どうしてこうなった。
主人公は平熱低めの女子高校生です。
夏なのでなんとなく書いてみた話です。
書き始めた時には真夏でした。
不定期更新です。
茹だる様な暑さがまとわりつく。
頭の先から大量の汗が頬を伝い、顎の先から大地に落ちた。
ぽつりぽつりと歩いてきた形跡のままに、汗が大地に痕を残すが、
照りつける太陽の日差しが、あっという間にその痕跡を消し去る。
山道の両脇には、うっそうと茂った剪定されていない木々と、
伸び放題に成長した雑草が所せましと茂っていた。
普通なら、木々の影や緑の香に癒しを求め、森林浴を楽しむのだろうが、
周囲からは、どうにも耳をふさぎたくなるような喧しいセミの声が、
彼女を威嚇するようにけたたましく鳴いていた。
夏の風物だと言わばその通りなのだが、
じわじわと襲ってくる疲労と苛つく感情を無遠慮に逆撫でする。
舌打ちしたい気持ちを目を細めてやり過ごし、
みのりは淡々と前だけを見て足を前に進めていた。
口の中の空気がからからに乾いていて、喉に痛みを覚えていたからだ。
みのりは、脳が溶けそうな暑さを誘発している熱せられた地面を睨むでもなく、
ただひたすら目の前の道が蜃気楼のように揺れているのを見て、
そしてまっすぐに歩を進めていた。それしか選択肢がないからである。
今は猛暑である。
前述で示した情景とこのみのりの状態から解るように、
今年最高と記録した猛暑日であった。
その暑さを喜ぶがごとくに、太陽の光は僅かな影を打消し、
鬱陶しい程にセミが鳴き叫び、木々の葉擦れの音すら掻き消していた。
みのりの被っている麦わら帽子が僅かな影を作るが、
それすら足元から立ち上る熱気でゆらりと揺れて太陽の光に負ける。
夏の暑さにそよぐはずの風はどこか遠くで停滞しているようだ。
夏の定番の麦わら帽子は一向に風を迎え入れない。
麦わらの中は汗と熱で蒸れて、みのりの体温上昇に拍車をかけていた。
「暑い。これでは温暖化ではなくて高熱化だ」
誰に文句を言えばいいのか解らないが、言わずにはいられない。
それほどまでに暑かった。
何故、こんな猛暑の真昼間に誰もいない山道を歩いているかといえば、
その理由は本日初頭にさかのぼる。
夏休み中の補習も終わり、やっと名実共に夏休みとなり、
本当の休みを堪能していたみのりに、
我が母がとある事情から、行き成り怒りはじめたことが始まりだった。
**********
「ちょっと、みのり。アンタいい加減にしなさいよ」
母の本日の私に対する第一声がそれだった。
「母よ、お早うの挨拶がそれとは、変わった日本語を使うものだな」
私は寝間着兼用となるお気に入りの部屋着で、家のリビングの床に転がり、
テレビ満喫状態を楽しむために、ポテトチップスとアイスを交互に食べるという、
至福の時を味わっていた。
「ちょっと、話をするならこっちを向きなさいよ。
テレビ見ながらトドの様に転がって、アンタそれでも女の子なの」
母は、思考どころか記憶まで可笑しくなったのかもしれない。
「暑さにとうとう頭が湧いたか。貴方が産んだ私は紛れもなく娘だよ。
そんなことも忘れたのか、母よ」
あ、ポテトチップスが無くなった。
次はポッキーを開けるか。
「沸くのは怒りの感情よ。
年頃の女子高校生ともあろうものが、夏休みなのに家でごろごろって。
ちょっとは隣り近所の高校生たちを見習いなさい。
二件隣りの加奈子ちゃんは全国大会に選抜されたって部活に頑張ってるし、
斜め上の真理恵ちゃんは朝から進学塾ですって。
3階上の万梨阿ちゃんは読者モデルとかで避暑地で撮影ですって。
素晴らしいわよねえ。 同じ女子高校生なのに、なんでこうも違うのかしら」
私はちらりと後ろで喚く母を振り返った。
母は、大袈裟に肩を落として、
演技ったらしく首を振りながらため息をついている。
先日見たドラマの悩める母親の仕草の真似だろうか。
いかにもな素人様子に、ちょっと笑いが生まれそうになるが堪えた。
口の中にはメンズポッキーが入ったままだからだ。
「母よ、同じではないよ。
そもそも最初の段階から違うのではないか」
ドラマとは違う展開に鼻白み、母は面白くなさそうに聞いてくる。
うむ。現実は小説より奇なりとはこのようなことだったであろうか。
「なによ、最初の段階って」
私は細いポッキーを三本纏めて口に入れて、ばきばきと小気味のいい音を鳴らす。
うむ。いい感じだ。
「加奈子の親は元陸上競技の有名人で運動神経抜群。
