第五話
「地元の安心感」
プルルルルル。
何の音だ。電話か。鳴っていのか。出なきゃ駄目だろうな。体が重いのを我慢してベッドを立ち上がり電話に出た。
「11時です。まだチェックアウトしませんか?」
もうそんな時間か。健は時計を見た。本当に11時だった。
「します。12時に出ます。」
「わかりました。失礼します。」
そして電話を切った。ほんの少しの会話にも疲労を感じたのがわかる。人とかかわりたくなかった。
ベッドに戻るとしばらく横になって考えた。また緊張の一日が始まる。時間が止まって欲しいと思った。しかし、無情にも時間は進む。
家に帰りたい。パソコンを触りながらこれからの事を考えよう。
それまでホテルで12時までゆっくりしよう。
健は目をつむった。
暗闇だ。とても深い。
青山さん。先輩の分まで生きてやるから。
この日記遂行が終わったら、青山さんの会社に本当に勤めにいくよ。
そして青山さんの家族のフォローをしたい。安心して成仏してくれ。
目を開けると早くも11時50分だった。健は少ない荷物をまとめ部屋をでた。
そしてカウンターに会計を済まし、ホテルを出た。
振り返った。
ホテルに泊まるのは小学生以来だった。
あこがれていた。しかし家族で旅行する事もめったにない。
ホテルを利用する事などこの先あるかわからないと健は考えていたがまさかこんな形で利用するとは夢にも思わなかった。
今度は楽しい思い出をこのホテルで過ごしたいと思った。
ホテルに背を向け駅へ歩き始めた。
家に一刻も早く帰りたい。切符を買ったとき、
「まもなく名古屋方面快速急行、岐阜行きが到着します。」
アナウンスを聞いて、健は走った。そして駆け込み乗車をした。
少し息が上がっている。
健は地元名古屋に着くまで30分間立ちながら外の風景を眺めていた。
電車はやっぱり早い。あっという間に風景が流れていく。
山が見えて、河が見えて、民家が見える。あそこには大きなタワーがある。
観覧車もあるんだ。
風景を観察しているうちにアナウンスがなった。
「まもなく、有松、有松。」
健は少し余裕が出てきたのだろう。
青山が死んで、ショックが大きくて、落ち込んでいたが、今は平常心だ。
たまに青山の事を考えるが対して思い込まないまでになった。
駅を出て、徒歩10分のところに家がある。
見慣れた風景だ。見慣れた家、見慣れた木、見慣れた市役所。
地元に帰ってきた。短い期間だったがかなり地元から離れていた実感を感じた。
家が見えてきた。一安心した。
玄関を開けた。鍵はやはり掛かっていない。無用心だ。
そして急ぎ足で階段を上り部屋に入った。
もっとも安心できる風景が広がった。
大の字になってベッドに倒れこんだ。
つかれた・・・
「闇の住人」
部屋のベッドは気持ちよかった。
やっぱり部屋は落ちつく。
ずっと感じていた緊迫した緊張感が序所に安らいでいくようだった。
このままずっと寝ていられていたらどれだけ幸せか。
そう考えた時、思った。自分は変わらなければならない。
死んでいった青山や杉浦のためにも。
前みたいにニートの生活に戻るのは絶対に駄目だ。変わるんだ。
そして、健はベッドから立ち上がり、パソコンへ向った。
ニュースを検索し、青山の記事を探した。
2日で100近くの事件があるんだ。この世の中怖いものだらけだと感じた。
・・・あった。青山の記事だ。
「岡崎市藤川町の川口公園で作業員青山強(36)が拳銃で自殺。動機や詳しい事情はまだわかっていない。」
この記事を見て、軽く混乱した。
目の前にあるニュースに自分が関与しているなんて信じられなかった。
芸能界、テレビ、ニュース、自分にはまったくの無関係だと思っていた。
少なくとも今までの健には無関係だろう。
青山の家族が気になった。
事が片付いたら会いに行こう。
しかしそれは無理かもしれない。次で絶対に捕まる。
社長殺しなんて素人に出来るわけない。でも刺し違えても社長だけは殺す。
桐原社長の殺害計画を考えた。
殺人へ残された時間はあと二日。そして三日からはまた周りの人間が死んでいくのだ。
のんびりはしてられない。一刻も早く計画を立てて実行しなければ。
しかし案が思いつかない。
「裏の住人」がチャット仲間にいる。聞いてみるか。
すると健はパソコンを起動させチャットの画面を出した。
「チャット内容」
けん=ゴメン寝ていたかな?
