄に対する優しさだ。夢は長く見続けてこそ花と言うだろう。


ふうふうっ。ふうふうっ。はあはあ。はあはあ。


みのりちゃん、おばさんたちの踊りはどうだったと間近で息荒く聞かれて、

素直に「凄かった」と述べたみのりをおば様達は嬉しそうに受け入れていたが、

みのりの言葉の裏側はもちろん言わない。

凄いの意味が大量の汗で化粧が崩れて目の周りパンダだと言うことを。


おば様達の息が、微妙に酒臭い。

祭りだからと言って酔っているのか、後で自治会長に知れたら怒られるだろう。

だが、知らせるつもりもない。

何故なら、酔っぱらっているからこそ、

おば様達はいつになく上機嫌でイカ焼き、

タコ焼きを驕ってくれたのかもしれないからだ。


香ばしい香りの獲物に齧り付く。

旨い物を得る為には喜んでまかれよう。

唯より怖い物はなしと言った格言があるが、みのりの考えは違う。 

誰がどのような過程でどう思って買おうと問題などある筈がない。

食べて腹に入れてしまえば、跡形もなくなるのだ。

証拠隠滅はなにものにも代えがたき解決方法だ。


次は焼きトウモロコシと見渡したら、後ろ首がちりちりする。

これは誰かに何かを頼まれるという不吉な予感だ。

隙を見て縁日の定番のアンパンマンをかぶるのがみのりのお勧めだ。

ばれそうになるとドラえもんに代えるのも有効だ。


焼きトウモロコシを口に入れるべく大きく口を開けた時、

一気に冷たい何かが顔に掛かった。

トウモロコシはいつから冷たくなった。

更にいえば、食材は口に入れる物で、顔に掛ける物ではない。


夢心地でいい気分が一気に興ざめする。

夢と解っていても強制的に起こされるのは、みのりの逆鱗を刺激することを、

起こした奴は知らないのであろうか。


眉間に力を入れて、瞼をゆっくりと持ち上げた。


うっすらと目を開けたみのりの目の前には、見たこともない男が二人。


一人は豚の様なぶよぶよに太った男。

もう一人は下を向いたまま視線を合わさない優男。

もやしの様に細く感じるのは傍の豚が大きすぎるからだろう。


白豚が、にひにひと笑いながら宝石だらけの指を広げた。


「やっと目覚めたか。

 随分と遅いお目覚めだな。 聖女よ」


みのりの顔と髪は、水を掛けられたようでぐっしょりと濡れていた。

首までを覆っていた毛布のお蔭で服は濡れてないが、

ぽたぽた落ちる滴が気持ち悪い。

指で濡れた前髪を掛け分けながら豚男をぎっと睨んだ。


みのりは、自慢ではないが寝起きが大変よろしくない。

昼寝をしている時ですら例外でなく、気分が、いや機嫌が非常に悪い。


楽しい夢から一転して醜い豚が眼前に居座る。

楽しい気分であろうはずがない。

落語でも一席設けてくれたなら違ったかもしれないが、

今のみのりの不機嫌顔は鬼も逃げ出すレベルだ。


まだ、眠気が残る中、睡眠を邪魔されたみのりの機嫌は最下降へ落ちる。

顔中に不機嫌というラベルを張り付けているとも言われるほどに仁王様だ。


「な、なんだ。その顔は。反抗する気か。

 ワシは男爵家とも繋がりがある高貴なる身分の者ぞ!」


みのりは、それこそ虫けらを見下げるごとくに、じろりと豚男を睨みつける。

友人一堂に閻魔大王と競えると言われた睨みだ。

そこらのチンピラには負けない自信はある。

的屋の兄ちゃんにも、「それならいけるぜお嬢ちゃん」と絶賛されたくらいだ。


「こ、この、無礼者!

 ワシをそのように睨みつけるとは、な、なん、何たる不敬。

 サ、サクマ、コヤツをさっさと手打ちに致せ」


豚は、ブーブーと煩い。さっさとハムになれ!