真理恵の両親は双方ともに大学教授で頭脳明晰。
万梨阿の母親は以前有名なモデルだったと聞いたことがある」
もちろん、その情報の発信源は母だ。
「そうね。だから何?」
母は、三度の飯よりも噂話が大好きという典型的な暇な主婦。
テレビよりも早い噂話大好き連合に属している団地妻なのだ。
そして、面白いくらいに何度も何度も繰り返し噂話を語る傾向がある。
そのせいでこれらの話題は、正直耳タコなのである。
お蔭で団地内の情報には事欠かない。
が、正直どうでもいいというのが本音である。
「平凡極まりない両親から産まれた私が彼等とは違うのは当たり前だろう。
遺伝子の情報が圧倒的に私には不足している。
比べる根底が明らかに間違っていると私は思う」
以前から思っていたが、母は短絡すぎるところがある。
人は人と良く口に出す癖に、いつも他人の家と我が家を比べるのは母だ。
「なっ、で、でも、世の中には努力すれば才能を超えるっていう逸話もあって…」
ポッキーをばきばき食べていたらあっという間に無くなる。
そんな母が正論を語るとは、片腹痛いとはこのことだ。
まともに相手をするだけ、みのりの夏休みがすり減る気がする。
「ほう、それは自身の経験を元にして言っているなら大したものだ。
ぜひ、ご拝聴したいものだな」
夏休みがすり減るともったいないので、
みのりはここで話は終わりとばかりに、言葉を強く言い切った。
2つ3つ残っていたパフコーンの駄菓子を最後まで齧り、お腹に収めた。
いい感じにお腹が膨れたようだ。次は甘い物がいいだろうか。
おっと、そろそろ、夏休み特集怖い話全集が始まる。
みのりは、トドよろしくゴロリと床を転がった。
テレビのチャンネルを変える為である。
いつもなら、ここで母の癇癪が爆発して喚き始めるのだが、
しかしながら、今日はいつもと少し違った。
テレビのリモコンを操作してテレビ欄を映し出して検索していたら、
頭の上に帽子をかぶせられた。
「アンタが口がへらないのは運動不足のせいよ。
だから、ちょっと山にでも行って遊んでらっしゃい」
どうしてそうなるのだ。
山が何故ここで関連付けられるのだ。
「何故、山?」
母がにっこりと作り笑いをした。
「あんたは昔から裏山で、
気持ち悪い芋虫とか黒光りした虫を捕まえてきてたじゃない。
やっぱり子供は大自然の中でのびのび遊ぶべきよ」
その母は、台詞を口にするたびに引き攣った笑いを見せている。
娘として証言するが、未だかつて母が大自然愛好家だったためしはない。
転がったまま、ちろりと後ろに立つ母を振り返る。
母の目じりの皺が目立つ。
おそらく日焼け止めの化粧があっていないのだ。
そのような状態で無理に笑うと皺が寄るぞと教えてやるのは、
親切か余計なお世話かどっちだと悩む。
「母よ。もう一度言うが、記憶は確かか。
私が持って帰ったカブトムシの幼虫をミミズの化け物と称しトイレに流し、
クワガタをゴキブリと呼んで虫かごごと窓から投げ捨てたではないか」
小学校4年生の夏、苦労して取って帰ったのこぎりクワガタを、カブトムシを
窓から捨てられた恨みは忘れられない。
「あ、あれは、そう、驚いちゃっただけなのよ。
い、今は、多分、平気よ。ほら、エコブームだし」
エコブームの使い方を間違えていると言うべきか。
しかし、母は解らないことはスルーする能力に優れている。
私と同じだ。
「そもそも、裏山は遥か昔に潰されて、
今我々が住んでいるマンションになったのは5年前だ。
のびのび大自然がどこにある」
裏山の大きな椚や楓の木々が倒されて、新地になり、山肌は削れ、
スマートでのっぽなこのマンションが建った。
我が家の跡地は駐車場に摂取され、一家そろって新築マンションへ引っ越した。
その時に、もう蛾や虫の被害に泣かなくてすむわって笑ったのは、
なにを隠そうこの母である。
「あら、電車で田舎の方へ行けば、どこかにあるわよ大自然」
そして手渡された虫かごと虫取り網、そして、どこかのスーパーで売っている、
安物虫取りセットが渡された。
そこで私はぴんと来た。
「翔也か」
「え? な、何のこと?知らないわよ?」
しらばっくれても、その目が泳いでいる。
こちらはすべてお見通しだ。
実は、みのりには7つ違いの兄が居る。
外見爽やかで学業そこそこ優秀、人当たりも良くてそこそこの人気者。
ここで重要なのはそこそこと言う点だ。
人気者には及ばないが、よく見るとなかなかにいいんじゃないと言われる典型だ。