りゅう=別に。てかお前この頃外出しているのか。ニートの癖に。
けん=なんで知っているの?
りゅう=様子でわかるよ。パソコンをログインしない日が続いただろ?
お前は家族に関わりをもってないから、家の用事でパソコンが使えないなんてないだろ。
そうなると外にいる以外ないだろ。
けん=へぇ。よくわかったな。
りゅう=余裕だって。ていうかなんか相談あるのだろ?
わざわざ久しぶりにログインしてきて、いきなりチャットを誘うぐらいだからな。
けん=そうなんだよ。ていうかりゅうは、やくざ関係の仕事をしているのだろ?裏の人間って訳だ。
りゅう=裏というか、正しく生きるのに飽きただけ。
けん=そんなりゅうに相談があるんだ。
りゅう=ニートなんかの頼みは期待できないな。
けん=もうニートはやめるかもしれないな。それぐらいの状況に追い込まれた。訳は言わないけどな。
りゅう=興味でてきたな。予想だが、外出中に起きた出来事だろ?
けん=そうだ。
りゅう=ニートが外になんかでるからだ。
けん=いろいろあるんだよ。
りゅう=もういいから早く内容話せよ!
けん=このチャットは完全に監視の目とか気にしなくていいんだよな?
りゅう=当たり前だ。でもそんな事気にするあたりがよっぽど凄い出来事なんだろうな。
けん=エネルギーの社長を殺すんだ。殺し方を相談しに来た。出来るだけ俺との結びつきを遅らせる。
りゅう=ww
けん=マジだぜ
りゅう=・・・
けん=いろいろと訳があるんだ。ニートの大冒険って奴だ。なんで殺さなくちゃいけないかはいえない。俺の命にかかわる。
りゅう=しねよおまえ。
けん=どうしたら信じてもらえる?
りゅう=しょうこを見せろ。
けん=わかったよ。じゃあ中川区の笠月の空き地に行って、土管の横の一番大きい木を掘り起こしてみろよ。死体が埋まっているんだ。
りゅう=すぐ近所じゃないか。
けん=見に行けよ。
りゅう=わかった。もしあったら拍手してやるよ。なかったらお前のパソコン壊して、お前のプライベートを全世界に公表する。脅しじゃないぜ。
けん=上等だ。
「りゅうという人間」
りゅうがログオフして2時間がたった。りゅうは偶然にも名古屋市民で偶然にも、杉浦を殺した空き地のすぐ近くに住んでいる。りゅうが近くの中川区に住んでいた事はずっと前から知っている。杉浦がそこで死んで、あとでこの偶然に気づいた。偶然という恐ろしさに恐怖を覚えた。
死体はまだ発見されていないはずだ。それはいまだにニュースが公表されていないからわかる。しかし、もし死体が発見されてまだニュースが流れてないだけだったとしても、警察関係者がうろついているだろう。それをみてりゅうは健の言っていたことが本当だと気づく。
ピンポーン。りゅうを待つ事3時間。パソコンがなった。りゅうがログオンしたらしい。
りゅう=どうやって殺した?
