フンコロガシに出会いました。
「はぁ? この辺りにカブトムシがいる山はないかって?」
駅の売店で勤続20年。
それなりの数の人と出会い、それなりに人生を達観してきた覚えがある。
だから、めったに驚きの声は上げない毎日を送っていると自負している。
だが、体に馴染み型崩れした紺色の制服を来た年配の女性は、
普段には珍しい奇妙な声を上げた。
彼女は目を細めて、目の前に立つ少女をじっと観察した。
小奇麗な顔立ちに学生らしい態度など、特に物珍しい相手ではない。
むしろそれだけを見れば、礼儀正しく質問してくる様子などは、
いまどき珍しい節度ある学生だと思う。
だが彼女は、少女が尋ねてくる内容とその恰好に首を傾げるしかなかった。
みのりの今の服装は、明らかに部屋着である。
大きめにだぼついた綿のTシャツによれよれの綿パン。
足には玄関先で干してあったつっかけを履き、頭には麦わら帽子。
日よけ用にと同じく玄関先に干してあったタオルを首に巻いている。
片手には財布と携帯のみが入ったミニバック。
反対の手には母から持たされた虫取りセットである。
みのりの今の恰好は、明らかに外出するには不向きな格好だ。
どこの浮浪者でも、もうちょっとましな恰好をしているに違いない。
部屋の中でならみのり限定で許される範囲内であるこの服装は、
山でアウトドアを満喫する為の恰好には全くもって見えない。
だが、虫取り網に虫籠を持ち、カブトムシの所在を聞いてくるからには、
言葉の通り虫取りをするつもりなのだろう。
都心からちょっと離れた田舎の駅の売店に努めて20年。
彼女は、じろじろとみのりを観察した揚句に肩を小さくすくめた。
田舎を知らないテレビっ子が気軽に山にやってきたのだろう。
たまにいるのだ。
テレビで流行りのスローライフやアウトドアが、
山に来さえすれば何とかなると思っている向う見ずな若者が。
彼等は雑誌を片手に綺麗な恰好で楽しそうにやってきて、
危険行為に平気で足を突っ込む。
知らないのかもしれないが、山や川などの危ない場所に近づくには、
それなりのTPOというものがある。
履きなれた運動靴に体の体温調節に必要な長袖羽織りもの。
何かあった時のために必要な日持ちする食糧に水をいれたリュック。
日差しを遮る帽子に雨避けのカッパ。
いざという時の救急セットや方位磁石などなど。
結構重いそれらをしっかりと持って山に入るのが、
れっきとした安全管理と言うものだ。
だが、みのりに当てはまるのは甘く見積もったとしても、
まずもって麦わら帽子だけである。
そう判断して、売店の女性は心を決めた。
「虫がいる山にいくんなら、そうだね、
今から出るあのバスの最終地点の鬼結低山がいいかね」
駅を出てすぐのバス停に、黄色のオレンジの中型バスが止まっている。
この町唯一の路線バスである。
「鬼結低山ですか?」
「ああ、近所の学生のキャンプ地にもなってる山さ。
ちゃんと整備された山道はあるし、
あそこならお目当ての虫やら何やらいるだろうさ」
そういいながら女性は、小さい袋に二本のペットボトルの水とパンを幾つか入れて、目の前の少女に渡した。
「山付近には、食べる所や買う所なんか何もないからね。
腹が減るだろうから、これでも持っていきな」
にっこり笑って子供に袋を押し付けた。
財布をだそうとしたみのりに、彼女はいいさ、とっときなと手を振った。
「有難うございます。それでは遠慮なく」
少女は礼儀正しく頭をぺこりと下げて、バスの停車場に歩いて行った。
彼女の言葉を疑うことないその背中に、ちょっとだけ良心がうずく。
彼女が進めた鬼結低山は、確かに近所の学生のキャンプ地ではあったが、
それは体育学科のある大学の運動部が体力強化合宿に使う為の山だ。