断っておくが、これは褒め言葉だ。
彼は、妹の面倒も笑顔で受けるお人よしの面が強い優しい兄だ。
母の遺伝子と父の遺伝子のいいとこだけを取って生まれてきた母の自慢の子供である。
そこそこなので目立つわけではないが、地味に優秀なのだ。
大学も推薦で薬学部に入り、中堅どころの老舗製薬会社に就職した今も、
某有名研究室に手伝いに駆り出される優秀さだ。
別名ぱしりともいうが、それはそれだ。新人の滝行の様なものだ。
もちろん、私にとっても優しく賢い自慢の兄だ。
この兄が、学生の時に可愛らしい彼女と、うにゃうにゃして子供が出来た。
当時は、両家から責められ、負け落ち武者のごとくに項垂れて、
結果、兄は19で妻持ち子持ちとなった。
そんな兄に当時小学生だった私は、肩を叩いて真摯に慰めたものだ。
「兄よ。人生、諦めが肝心だ」
だってまだ19なのにと言いながら泣いていた兄に、私は優しく言った。
「避妊に失敗した時点で、兄は負け犬だ。
せめて甲斐性無しにならない様に頑張れ!」
ど、どこでそんな言葉を覚えてきちゃったの~と泣きわめく兄。
そんなものは兄の自称友人達が影でのたまっていたのを、
しっかりと覚えていたに決まっているだろう。
悪口と言うものは、とかく頭に残りがちなものなのだ。
まあ、そんなこんなではあったが、
運良く(?)兄の嫁になった佳代さんは、非常に頭の賢い素敵な女性だ。
こんな素敵な女性とは二度と巡り合えないかもしれないのだから、
子供も込みで素直に捕まえておくが利口な選択だよと言っておいた。
兄は単純ながらも、そうだよねと笑って円満に結婚したのだ。
そこに、にこにこと笑う義姉の企みが透けて見えるとは言わなかった。
義姉は、兄の泣き顔が大好物という立派なご趣味を持つ女性なのだ。
私も命が惜しい。
まあ、とにもかくにも、そんな義姉が馬鹿な嫁姑問題を起こすはずがない。
当然のごとく嫁姑の仲もよく、爺婆両家の中もそれなりに平穏無事であった。
子供も無事生まれて、その元気な男の子の姿に両家の爺婆共がダレたのも、
大いなる要因であったであろう。孫は偉大だと言うことかもしれない。
結果として爺婆共は、孫可愛さにその手におもちゃなりお菓子なりを持って、
毎週末のように兄夫婦の家を尋ねているらしい。
家が静かなのは助かるので、まあ、それはそれでいい。
今5歳になる翔也は、義姉に似て利発いうか元気のいい子供で、
不運なことに私にも何故か全力で懐いてくる。
何もしていないのに、私の周りをぐるぐる回るのだ。
バターになるぞと脅しても、きゃっきゃっと笑っている。
子供は本当に訳が分からない。
だが、そんな翔也の態度に爺婆の嫉妬の嵐が吹き荒れる。
爺婆が、おもちゃやお菓子を持って一緒に遊ぼうとにじり寄るのに、
翔也はにっこり笑って言うのだ。
「みのりちゃんと遊ぶ~」
いやいや、遊ばなくて結構だ。
私は張り付く翔也を引っぺがし、ソファの上に投げ飛ばしていた。
だが、翔也は泣くでもなく更にきらきらとした目で私を見上げ、
もう一回やってと息を弾ませてまとわりついてくる。
柴犬顔負けな可愛さにも、私は負けない。
「遊ばない。 爺婆に遊んでもらえ」
だが、私の本心からの言葉と態度を謙遜と取ったのか不遜だと感じたのか、
みのりちゃんは、しばらく学業に専念したほうがいいのではと、
私は、爺婆連合に兄夫婦のマンション出入り禁止を言い渡されたのだ。
義姉のつくる絶品シャーベットを食べれなくなるのには項垂れたが、
睨んでくる爺婆は鬱陶しいので、これはこれで夏休みを満喫できると、
気持ち穏やかにしたのはつい先日のことだ。
だが、私が行かなくなってすぐに、義姉からSOSコールがかかってきた。
何でも、今度は爺婆がお互いに張り合って喧嘩を始めたらしい。
電話の向こうで義姉はため息をつきながら、愚痴を言っていた。
愚痴ばかり聞くのはこちらにとっても精神状態がよろしくないので、
話題転換とばかりに、いくらか兄の近況や、
翔也の最近の出来事なども聞いたのは、昨夜のことだ。
兄はなかなかの業績を誇る製薬会社の研究室で働いているが、
秋に昇進するかもしれない内示がでたといっていた。
どうやら兄は甲斐性無しではなかったようだ。
我が兄ながら鼻が高いよ、よかったねと義姉に言っておいた。
そして問題はここからだ。
我が甥、翔也は、最近昆虫に嵌っているらしい。
クワガタやカブトムシの図鑑やDVDをみて、
凄いカッコイイと目を輝かしているそうだ。