けん=ナイフ
りゅう=そんなのじゃ死体発見されたらお前なんか簡単に結びつくぞ。
死体の傷口でナイフが凶器だとわかるだろう。
もし傷口から刃物に結びつく物質が万が一、発見されたら、どんなナイフが使われたかわかる。
そのナイフが購入できる場所は?近くに武器を取り扱う店は?それ以外にも現場にお前の髪の毛一本でも見つかれば、DNA鑑定とかで、何歳ぐらいの毛なのかとかもわかる。
・・・ってまぁこれではまだ詰めがあまいが、これ以上に警察は捜査してくる。捕まるのは時間の問題だ。
けん=捕まるのは怖くない。俺は社長を殺さなければならない。
りゅう=本気のようだな。お前もこっちの世界の住人になるのか。
けん=今はそういう事になるだろうな。
りゅう=詳しい事は会って話そう。大丈夫だ。危険性はない。
けん=危険もなにも俺はお前を信用しているし、何にも問題はない。
そういうとけんとりゅうはお互いが認知しているレストランで待ち合わせをした。
りゅうとは裏の掲示板で知り合った。検索エンジンにもかからなく、アドレスは特定の人物しか絶対に入手できない掲示板だ。
気が合うし、怖いけどスリルがあった。そしてメッセンジャーチャットを始めた。
歳は同じ年だった。かなりのエリートコースを小さい頃から歩んでいるらしい。かなり頭がきれる。
しかし大学を中退して、裏の道へ進んだ。そんな彼を健は信頼していた。
健は部屋を出て、喫茶店に向った。やくざがらみの人間と会うのは怖かった。
よく知っているりゅうでもだ。
レストランに着き、席にすわってりゅうを待つ事にした。
「赤い丸い時計が目の前にある席に来てくれ。」
健が提案した。
レストランで水を飲みながらそとの風景を見ていた。人が歩いている。
会社帰りだろうか。サラリーマンが早歩きで駅方面へ歩いている。
派手な服をした女性も見える。
人を待っているのだろうか。ちらほらと時計を見ている。
その横には女子高生が3人でたまり込んで喋っている。
健に移る人はみんな穏やかそうな顔をしていた。
ちゃんと働いて、ちゃんとした生活を送っているのだろう。
なんの悩みもなさそうに見える。
いつからこの人達と俺とでこんなにも人生に差が出たのだろう。
命をとられる心配もしないで洋々と生きているこの人達と、殺さなければ殺される恐怖と日々戦っている俺。
いつから人生が狂ったのだろう。
高校卒業して、進学がめんどうで、フリーターになって、バイトをクビになって、部屋に引きこもって。そこからか・・・俺の人生が乱れたのは。おそらく、俺の残された人生は刑務所かあの世だ。
高校時代に戻りたい。
そして就職か大学に進学して、人並みの生活を送りたい。
そう考え始めるときりがないと思い、水を一気に飲み干し、考えすぎによう自分に言い聞かせた。
10分が立ち、黒いパーカーでフードをかぶった男が現れた。フードの陰で顔が上手く判別できない。
「お前が健か。」
「そうです。」
恐々と答えた。
「こっちへ来い。」
そういわれると、レストランを出て、黒いパーカーの男に付いていった。
「ここじゃ目に留まるだろ。安心して喋れるところに連れてってやるよ。」
「りょうか。」
「ああ。」
安心した。やはりりょうは風格が違う。
健は少し恐怖を感じていた。りょうとは初めて会う。
ネットの世界の人と実際にリアルで会うのは初めてだ。
よくこういう口の犯罪は起きているが、そんな悠長なことは言っていられない。
だから会うと言われたときすんなりと承知した。
りょうの車にのりどこかへ向った。どこへ連れて行かれるんだろうか。
「お前も災難だな。」
「え?」
「お前命狙われているのだろ?」
りょうに言われたとき一瞬鼓動が高鳴るのが感じた。
日記の内容は絶対に知られてはいけない。こいつに相談するのは殺し方だけだ。
「ああ。」
「どこの組の奴だ?」
必死に健は隠そうとした。
「知らないよ。知っていたとしても教えられない。チャットで行っただろ?」
そういうとりょうは少しばかり表情が曇った。しかし別に対して気にしてはいなかったようだ。
「ならいい。言わなくて。今から行くところは安心して身を隠して喋れるところだ。」
「隠し基地」
車を発進させて30分が立ち、ある大きなビルの前に車を止めた。
そしてそのビルに入りエレベーターに乗った。
「ここの事は誰にも言うなよ!」