みのりの脳裏に、怒りみのりがむくむくと登場し、

ハリセン片手に仁王立ちする。


この豚、どうしてくれようか。

焼いて食うか煮て食うかどちらがいい。


本人に選ばしてやろうかどうするかと、怒りのマグマがぐつぐつと沸き始めた。

怒りみのりはくっくっくと閻魔な笑みを浮かべている。


隣りに控えていたサクマと呼ばれた従者らしき男が、ため息をついた。


「はあ、すこし落ち着いてください、村長。

 酷く抵抗する隣村から、あんなに苦労して浚って来たのに、

 今、この娘を手打ちにするとフィリップ様は助かりませんよ」


この男、今、浚ってきたと言ったか?


みのりの脳裏に、冷静みのりがすっと現れた。


冷:落ち着け。怒りを収めろ。

怒:しかしあの豚、我慢ならん! いい夢を中断された揚句に水を掛けられたのだぞ。

冷:とりあえず怪我はしてい無いのだから、傷害事件にはならん。落ち着け。

  あまり怒ると現状が見えなくなる。今一番気にする問題は先程の言葉だ。

怒:ああ、もう苛つく。で、先程の言葉って、確か浚ってきたと言ったな。何を?

冷:この場合、私をが妥当だろう。

怒:誘拐事件。なんてこった。我が家は誘拐犯に払う金なぞ無い。

  あのがめつい母が、素直に金を払うはずがない。

  さっさと警察に連絡されて、突入とかなると我が命が危ないではないか。

冷:そうだ。だが、事前に蹴倒して逃げるにも、いろいろ問題がある。

  まずは現状把握、情報収集、その後速やかに単身脱出すべしだろう。

  それにUFOおたくの村には警察介入は難しいかもしれん。

怒:だが、あの豚相当ムカつく。タコ糸で縛ってポークチョップにしてやりたい。

冷:それは後回しにしろ。ポークチョップは子豚でないと旨みはでない。

  あんなに体脂肪ぶよぶよだと、焼き肉、焼き豚にすら出来ない。

怒:鉄板で焼くと縮む輸入豚より酷い。

  食えない豚は夢の島で引き取ってもらえるだろうか。

冷:無理だろうな。

  そもそも誘拐犯と言うのはイカれたサイコ野郎が多いと聞く。

  つまり、遺伝子レベルで処理負荷だ。

  ここで怒りを煽りキチガイ相手に立ち回りだと私が危険だ。

怒:うむ。私は非力だからな。

  だが、豚一人なら、暴れて逃げたら何とかなるか?