確かに綺麗な山道があるが、決して楽な道ではない。
あの恰好なら、おそらく一時間も持たなくて帰ってくるだろう。
山に早めに挫折した方が、あの子の為だわ。
さっさと虫なんか諦めて都会に帰るでしょう。
山に不慣れな者が、下手に低い山に登って夢中で虫取りをして、
結果迷子になり捜索隊とか出れば、とんだことになりかねない。
だから、あえて難関な山を告げた。
鬼結低山は低いと名がついているが、実の所かなり標高の高い山である。
名前は体を示すという格言もあるが、
これは全く逆の意味合いで期待を裏切られる名前だろう。
ビー
バスのドアが閉まる音がした。
小さなバスには、先程の少女を含めた数人の乗客が乗っていた。
彼女が見送っていると気づいた少女は、バスの中で振り返り、
小さく会釈した。
良心がちくちくと痛むが、それもこれもあの子供の為だ。
そう心に訴えながら、彼女はバスの後ろ姿を見送った。
*********
「終点~鬼結低山参道口、終点です~」
バスのアナウンスが流れる。
バスに揺られてついた先は、最終地。
バスの運転手にじろじろ見られたが、まあこの恰好なので仕方ないと思う。
実際、電車に乗っている時も、周囲は同じような反応だったので、
みのりは特に気にしないことにした。
何も問題を起こすわけじゃないのだ。
他の乗客も、みのりも、基本スタンスは我関せずだ。
日本人特有の日和見主義は、公共の場を乱さないことを美徳とする。
だが、それが悪いと言うわけではない。
自分が乗客であっても同じように無視に撤するはずだ。
要するに、面倒事には関わり合いたくないと誰もが思う正直さ。
自分の欲望に素直で実によいと、心から思う。
みのりは、バスのタラップを降り、軽く背伸びして辺りを伺う。
バスから降りた先に見えたのは、両脇背の高い木々に囲まれた山道。
一見なだらかな道に見えるが、ところどころ畝って先が見えない。
まあ、子供の頃の裏山も同じようだったのを思い出し、ふと懐かしく思う。
いや、あちらは舗装されていなかったのだから、難易度は容易いかもしれない。
みのりは、鬼結低山道入り口から先に、気軽一歩を踏み出した。
そうして、炎天下の山道を、サンダルと言えないようなつっかけで歩くこと一時間。つっかけの中が汗で濡れて足先が滑る。
駅のおばさんがくれた水の一本はすでに飲み干してしまった。
残りのもう一本もあとわずか。
しかし、目的地であるキャンプ地はおろか、人っ子一人出会わない。
何処かの舗装された山道にありがちな無人の自動販売機も、
道を歩けば必ずあるとも言われるコンビニも、全くといって無い。
それに低山と銘打っておきながら、山道は上がったり下がったりと勾配が激しい。
みのりの息はすでに限界まで上がっており、
息を吸う苦しさに加え、外気温の暑い空気が喉に痛みを訴えていた。
目の前の道が揺れて見える。
目じりに汗が溜まって目が翳むので、指で乱暴に汗を弾く。
「この苦行、あとで絶対3倍にして回収する」
母に、兄に、義姉に、それぞれ文句を言って、
この苦労に見合うそれなりの対価をもらう算段を頭の中で浮かべつつ、
それでも足を前に動かし続けた。
そしてどのくらい立ったのか。
突如、みのりの目の前を一匹のカブトムシが、ぶんっと通り過ぎたのだ。
真っ黒なテカテカする黒光りボディ。
勇敢だぜ!カッコいいぜ!と言わんばかりに突き出した立派な黒い角。
正に、値千金の大名将軍ザ・カブトムシである。
当然のごとく、みのりはそのカブトムシを天の使いとばかりに視線で追った。
あれを捕獲すれば、みのりはクーラーの効いた部屋でアイスを食べて、
ごろごろ生活に戻れるのだ。みのりの視線が熱くなるのは当然だろう。
カブトムシはみのりの熱い視線を背中に背負い、右参道脇の木の間を通り抜けていく。