そう言うとりょうはボタンを連続して5回押した。1階ボタンと3階ボタンと5階ボタンと7階ボタン。そして最後にまた1階ボタンを押した。
何やっているんだ?少し疑問を持ったがその答えがすぐに出た。
このビルに地下はない。エレベーターも地下には繋がってないし、エレベーター横の階段も上り階段しかなかった。
しかし沈んでいくのがわかる。地下に向っているのだ。
そして扉があいた。
目の前には一本の道がある。
道の横には部屋がいくつもあり、道の突き当たりに一番豪勢な扉が見えた。
「俺の組の隠し基地だ。」
着いて来いといわんばかりに先に歩き始める。そしてエレベーターから見て奥から4番目の扉を開けた。
普通のホテルルームと変わらないぐらいの部屋があった。
そこにあった椅子にりょうは腰掛けた。
そしておもむろに口を開き始めた。
「さぁ訳を話してみろよ。何で命が狙われているのかは話せないのだろ?それはいわなくいい。」
健は暗い表情を見せながら答えた。
「俺も話したいよ。全部ぶちあけたい。しかし俺の身の回りでおきている事はお前も信じられないぐらいの事なんだ。」
りょうは少し笑みを見せて答えた。
「よくわからんが、まぁいいさ。話さなくて。」
そういうとりょうは立ち上がりグラスを二つだし、冷蔵庫からビールを一本取り出した。
「少し飲んだほうが俺は頭がさえる。」
「そうなのか。俺、アルコールは駄目なんだ。」
それを聞いたりょうはグラスを一本しまい、缶を開けて、ビールを注ぎ始めた。
「それで、エネルギーの社長を殺すんだろ?」
「ああ。」
真剣な表情でりゅうは聞いた。
「社長を殺すって事はどういう事かわかるのか?社員全員を混乱させ、財政状態をメチャクチャにするんだぞ?わかっているよな?」
それを聞くと少し鼻息を荒らし、答えた。
「もちろんだ。覚悟はとっくの昔に出来ている。」
「そうか。ニートのお前がよくぞ決心した。」
少し強張った口調で答えた。
「時間がない。あと二日で殺さなければ、俺の周りの人間に被害がくる。」
日記の内容を言うすれすれの所を話している。高い崖から綱渡りをしているようだった。
「そうか。お前自身以外にも周りの人間も殺すと脅されているのか。厄介だな。どこの組かわかんないんじゃ太刀打ちできないし。命令を聞いて、社長を殺すしか道はないな。」
「どうやって殺そう。」
りゅうは少し考えて、答えた。
「社長と会う事すら不可能だ。」
予想していた事を言われた。
「やはりな。」
そして次に意表をつく発言をしてきた。
「しかし、殺す事は可能だ。」
健は驚いた表情でりゅうの顔を見た。
「遠くから銃で頭を打ち抜くんだよ。」
健はむきになって答えた。
「そんな事が俺に出来る訳がないだろ!」
健は困り気味に言った。しかしりゅうは反論した
「それしか俺が考える限り殺すすべはないと思う。」
黙り込んだ。
「お前はまったくあの会社と接点がないのだろ?残り日数も限られている。これしか思いつかない俺は。」
「わかってる。わかってはいるけど。。」
そういうと健は黙り込んだ。
ホテル並の綺麗に整えられている部屋の中でふたりを沈黙が包み込んだ。
引きこもりでニートだっただけの何のとりえもない俺が、狙撃なんて出来るわけがない。一発でもはずしたらもう殺すチャンスはなくなる。
そうなるともう何もかもが終わりだ。
「やっぱできない。俺に狙撃は無理だ。運動とかもほとんどした事がないんだ。俺はただのニートなんだ。」
がっかりしたようにりゅうはつぶやいた。
「何だよ。殺人まで犯しておいて、その言い草はないだろ。ここまで来たのだからそれぐらい根性で乗り切れよ。」
健は反論した。
「それとこれとは別だ。これは俺の命に関わる事だ。ばくちみたいな一世一代の賭け事はゴメンだ」
「・・・わかったよ。考えてみたら狙撃なんて素人に出来るわけがない。」
りょうは少し間を置き考え込んでいた。そしてりょうは口を開いた。
「ようするに、桐原社長が死ねばいいんだろ?」
「ああ。」
「うちの組の狙撃手に狙わせてもいいぜ。」
健は予想外のりゅうの発言に驚きを隠せない。
「本当か?それなら助かるよ。」
「でもただでは動かないだろうな。」
健は少し落胆した。やくざを動かすネタなんて何もない。
「何すれば動いてくれるのかな?」
「それは俺もわからない。」
・・・何をしたら組が動いてくれるか。それをふたりで考え続けた。