冷:いや、相手は二人だ。 それは最後の手段にしよう。

  出来るだけ情報を引き出したのち、

  脱出時には人に似られない様に報復すればいい。

  だが、今は脱出できるまで大人しくすべきだ。


怒りみのりがくっと拳を握りしめて大人しくなり、ハリセンを床に置いた。

そして、冷静みのりが慰める様にその肩を撫でた。


どうやら決着がついたらしい。


とりあえず、みのりは額の皺を伸ばし、顔を無表情に戻した。

これ以上深くなると皺が取れなくなりそうだからだ。


まずは目の前の豚の素性確認とみのりの居る現在位置、脅迫状、警察への対応の確認。

そして現状確認と脱出経路と、まあ、こんなところか。


「寝起きでしたので、失礼しました。

 ところで、ここはどこですか? 貴方は誰ですか?」


みのりは、とりあえず定番の文句を言ってみることにした。

丁寧に聞くのは一応、キチガイ誘拐犯を煽らない為だ。


「ふ、ふん。なんだ、いきなり殊勝だな。

 そうか。我が身分を聞いて畏れ入ったのだな。

 そうだろう、そうだろう。 ぐふぐふぐふ。

 解ったらさっさと起きてフィリップを助けるのじゃ」


みのりは首を傾げた。

豚の答えが、みのりの先程の質問とはそぐわないからだ。

豚は人の話を聞かないらしい。豚だから仕方ないのだろうか。


だから、もう一度聞く。


「ここはどこでしょうか。 貴方は誰ですか?」


今度はまっすぐに普通に見る様にした。

豚ではなく隣の男をだ。


豚の従者らしき男が、丁寧に腰を折って跪いた。


「手荒な真似をして申し訳ありません、聖女様。

 ここは、ペルディア領のユーハ村です。

 貴方が居たトルト村の隣村です。

 こちらのお方は、村長のポーナス様です。

 都のメークイン男爵の遠縁となります」


うん?村の名前も横文字?なるほど当て字というやつだな。

日本のUFO隠れ里はそんなに沢山あったのか。ちょっと驚きだ。


しかし、豚が村長だなんて。

余りにも残念な容姿だ。

マリイの兄のカムイなどは、なかなかに渋い親父であったのだが、

村長と言うのは、この村では顔で決まらないらしい。


選挙で立候補した以上、村長と言うのは村の代表であり顔である前に公僕だろう。

ここまで尊大でいいのか。いや、駄目だろう。

こんなのが村長なら村は終わっている。

私が村民なら、選挙ポスターをシュレッダーにかけてみじん切りにするだろう。

大体、男爵だのメークインだのと、

どこの芋を掘ったかはどうでもいいではないか。


「ふふん。畏れ入ったか。ぐふぐふぐふ。

 聖女と言えど、今は身分が無い庶民も同然。

 我が威光に畏れ入ったら跪いて許しを請うがいい」


鼻息荒くブーブーと言葉を吐く豚に、いらっとくるが、ぐっと我慢する。


この誘拐犯は醜い上に、頭が相当イカレテいる。

相手は豚だ。理性が人間並みにあると思ったら痛い目を見るだろう。


とりあえず態度がムカつかない従者との対話を試みることにする。


「どうして私を浚ったのですか?」


理由を聞いてみる。

浚うにしても、我が家には金はない。

怨恨にしても、みのりにはまるで覚えはない。

いつでもどこでも、面倒事には極力関わらないからだ。


「それは、」

「それは、お前がフィリップを助ける為だ!

 さあ、今すぐに天から祝福の光を呼び寄せろ!」


折角従者の男と話していたのに豚が口を挟んだ。

豚は、人間の話に口を突っ込むなと言いたいが、ぐっと我慢する。


だが、理由はわかった。UFO召喚しろということか。

すうっと息をすって吐いて、感情を抑えたまま無表情で答えた。


「断る」


祝福の光だの何だのと、出来るわけなかろう。

テレビや映画の見すぎだ。妄想豚め。

そんなものは、UFO信者であるお前たちの村民内で解決すべきだろう。


「こ、断るだと、な、な、な、なんと無礼な。

 聖女と言うからには、我らに尽くすのが当たり前だろうが!」


豚が胸元から何やら光る者を取り出した。

ここで脅し刃物を出されたら、交渉どころではない。


「待て! 勘違いだ。私は聖女ではない」


豚の手がピタッと止まる。


嘘ではない。

私は自己紹介すらしていないし、もちろん聖女と名乗った覚えもない。

確かに隣村の誰かに聖女と呼ばれたような気がするが、

勝手に呼ぶのを止めるつもりはなかっただけだ。


「は? 聖女ではないと?