そして、みのりが立つ山道から見えるぎりぎりの場所。
やや奥まった場所の木の幹にぴたっと止まった。
あの高さなら、網を伸ばせば確実に取れる。
みのりは、山道を何の躊躇もなしに外れた。
「そこで待てビックパフェ! 大人しくしろ」
みのりの目にはカブトムシは、兄におごってもらう予定の、
毎日限定30名様の駅前のアイス店の名物ビックパフェに見えていた。
これを捕まえたら、高級ホテルの割高ビックパフェを食べて、
駅前高級喫茶の宇治金時かき氷を食べて、
ハーゲンダッツの新作アイスを思う存分ご馳走になる(みのりの脳内計画)つもりだったからだ。
意気込んで網をえいやっと振ったが、間一髪でカブトムシはするりと逃げてしまう。
実にすばしっこい。
「宇治金時、ちょこまかにげるな」
力を入れず八の字を描くように網をばっさばっさと振るが、
カブトムシはぶんぶんとみのりをあざける様に右に左に飛んで逃げた。
おかしい。子供のころは簡単に取れたものだが、力が鈍ったか。
だが、カブトムシの行先は見失わない。
将軍カブトムシは、更に奥まった木の幹にぴたりと止まる。
もちろん、みのりは更に追った。
特記しておくが、その時点で山道はすでにかなり後方に位置している。
通常なら山道を逸れる行為は決してやってはならぬ重大禁止要項だ。
みのりだってそれは知っている。
だが、昔から方向感覚にだけは優れていると自負しているみのりは、
特に気にすることはなかった。
昔、裏山でどんなに道を逸れても、帰る方向は自然と解ったものだ。
裏山で迷子になった同級生たちを、先生と大人たちを連れて先導し、
無事連れ帰って何度か表彰された。
懐かしい子供の頃の輝かしい記録だ。
みのりの父は、野生の勘とみのりを称賛した。
それもあり、みのりは山道から外れることに特に気にすることはなかった。
だが、今は昔に浸っている場合ではなかった。
「プリンキャラメルアイス、素直に掴まれ」
今のカブトムシはキャラメルアイスに見えているらしい。
しかし、カブトムシはそんな名前ではないとばかりにあっけなく飛んで逃げる。
右に左にとぶんぶんと羽音を響かせながら、みのりの網の上をするりと超えるのだ。
そうしてカブトムシとみのりの攻防戦が長く続き、
いつしか山の奥深く大きなブナの幹に、カブトムシが止まった。
みのりがブナの木に走り寄ると、その木には、先程のカブトムシの他に、
大クワガタやノコギリクワガタ、ヘラクレスなど、
宝石のように光る美しい彼等の勇壮な姿があった。
「これは見事だ。 秘宝発見だな」
みのりが、そういいながら手が届く場所にいたクワガタに、
まずは1匹と手を伸ばそうとした時、
頭上から、クワックエェェと鳥の喉が締りそうな声が降ってきた。
「なんだ?」
頭上に目をやると、カラスの様な九官鳥の様な嘴の黄色の鳥が数十匹。
それが一斉に空から降ってわいた。
つまり、みのりに向かって、上から突きさすがごとくに、
一気に襲ってきたのである。
黄色の嘴は十分な殺傷能力を秘めていることは間違いない光り方をしていた。
「うわっ」
驚いて思わずブナの木の裏側に逃げたら、そこには大きなうろがあった。
うろの中は意外に大きい。
背後から鳥のクエェェェ~という声が追ってくる。
みのりは慌ててうろの中に入った。
そして、鳥に見つからぬように、奥に奥に入っていった。
何故、うろの中がこんなにも広いのだとふと疑問に思ったが、
鳥に追い回されるのは正直嫌だ。
その上、このうろの中の道は、涼しかった。
ひんやりとした水気を含んだ空気は、火照った体に実に心地よかったのだ。
今、外に引き返したとして、あの鳥たちが諦めてそこに居ないと言う保証はない。
それならば、しばらく間を置いてから引き返そうと思った。