地下だから外の様子が把握できない。だから今昼なのか、朝なのか、夜なのか、時計がなくては完全にわからない。
時間は8時を示している。しかし、朝の8時といっても疑問を抱かない。
それぐらい時間の感覚が狂っているようだった。
眠気も来ない。まるで日が進まない世界で生きているような感覚だ。
そんな事を考えているうちにりゅうが大胆不敵な発言をしてきた。
「やくざの幹部に会わせてやるよ。待っていても仕方がない。説得しろ。」
「何を言ってる。そんな事できるわけない。」
りゅうは少しいらだちを出し始めた。
「そんな事言ったら何も始まらないじゃないか!お前は死ぬんだぞ!お前の周りの人達も死ぬ!そんな悠長な事言っていていいのか?」
健は黙り込んだ。まったくその通りだと思った。
「わかったよ。幹部に会う。」
そう言うと二人でりゅうの部屋を出た。
幹部の部屋はまっすぐ行った一番豪勢な扉の部屋だという。
そこへ向って健とりゅうは歩き始めた。
りゅうはノックをした。
健の心臓がバクバク音を立てている。
熱が出そうだ。やくざなんかドラマの世界の話だと思っていた。
見た事もない。聞いた事もない。健とは完全な別世界の人間だ。
そのやくざをこれから説得するんだ。
ある社長を殺してくれと。何のメリットもない殺しを頼むのだ。
何千万の大金があれば別だが、そんなものはない。どう説得するのだ。健はかつてないほどの緊張をしていた。
「根性」
「すいません。やすひこです。」
りょうは偽名だったのか。本命はやすひこって言うのか。
「・・・なんだ。」
いかにも怖そうな声が聞こえた。
「ある相談事があります。」
「・・入れ。」
「ありがとうございます。」
そう言われるとりょうは扉を開けた。そこは健が見たことがない世界だった。置物やらなにやらいろいろと骨董品が置いてある。人が三人椅子に座っていた。
「まぁ座れや。」
「失礼します!」
りょうが言うと、風格のある、一番豪勢な椅子に座っている人の前に座った。この人が多分幹部の取締役だろう。この親玉の横に他のふたりが座った。2対3の形になった。
「なんだ相談って。久しぶりの休日によ。」
「まことにすいません。何しろ時間がないというもので。」
そういうとりょうは健の肩を持った。
「こいつ、健といいます。こいつの話を聞いていただけませんか?」
「ああ?堅気か?堅気なんかと話す事はない。帰れ。」
そういわれてもりょうは引き下がらない。
「こいつは俺の親友です。命が危ないんです。話だけでも聞いてください。」
「ほほう。親友ねぇ。」
そう親玉がつぶやいたその時だった。親玉の横に座っていた男が立ち上がって、りょうの胸倉をつかんで叫んだ。
「てめぇ堅気に親友なんてもってんじゃねぇよ!ぶっ殺されてぇか!」
「おい。ぎゃあぎゃあ騒ぐな。手を離せ。」
りょうが反発した。親玉にはへこへこしていたが、りょうは横のふたりとは対等の権力をもっているのだと健は思った。
「なんだと!」
もう一度横のやくざが叫んだ時に、親玉が口を開いた。
「・・・やめねぇか。」
つぶやくようにして言った。ボリュームもなく、迫力もないが、その言葉だけで健は動揺していた。圧倒的な圧迫感だった。恐怖心をあおる。これがやくざなのか。
「堅気の話なんか聞く気になれねえが、やすの頼み事なら仕方がねぇな。こいつには相当お世話してもらってるからな。こいつらふたりよりもよっぽど役に立つぜ。」
その言葉をきき、りょうはかなり裏の世界でのし上がったのだと少しばかり感心した。
「ありがとうございます。」
「おう。早く話せや。」
「はい。早く話せよ健。」
こんな調子で本当に喋る事が出来るのか?そう思いながら健は口を開いた。
「あの、ちょっと厄介な事に巻き込まれまして。命が危うい状態です。」
「僕は命を狙われています。」
「命ねぇ。」
親玉が率直に聞いてきた。
「誰に命を狙われている?」
なんて答えればいいのだ。日記の遂行のためだと言えば、間違いなく反感を受けるうえ、健は死ぬ。やはりここは隠すしかなかった。
「わかりません。というよりは言えません。」
正直に答えた健に親玉はムッとした。
「わからない?どういうことだよ。舐めてんのかお前。」
健は親玉の迫力に失禁を起こしそうだった。怖い。
「舐めていません。いえないのはこっちの事情です。この事情も命に関わります。この事を誰かに話せば俺は死にます。」