 サクマ、お前、違う娘を連れてきたのか?」


「い、いいえ。そんなはずは。

 黒髪黒目の少女が確かに村人をその力で助けたと……」


私はきっぱりと関係を否定する。


「私は黒髪ではない。正確には濃い茶色です。

 瞳も暗く見えるが、同じく茶色だ。

 明らかに人違いだ。他を当たってくれ」


みのりの髪は確かに黒髪ではない。日にすかしてみれば解るが、

母が購入する安いシャンプーのお蔭で、かなり脱色が進んでいる。

以前に学校の先生に染めていると疑われた事があった。

黒髪に戻せと言うなら母に高いシャンプーを購入するように言ってくれと嘆願したら、

先生が顔をひきつらせていたのをよく覚えている。


目の色は茶に見えなくもない。

黒と言い切れるほど濃くない色彩の目をしている。


だが、誘拐犯を前に、その通り黒髪黒目だと言ってしまえば、

逃げ道は狭くなる。

ここで、ごめんちがった~と放りだされる方が面倒でなくていい。


だが、去るときにこの豚の住所氏名を記入しておいて、

後で呪いの手紙を投函するように呪いの手紙マニアのサイトに登録してやろう。

誘拐なぞ馬鹿な犯罪に手を染めぬため、

二度と考えないお仕置きにそれくらいは必要だろう。


うむ。

みのりは心を新たにした。


ぱんぱんと服の埃を払って立ち上がる。

毛布の裾で髪を拭い周りを見渡す。


足元に虫かごと虫取り網、みのりの財布が入ったミニバッグ、コンビニの袋があった。

誘拐犯は律儀にも私の荷物をちゃんと持ってきていたらしい。

これで逃げる準備は万端だ。


虫かごの紐を斜めに駆けてコンビニの袋とバッグを持ち、

網を立てて床をこつりと鳴らした。


茫然としている豚男と従者の男を見て言った。


「もう帰っていいですか?」


窓から見える限り、まだ日は登っていない。

元々、みのりは夜目が聞く方だから夜道を歩くのは問題ないだろう。

幸いにして本日は満月。

綺麗な月の光が窓から差し込んでくる。

みのりにとって、懐中電灯もいらない明るさだ。


隣村と言うからには、1kmから2km位離れている場所なのかもしれない。

本当なら朝まで待って日が昇ってから隣村までの道順を聞いて進むのがいいのだが、

豚が村長の村だ。話が通じるとは思えない。


それまで、ただ茫然として豚は、みのりが動いたとたんに、

行き成り吠え始めた。


「待て! ひ、人違いだと解るまでは返すわけにはいかん。

 お前には、確認できるまでここにいてもらう。

 か、勝手な真似が出来ると思うな。

 サクマ、逃げ出さぬようしっかり縄で括っておけ!」


どうやらなし崩し的に、いいとは言ってくれない様だ。

その上、サクマとやらが荒縄を持ち出してみのりの手脚を縛った。

みのりを思いやってか縛った縄はさほどきつくないのだが、

不自由極まりない。


両手を前で、両足一括りに。

今のみのりはミノムシと同じであった。


みのりは心の中で舌打ちをした。


豚は不似合いな程ジャラジャラと宝石が付いた短剣を胸元から出して、

そのさやを大事に持ってすらっと抜いた。

意外にも、鞘の中身はきちんとした刃物だ。

よくあるフェイクのライターではなかったらしい。


豚は、抜き身の刃をみのりの眼前にちらつかせた。


「ぐふぐふぐふ。

 いいか、娘、可笑しな考えは持たぬ方が身の為だぞ。

 これは、我が先祖が白き神から授かった伝説の宝剣だ。

 我が祖先に抵抗する悪の輩を神の鉄槌で切り捨てたと言われる名刀だ。

 逃げようとしたら、痛い目を見せてくれるわ。ぐふぐふぐふ」


宝石だらけの短刀は、ぎらぎらと鈍い鉛色の刃紋、

切っ先がやけに痛そうな程尖っている。


おもちゃの様にじゃらじゃらとした短刀を使ってみたかったのか、

豚はみのりの目の前で、短刀を徐に下から上に掬い上げた。


刃物の刃がみのりの依れていたTシャツの襟首に引っかかり、

軽くすぱっと切れる。襟首が5cmほど切れてへろりとずれた。


やはり誘拐犯はイカレテいた。

伝説の宝剣とか、どこの妄想バカボンだ。

刃物を持ち出してこんなか弱き女性を脅すとは、鬼畜以外なにものでもない。


だが、ぎらりと光る切っ先に、

脳裏に残っていた暴れて逃げるといった最後の手段は、

一気に却下となった。


バカボンと言えど、刃物は本物。

万が一があると、私が痛い。


うん、無理。

ここは大人しくしよう。


ごろりと床に転がって、みのりはため息をついた。


朝になったらマリイにチェリーパイを大量に焼いてもらって、

両手いっぱいのお土産を持って帰るつもりだったのだ(みのり予定)