どうせなら夜まで待って、沢山昆虫を手に入れて帰ろうかとも思う。
夜は鳥は目が訊かないから、たとえみのりが昆虫採集をしていても、
襲ってくることは無かろうと推測した。
元々、昆虫と言うものは、夜が一番採取しやすいのである。
幹に昆虫寄せの蜜を塗り付け、夜更けに蜜に群がる虫たちを一網打尽にするのが王道である。
そうやって子供の頃は大きな宝物を沢山捕縛し、
近所の子供たちの羨望の眼差しを独り占めしたものだ。
みのりは昔から夜目が十分に効き、暗闇は怖くなかったのも、
時を置いて帰る決断に拍車をかけた。
当時、夜間に昆虫採集にでるみのりを心配してついてきた高校生だった兄が、
暗闇に怯えて叫んでも何がそんなに怖いのか解らなかったくらいだ。
みのりの目に移る風景は、多少薄暗いだけで昼間のそれと大差無く、
夜を渡る風が涼しい夏の夜、特に月のある明るい夜は、
絶好の宝物捕獲日和でもあったからだ。
今もみのりの目には、暗くとも、段々と背が高くなる穴というか、
石組で囲まれたきちんとした通路が見えている。
明らかに人の手が入った道である。
よく昔の映画であるだろう。
大名家などが、落城の際に使う逃げ道。
秘密の地下道と言うやつに似てる。
誰がどんな目的でこの道を作ったかはわからないが、
嘗て、人が入ったことのある場所なのだ。
特に恐ろしいことなどある筈がないと考えた。
それに、秘密の地下道と言うものは、大概が一方が人気のない場所なら、
反対側は人家のある場所と想定が決まっている。
つまりこの先へ歩いていけば、集落にたどり着く可能性が高い。
それも安心ポイントだ。
周りに誰もいないのもみのりにとってはよい傾向だ。
ココなら、みのりが歌おうが寝ようが好き勝手しても怒る人はいないと推測した。
宝物を捕縛して、ここで一夜を明かして明るくなってから帰っても、
誰も文句は言わないということだ。
もちろん、食べかすのパンくずをぼろぼろ落としてもである。
だから、袋の中のパンを一つ勢いよく開けて一口食べた。
だが、食べてみて衝撃が走った。
徐に拳を握りしめ理解した。
空腹は何物にも代えがたい調味料をいう格言は嘘であったということを。
なぜなら、そのパンはみのりのもっとも苦手とするウグイスパンであったからだ。
真っ暗闇の中では、パンの上に書かれた文字など識別不能だ。
子供の頃、ウグイスパンは空を飛ぶあのウグイスを殺して羽根をむしり、
ひき肉にして餡子を混ぜてできたものなので、
子供が気軽に食べたらウグイスの呪いがかかると両親に脅された。
そんな話は嘘に決まっていると今ならば鼻で笑うが、
延々と話して聞かされたのは、兄が10歳、私が3歳の時だ。
春の麗らかな花見の席で、大人たちの酔いに任せて披露された怪談話。
夏のお化け屋敷も真っ青な演技力を見せた父の底力と母の話術。
私達兄妹を筆頭に一緒に来ていた同じ団地の子供たちは、阿鼻叫喚の渦であった。
みのり以外の子供は怖さに震え泣き叫び、下の粗相とひきつけを起こした。
その日からほぼ一年、母は兄の布団とシーツをほぼ毎日洗濯する羽目になった。
そのトラウマから、兄は今でもウグイスパンはおろか、
ウグイス色の食べ物見る物すべてに拒絶反応がでる。
みのりは、兄程ではないが、ウグイスパンがやはり苦手であった。
ホーホケキョの言葉が、ウグイスたちの辞世の句であるとまで聞かされて、
苦手にならないはずがない。
三つ子の魂百までの典型であろう。
暗闇の中、手探りでパンの袋を開けたとはいえ、
いつもなら、ウグイス餡子の独特の匂いに拒絶反応が出る。
いったん口に入れた物を吐いて捨てるつもりはないが、
喉に通る時にそれなりに葛藤が生じるのだ。
だが、ごくりと飲み込んだ先に頭に浮かんだ葛藤は、