「夢みたいな事いってんじゃねえ。てめえ今ここで死ぬか?」
恐怖が健をあおる。
「俺はまだ死ぬわけにはいかないのです。だから誰に命を狙われているのか、この俺が抱えている真相は誰にもいえないのです。もちろん、やすにも言っていません。」
親玉の口調が序所に荒々しくなってきた。
「そんな事で俺が相談のれると思ってるんか?」
「のっていただかないと僕はおそらく死にます。」
親玉はつぶやくようにしていった。
「堅気の命なんて関係ない。帰れ。」
「嫌です。」
きっぱり言ってしまった次の瞬間だった。両端のやくざが健をつかんで部屋の隅までひっぱりだした。そして腹を一発殴った。
健はもだえ、地面に倒れた。それをふたりは足で踏み続けた。何度も何度も。
健は暴力を受けるのは生まれて初めてだった。
「おいやめろよ!」
そういってりょうが止めに入るのを親玉は止めた。
「やらせておけ。坊やはこの世界を知らなさ過ぎる。」
健はふたりのやくざに殴られ続けた。
口に血の味が広がり、腕は動かない。服を見てみると血で染まっていた。
「その辺にしておけ。死ぬぞ。」
親玉が健の方に歩いていった。
「おいぼうや。どうだこの世界は。」
健に聞いた。
「暴力なんて俺の今の状況に比べたらなんともない。気が済むまで殴れ。そうして俺の相談にのってくれ。」
親玉は無言だ。
「おっし、お望みどおり殴ってやるよ!」
そういってふたりは殴り始めようとした時だった。
「やめねぇか。」
親玉が止めた。次の出る言葉に健は愕然とする。
「指詰めろ。それでお前の願いはすべて聞いてやる。俺はお前が気に入った。事情はもうどうでもいい。その代わりこの世界でのルールでな、上のものに意見や命令口調を聞くとな、罰を受けなきゃいけねぇんだわ。」
りょうが止めに入る。
「やめてください。親方。こいつは堅気なんです。この世界のルールは利きません。」
親玉はりょうを睨んだ。
「お前の意見なんて聞いてねぇんだよ。てめぇも指つめるか?」
りょうは一歩下がり、土下座をした。そして社長は健を見た。
「どうするんだ。つめるのかつめねぇのかどっちだ?つめねぇんだったらお前の医者代ぐらい俺が出してやる。その代わり帰れ。もしつめる度胸があるなら、俺はお前の言う事を利いてやるよ。」
健は即座に答えた。迷う理由はない。
「つめさせてください。」
「儀式」
健の周りをやくざが囲む。かなりの人数だ。全員黒スーツに柄シャツだ。
親玉と健で机を挟んで座っている。そして、刃物と木板が置いてある。
「麻酔は無しだ。そのまんま自分の指に一直線に突き刺せ。」
健は無言だ。緊張している。
「どの指でもいいぞ。この世界の常識としては大抵小指だな」
「俺は別に腕を落としてもいいぐらいです。願いを聞いてくれるなら。」
親玉は少し驚いた表情を見せて椅子に深く座りなおし、ゆっくりと口を開いた。
「・・・いっちょまえの口を利くじゃねえか。もし本当に腕に刺す勇気があるなら俺はお前を尊敬するぜ。腕を切り落とすって事がどんな事かわかってんのか?人生の半分以上の快楽を失う。行動範囲も狭くなる。そんな人生お前は絶えれるか?悪い事は言わない。小指ぐらいにしとけ。」
親玉の言葉にまたしても上乗せした。後戻りはできない。
「俺が置かれている状況はこんなちっぽけな事じゃありません。」
「ほう。」
健は黙々と喋り始めた。
「俺の為に俺の周りの人間も死んでいくのです。現に俺はふたり殺しました。そして高校の時の友達と教師も死にました。これからどんどん人が死んでいくのです。俺のせいで。こんなことでいいならいくらだってしますよ。」
親玉は間を置いて真剣な表情で言った。
「・・・じゃあ腕を落とせよ。落としたらお前の人生俺がしょってやる。」
周りのやくざがざわつき始めた。しかし健は言った。
「言う事を利いてくれるだけで良いです。腕は落とします。」
「・・・いい根性だ。虚勢はほどほどにしてやってもらおうか!」
23年使い続けてきた左手もこれでおさらばだ。これぐらいの代償は追わなければならない。これで桐原社長が殺せるなら本望だ。
そして青山達が死んだ事が報われるかもしれない。
健は刃物を持ち、左手の手首の20センチぐらい下を狙った。
ここをさせば間違いなく腱が切れ、腕は動かなくなるだろう。
そして力を込めた一直線に右手をまっさかさまにおろした。
・・・え?