どうしてこんなことになったのか。


チェリーパイの残像がふよふよと脳裏を漂う。

ああ、黄金の至宝が消えていく。


みのりは決意した。


こんなところで朝まで豚と交流を深めるなんてもってのほかだ。

何としてでも隣村に帰ってお土産を手に入れなければ。


床に転がったまま、視線を彷徨わせると。

虫かごの中で毒々しい紫飴がころんと転がった音が聞こえた。


そういえば、この飴、豚にも効くのだろか。

もともと、シ虫は人間に取り付いていたのだから豚にも効くんじゃないか。


みのりは考えた。


これを豚に食わせて泡を食った所で逃げ出すか。

だが、飴は一つしかない。

豚が倒れたとして、周りに仲間が沢山いたら、

豚仲間の怒りを買って追い回されるかもしれない。


どうするのが一番いいのか。

冷静みのりと一緒に、みのりは頭を捻った。


行き成り、扉の外から声がした。


「村長はこちらか。

 至急、お会いして確かめたいことがあるのだが」


若い男性特有の張りのある硬く低い声。


みのりは閃いた。


「いやあ~助けて~犯される~殺される~誰か~」


完全に棒読みだが、甲高い女性の声は夜陰にやけに響く。


「お、お前、な、何を…」


慌てて駆け寄った豚村長の息が臭い。

みのりは、口を押えようとした村長から逃れる様に身をよじった。


そこで、バンッと目の前の扉が乱暴に開かれた。

松明を片手に、キンキンきらきらの金長髪男と、筋肉隆々の逞しき黒髪の男が、

夜目にも白いマントを翻して、壊した扉の前に立っていた。 

 

「村長、何をしているのだ!