空腹という名の幻覚作用に惑わされ、一瞬であるが美味しいかもという、
何かに負けたような気分をみのりに味わしたことは言うまでもない。
そして、思考回路はもっと口に入れろ、腹を満たせと必死に旗を振る。
その結果、ウグイスパンはみのりの腹に見事に収まった。
舌の上に残る残念な味に頭のどこかで警報が鳴るけれど、
水を流し込むことで、忘れることにした。
腹に入ってこなれてしまえば、後は同じことだ。
父はよく言っていた。
みのりもその通りだと自答する。
後は忘れてしまえばいい。
だが、美味かったとは、心を菩薩にまで上げても言えない。
人間というものは、実に都合の良い考えが出来る生き物である。
だが、譲れぬものがある場合は、どうにもならないのだ。
ウグイスパンの味。
本日最終のクリティカルヒットをみのりに与えた。
もう息も絶え絶えだと、解説者がいたなら言ったはずだ。
それはともかく、みのりは、なんとか腹が膨れたので、
これからどうしようかと考えた。
夜になるにはまだ時間がある。
それならば、暇つぶしにこの道の先に何があるのか、
探検してみるのも一興であろうと考えた。
みのりの感覚では、この道の示す方向は来た道とほぼ逆方向。
もしかしたら、山の反対側の山村近くのバス停があるかもしれない。
それならば、帰り道が簡単でいい。
そう思って、てくてく細い道を歩いていく。
先に、光が見えた。
道の先は見る限り蛇行はしないものの、傾斜角度はそれなりにある。
山道を下っているのは確かだ。
そして、その先に見える光は紛れもない太陽の光だ。
その先は山の裾野のどこかであろうと予測した。
どのあたりに出るのかと、てくてく歩いていくと、光の下に出た。
目の前に垂れ下がった蔦が少し邪魔だったが、手でかき分けられる程度だ。
紫の蔦をかき分け一歩踏み出す。
暗闇に慣れていた目に光が差し込み、ちかちかと点滅するように目に痛みを与える。
みのりは、何度か瞬きして視神経を安定させる。
やっと目の前が安定した視界に見えたのは、
実に長閑としか言えない田舎道だった。
見渡した景色には建物らしい建物はない。
だが、目の前には轍の跡がある草の生えていない道があった。
農作業とか造園作業で見かけるリアカーの轍跡のようだ。
そして道の傍にはちろちろと流れる川があった。
川の水は驚くほど澄んでいる。
これは飲めるのだろうか?
川の上流を見ると、見慣れぬ狸か狐か解らない動物が、
川べりで手を洗い水を飲んでいた。
あれが飲めるなら、みのりも多分飲めるだろうと考えた。
川の水は時折、ちょっとした腹痛を齎すこともあると聞いたが、
背に腹は代えられない。
水が無ければ、人は一日たりとも生きていけないのだ。
空いたペットボトルに水を詰め袋の中に入れる。
パンはあと一つ。袋を広げて確認する。無難なレーズンパンだ。
良かった。ほっとした。
袋とミニバッグを小脇に抱え、周りを見渡した。
太陽は道を明るく照らしている。
みのりは目を細め、手で影を作りながら空を見上げた。
感覚から判断すると、今の時間は午後4時過ぎである。
携帯の電源を入れたら、充電してくださいのマークがついて画面が消えた。
時計としての機能も果たさない。スマホは本当に電池食いだ。
改めて電源をOFFにしてミニバックに突っ込んだ。
みのりは時刻を把握するために太陽の位置を見上げた。
そこに浮かんだ太陽は、二つ。
みのりは目を擦ってからもう一度空を見上げた。
確かに二つあった。
そういえば、炎天下で太陽を見上げたら網膜が焼かれ物がぶれて見えることがあるそうだ。皆既日食があった時、直に太陽を見て、網膜が焼けて失明しそうになった人がいたと、ニュースで聞いた。 あれと同じかもしれない。