やくざ一同が騒ぎ始めた。
そして親玉が拍手をする。それにつられて周りのやくざもざわつきながらも拍手を始めた。どう言う事だ?腕はちっとも傷ついていない。
刃物を見ると刃先が引っ込んでいた。これはおもちゃだったのだ。
親玉は口を開く。
「いい根性だ。気に入った。お前の言う事聞いてやるよ。健。」
そして改まってりゅうにいった。
「堅気の人間にも根性が据わっている奴もいるんだな。面白い親友を持ったな。」
「信じられる」
親玉の部屋で健の怪我の治療をした。顔中、痛々しい傷が残る。右手が動かなかったのは脱臼の疑いがあると親玉が部屋に呼びつけた医者に言われた。安静にしろとのこと。
もちろん怪我の詳細は医者には伝えなかった。
医者は暴行で負った傷だと感づいているようだが、やくざの組相手に怪我の事をしつこく聞く勇気はこの医者にはなかったようだ。だから健の治療をした後暴行の事には一切触れず、すぐさま帰ってしまった。
親玉が周りにいたやくざ達を部屋の外へ追い出した。
そして親玉は真剣なまなざしで健に問い詰めた。言葉には先ほどには感じられなかった、暖かでやさしい喋り方だ。
「もう野次馬はいない。お前に文句言うやつはいない。話したくない事は話さなくていい。ちょっとずつお前の周りで起きている事を教えてくれ。」
健はおもむろに口を開いた。
「ありがとうございます。話せる範囲で言います。」
「おう。」
健は言葉を選びながら答えた。一つ間違えば死だ。
「ある怪奇現象が僕の身の周りでおきました。」
親玉は不思議そうに聞いた?
「怪奇現象?なんだそれは。その内容もいえねぇのか?」
健はすぐさま答えた。
「はい。すいません。その怪奇現象で俺は人殺しを命令されました。すでに2人殺しました。一人はナイフで刺し、空き地に埋めました。ニュースで報道されていないので警察にはばれていないのではないでしょうか。一人はこの手であやめた訳ではないのですが、自殺に追いこみました。」
親玉は男気のある言葉で健を同情した。
「俺でも人は殺した事がない。お前、いろいろと苦労したんだろうな。死んだ奴の魂を背負う事になっちまった。気の毒だ。」
健は話を続けた。
「それであと一人を殺さなくちゃいけないのです。殺さなければ、僕の身の回りの人間が殺されていきます。そしてその後には自分も殺されます。だから僕は周りの親しい人や自分を守るためにあと一人を殺さなくちゃならないのです。」
少しばかり思いつめた顔で健に聞いた。
「お前の話は全部信じる。しかしこの現象って奴は俺の組が動いて解決できないのか?」
健はゆっくりと答えた。
「悪いのですけど、できないんです。親方の組がどうこうじゃなくて、これは誰にもどうする事はできません。あと一人を殺さない限りこの怪奇現象は解決しないのです。」
「夢見たいな話だ。お前以外の人間がこの事を喋っていたら間違いなく信じない。お前だから信じられるんだ。」
健は親玉の暖かみを感じた。やくざという肩書きではあるけれども、ほんとにいい人だと思った。
「わかったよ。これ以上はきかねぇ。どんな状況で何がお前を苦しめているのかは全然わかんねぇけど、それ以上は話せないんだろ?」
「・・・はい。その通りです。」
親玉は息を吸って、少しボリュームを上げた声で言った。
「よしわかった。お前に手を貸そう。お前の言う事を聞いてやるよ。大体どんな願いかはわかるよ。そのあと一人って奴を殺して欲しいって相談だろ?」
「そうです。」
そして親玉は少し口元を緩めて言った。
「わかった。その一人の暗殺に力を貸すぜ。」
健はほっとした。こんな怪我を負ったかいがあった。おもちゃではあったが、刃物を腕にさしただけある。そしてもうすぐ終わるのだ。この日記遂行も。殺人も。
・・・終わりが近い。健はそう思っていた。思いたかった。