 貴方はこんなうら若き女性を相手に何をしようというのだ」


金髪男が開口一番で怒鳴り上げた。

優男に見えるが、声はなかなか太い男性特有の低い声だ。


「い、いや、これは私は、村長として」


「村人や孫が病に苦しんでいるのに、女遊びとはな。

 呆れてものも言えん。このことは王都に報告させていただく」


黒髪の筋肉マッチョが、地ならしの様な低い声で宣言し、

ちゃりっと手の中の長剣の向きを変えた。


「そ、そんな。いや、これは、その。

 そうだ、せ、説明を。 サクマ、サクマはどこだ」


豚は、従者の男を探して声を上げる。


じじじっとオイルランプの芯が燃える音がした。


だが、先程まで豚の傍に控えていた男は、いつの間にか居なくなっていた。

状況判断が早い従僕だ。

豚の為に命を捨てる気など毛頭ないと言う事だろう。


従者を失った豚が真っ青になってしどろもどろの言い訳をしようと、

太い指を彷徨わせた挙句に私に伸ばす。

その手には先程の短剣。


ここで、みのりは追い打ちをかける。


「いや~、死にたくない~助けて~」


これも棒読みだが、みのりにしては迫真の演技だと、自画自賛した。


「ヒュー、取り押さえろ!」

「は!」


黒髪マッチョは素早かった。


宝石だらけの短刀は床に乱暴に落とされ、からからと音をたてて床を滑った。

鞘の内の幾つかの宝石がばらりと落ちる。

あれだけで一体どれくらいの値段になるのだろうか。

拾って売ったら、一財産になるかもしれない。

そう思ってみのりは短刀の場所を目で確かめた。


だが、短刀の行方に目を止めていたのはみのり一人。

あっという間に、豚は取り押さえられ黒髪マッチョに縄で巻かれた。

岡っ引き顔負けの捕縛術だった。


金髪の男が跪き、みのりの手足の縄をナイフで切った。

余り痛くはなかったが、荒縄で縛られていた為、

みのりの手首はうっ血したように赤紫になっていた。


「助かりました。

 本当に有難うございます」


手首をさすってさっさとお礼を言った。

誘拐犯であるイカレタ豚を片付けてくれたのだ。

にっこり笑って、心から感謝した。


「大丈夫ですか? ああ、お怪我をなさったのですね。

 うら若き女性に刃物を向けてこのような真似。

 恥知らずにも程があります」


金髪男はキラキラした顔を曇らせて、私の手首をさすった。


余り触ると手首の傷が擦れていたいのですが。

みのりは顔を顰めた。


「ああ、泣かないでください。

 この先貴方に、あの男が害を与えることは無いと誓いましょう。

 この地方を預かる地方長官にきつい処罰をしてもらうように致します。

 ですから、安心してください」


みのりは考える為、俯いた。


脅しに対する報復は出来なかったが、きつい処罰と言うからには、

其れなりだろうと予測した。


下を見ていたら、足元に影が差しているのに気が付いた。

顔を上げると、開かれた戸口から漏れる光は、朝日が昇る一歩手前だ。

空が白み始めている。


「ご丁寧に有難うございます。

 これで安心して帰ることが出来ます」


朝日が昇ればこっちのものだ。

夜道よりも確かだ。山肌を見上げて大体の方角を確める。

確か、あっちの方角だったような、あるような。


「私は、聖神官のレイナード、こっちは聖騎士のヒューバートです。

 美しい御嬢さん、貴方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


名前?

神官だの騎士だのと平気な顔でのたまう妄想おたくに、

名前を告げたらドツボにはまる。


ここは、偽名だ。決まっているだろう。


「オリと申します」


フェイが間違えた名だが、咄嗟に出たのはそれしかなかった。

でも、オリで戸籍を探しても見つけられないと思うので、

まあいいかと頭を切り替えた。


ここは、さっとお礼を言って笑顔で去る。とてもいい考えだ。


みのりの笑顔に、金髪の笑顔の威力が更に増した。

太陽が昇り始めた朝日の光が金髪に味方した。


みのりはそのキラキラ笑顔が苦手だと感じた。

逃げるべきかと一歩後ろに下がる。

だが、金髪男は、みのりの手をぎゅっと握りしめた。

手は優男のくせにやけに大きくて骨っぽく、

そしてタコのある硬い手をしていた。


後ろから、黒髪マッチョが金髪の手を軽く払った。

そして、そのまま流れる様に手を引かれた。

黒髪マッチョの手は大きくてごつくて硬い。

野球のグローブの様な手だ。


「レイナード様、怪我人の手当を先にしましょう。

 それから、そうだな、それが終わったら送っていこう」


にっこりと笑う黒髪のマッチョの優しい微笑に、

助かった。

何故かそう思った。


「そうですね。お送りします。家はどちらですか?」


金髪の言葉に、みのりの脳裏が凍った。


送っていく?この金髪が?


「そ、そんな、大丈夫です。一人で帰れます」


速攻で断った。

黒髪ならいざ知らず、金髪は心が拒否する。


「この村の者なのか?」


黒髪の問いにみのりが答える前に、金髪が首を振った。


「いえ。この村には黒髪の女性はいなかったと、

 人別帳には記録してあります」


二人の視線を受けて、みのりは答えた。


「隣村です」


確か豚男がそういっていた。


黒髪が、ふむっと顎を触りながら呟いた。


「隣村なら、馬で2,3時間走らせれば着く。

 徒歩ならまあ、本日中に着けると思うが、山を登る道は険しいぞ。

 山一つ以上向うだからな。

 レイナード様、午後の診療が終わったら、

 馬車をお貸し願えますか?」


馬車。

乗ったことはないが、歩くより早く楽に決まっている。

そして目的地は、山を越えて更にその向こう。


「そうですね。 ですが、隣村には少し気になることがあるので、

 私も一緒に行きます。よろしいでしょうか」


みのりは仕方ないと諦めて、大人しく頭を垂れた。


「よろしくお願いします」


なにはともあれ、これで帰りの足は手に入れた。


待っていて、私のチェリーパイ。必ず帰るから。


まだ見ぬ特大チェリーパイ(妄想)に夢心地になりながら、

みのりは下げた頭の中で誓いを立てていた。

 



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