確かに、暗闇に慣れた目で太陽の光を見た時、少し目が痛かった気がする。
「まあいい。いずれ直るだろ」
そう考えて、太陽の位置で時刻を知る方法は諦めた。
だが、この風景の明るさから考えて、4時くらいであるのは間違いないだろう。
不意に、みのりが出てきた蔦の覆う道を見据えた。
道を隠すように覆っていた蔦の植物が目に入る。
不格好なまでに太い紫の蔦に小さな紫色の肉厚な葉。
みのりの知っている山の植物にこのような紫の蔦は無かった。
蔦とはいえ植物なのだから緑でいいのに、これは紫である。
おそらく珍しい植物に違いない。
ぴんと閃いた。
これならば、目印になる。
紫の蔦の葉を、無造作に一枚千切ってポケットに入れた。
てくてくと田舎道を川に沿って歩きながら考えた。
川のせせらぎを聞きながら、頬を撫でる気持ち良い涼しい風に深呼吸をする。
ところどころに生えた柳と樫を足して二で割ったような木。
楓の様な形の葉の間から、眩しい太陽の光が見え隠れする。
太陽を見つめるとまた視界が二重にぶれそうなので、慌てて視線を前にもどした。
そして、すうっとまた深呼吸した。気を取り直す。
キラキラと光る木漏れ日に、涼しい風。
これぞ理想の木陰の散歩道というものだ。実に気持ちいい。
あの炎天下の山道苦行はなんだったのかと言いたくなる。
気持ち軽く足が前に進む。
そうして歩いていたら、川の様子が変わってきた。
右と左に支流が分かれているのだ。
そして道も同じく左右に分かれている。
ここまで歩いてきた感じでは10分弱程度。
戻る時間を考えても、まだ夜になるには時間に余裕はある筈だ。
先程の道を帰る時間を考えて、夕刻7時前くらいにあの道に戻ればいいかと算段した。とにかく、ここがどこか、きちんと目安を付けて置かなければ。
バス停までどのくらいの距離なのかとか、大体の位置を把握して置きたかった。
その為には、見知った何かが必要だ。
国道の標識とか、電信柱に書かれた住所とかである。
だが、周りを見渡してみてもそれらしい情報を持つものは何もない。
背の高い山はみのりの背後にある山だけだ。
あれを鬼結低山だとすると、ここは参道口とは反対の山の裾野に違いない。
で、左右の道、どちらに行くかと分岐で立ち止まっていた時、
目の前に、見たこともないフンコロガシが現れた。
大きさ30cmほどの巨大フンコロガシである。
この大きさは今までに見たことが無い。
小型犬くらいの大きさは迫力がある。
世界は温暖化や巨大化現象が始まっていると言われているが、
フンコロガシもここまで巨大進化したのかと少し感動した。
そのフンコロガシは、当然のごとく一生懸命丸い物を転がしている。
その背中には、転がすのが我が人生と悟って転がしているような哀愁がある。
転がされているそれも、直径15cm位ありそうなそれは立派なものだ。
触りたくないけれど、それが何なのかは予測はつく。
だから、フンコロガシに素直に道を譲った。
私の視線を気にすることなく、フンコロガシは右の道を進んで行った。
時折汗を拭くように額を触手で拭きながら、
フンフン、ゴロゴロと歩いて行った。
みのりの道の選択肢は決まった。
もちろん、左の道だ。
フンコロガシは、巣にそれを持ちかえる習性がある。
ということは、右について行ったとして見まえるのはフンコロガシの巣である。
山と積まれた臭いそれは、私には何の執着も感慨もない。
そして、それがフンコロガシが来た方向、つまり左の道にあると推測した。
俗にいうそれを産みだした元凶と言うやつである。
牛、馬、羊といった農耕動物の存在が居るかもしれない。
と言うことは、近くにそれらを飼っている人がおり、集落があるのだ。
当然、バス停はそこにあるだろう。
みのりは分岐点に生えている足元の草を幾つも結んだ。