流石子供である。あの黒光したボティは子供の心を鷲掴みするのだ。
母の様に、Gと一緒だなんてけっして口に出すようになってほしくない。
だが本題は、その図鑑やDVDを買い与えたのが義姉の爺婆だと言うことだ。
我が母は対抗意識に燃えていたと、確か電話で義姉が言っていた。
「母よ、翔也にカブトムシを与えると約束したそうだな」
母は、引き攣った笑いを崩して目をあちこちに彷徨わしている。
電話口の向こうで義姉が、そんなお高い物申し訳ないので、
無理しなくていいと言っていたのだ。
カブトムシがどこかに売っていて、
それなりの値段がするであろうことは予測が出来ていた。
「え、ええっと、その、ねえ」
何が、ねえ、だ。
確か、今日は朝から張り切ってデパートに出かけると昨夜言っていた。
財布の中に虎の子をいそいそ入れていたのを知っている。
ちらりと机の上を見ると、
小さく折りたたまれたデパートのチラシがあった。
『夏本番!お子様大好き昆虫大特価!』
そんな見出しが大きく書かれている。
この大特価という文句が曲者だ。
デパートの大特価が、自分の大特価の基準とあわないことはよくあることだ。
「それで、デパートでカブトムシを手に入れられたのか?」
そろりと後ろを向いていた母の背中がびくりと震えた。
しばらくその背中を待っていたが、返事が無いので私はテレビに視線を戻した。
やはり、無理だったらしい。
ここは、義姉の言葉の通りに諦めるが得策というべきだろう。
さて、どう母に切り出すかとちょっとだけ考えていたら、
母がいきなり私の背中に縋ってきたのだ。
「だって、だって、あんな小さい虫が一体10万って絶対に可笑しいわよ」
ほう、10万か。
それはさぞかし立派なカブトムシに違いない。
私はテレビを見ながら、その小さなカブトムシを思い浮かべる。
だが、想像が貧困なのか、頭だけ巨大なカブトムシが頭に浮かんだだけだ。
「つまり、買えなかったと」
「当り前でしょう。角が生えただけのゴキブリに10万も払えますか!」
母の印象はいまだにゴキブリから離れられないらしい。
カブトムシが実に哀れだ。
「そうか、では佳代さんにそれとなく駄目だったと伝えておこう。
それでいいか、母よ」
みのりはちらりと壁の時計に目をやった。
そろそろテレビで心霊特集が始まる。
暑い夏の定番の貴重な番組を見逃したくはない。
「いいわけないわ。あんた、何言ってるのよ。
駄目に決まっているでしょう」
暑苦しい、引っ付くなと母の手を引きはがす。
だが、母は相も変わらず執拗に手を伸ばしてくる。
「駄目と言っても無い袖は振れない。
ほんの少しあちらの爺婆に後れを取るだけだ」
暑い。いい加減放してほしい。
「何言ってんのよ!それが出来たら、私は今頃仙人か神様よ」
仙人と神様に謝れと言いたい。
「それではどうするのだ」
「簡単よ。あんた取ってきて!」
は?この暑い中を?
絶対に嫌だ。子供の頃はともかく、17歳になる私に、
冷房がない場所に進んで出かける自虐趣味はない。
「嫌だ。約束したのだから母が行くべきだろう」
自分の尻は自分で拭くものだ。
「母の私の言うことを、子供は大人しく聞いていればいいのよ」
そういって、私の首根っこを猫の子の様に引っ張り、
虫取りセットを私の両手に持たせ、私をぺいっと玄関の外に追い出した。
なんて理不尽なと怒る隙間も与えない。
この辺は我が母は私の対応に慣れていると言う事なのだろう。
「あ、これは電車代。3000円あれば足りるでしょ。
余ったらおやつに使っていいわよ。
でも、言っとくけど、その虫籠一杯に虫を持って帰るまで家に入れないから。
大丈夫よ。アンタは昔は野生児だったし、
どこかで野宿したって夏だもの、死なないわよ」
千円札を三枚、母はぴっと指で挟んで私の手のひらに握らせた。
ささっと、私が何時も使っているミニバックが足元に置かれた。
はっと気が付くと、
そのまま、キイっと錆びた間抜けな音がドアの蝶番から聞こえ、
バタン、ガチャと扉が無情に閉まった。
私は一応ドアノブを廻す努力をするが、やはり扉は開かない。
そして、はあっとこの夏一番の大きなため息をついたのだ。
3000円で、往復の運賃が出る範囲で、
カブトムシがいる山がどこかにあっただろうか、と頭を捻った。
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そうして今に至ると言うわけだ。