テレビとやドラマでは目印に木の幹に傷をつけたりするが、
あれは自然を大いに損なう行為であり、
後で誰かに見つけられたら面白半分に細工される恐れもあるし、
他の誰かが同じようなことをしている場合もあるのでお奨めしない。
事実、裏山で迷子になった同級生の子供は、
木に矢印を描いて進んでいたが、途中で誰かが描いた他の矢印に混同し、
元の位置が解らなくなっていた。
そこで、誰も気に留めない、でも確実に私だけに解る目印を作る。
みのりが使うのは雑草である。
雑草を蝶々結び縦結びと交互に結んで瘤にしたものを幾つも作る。
そして、戻る方向に向けて球結びをした雑草の列を5つ作った。
「これでよし」
ぱんぱんと手を叩いて汚れを払ってから左の道を進んだ。
一見何もなさそうな場所に、足を取られる罠があるのが見て取れる。
人が実際に引っかからなければ、目印であり他愛のない悪戯で終わる代物だ。
みのりは、出来上がりに満足して、先に歩を進めた。
それから更に10分弱程進んだところで、なんと、念願の人を発見した。
というか、道端に人が二人蹲っていた。
みのりよりも小さい少女と、その少女の脇で背中をさすっている壮年の男がいた。
明らかに血縁であることが解る、顔が似通った二人だ。
「痛いよう、痛いよう、お父ちゃん、お腹が痛いよう」
少女は滂沱のごとくに泣いていた。
お腹を押さえて脂汗を流しながら真っ青な顔で首を振っていた。
なるほど、やはり父親だったかと推論を結論付けて納得する。
「フェイ、もう少し歩けばカルダ婆さんの小屋に着く。
俺の背に乗れ。もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」
父親が少女の背を撫でながら、少女を抱きかかえようと手を据えるが、
腹部を圧迫されることに少女は痛みが一層ひどくなったのか、
甲高い声で悲鳴を上げ、体を二つに折って嘔吐し痙攣を始めた。
次第に、少女の目が白目に変わり、ゾンビな様相となる。
「フェイ、しっかりしろ」
父親が娘の手を取って泣き始めた。
これは明らかに危ないとは思ったが、みのりは医者ではない。
薬を持っている訳でもなく、救急救命措置の知識すら覚えていない一般女子高校生である。
序に言うと、みのりはこの土地の医者の場所すら解らない。
更にいえば、救急車を呼ぼうにも携帯は電池切れ。
現在、何一つ助けられる要素は持ち合わせていない。
つまり出来ることは全くない。
頭を切り替えた。手出しはすまい。
下手に関わると大変面倒だ。
お前のせいで死んだとか言いがかりをつけられても正直嫌だ。
苦しんでいる人間に大丈夫かと聞いてどうなるわけでもないので、
とりあえずほっといてまっすぐに進むことにした。
よこをこっそり静かに通り過ぎるつもりが、
泣いている父親がふと頭を上げてみのりの姿を見つけてしまった。
みのりも、熱い視線を感じてつい反射的に目を向けてしまった。
目と目があったら挨拶を。
何処かの生活習慣支援ポスターの台詞が頭に木霊する。
だが、この場合の挨拶は、なんて声を掛けるべきなのか。
死にかけている娘を前に、やあ、いい天気ですねではない気がした。
みのりが挨拶言葉に迷っていたら、父親が涙をぼろぼろ流しながら、
みのりの足元に飛びついて縋りついてきた。
「お、お願いです。どなたか存じませぬが、
薬を、薬を持っていたら分けてください。
む、娘が、死にそうなんです。 頼みます。なんでもいたします。
私の命が欲しいと言うなら差し上げます。
ですから、どうか娘を助けてください」
関わってしまった面倒な現実に、みのりは思わず空を仰いだ。
薄情者と呼ばれても、みのりに関係のない人ならば、
みのりは気にしません。