第22話:鏡の中の自分
パァァンッ! と、乾いた硬質な木の音が部屋に響き渡る。
レベル8まで上がった実力と、浩之から教わった基礎フォーム。とはいえ、最初の数分間、レイアはただ防戦に徹することしかできなかった。
同じ速さ。同じ力。同じ剣。
相手は完全に自分自身だ。踏み込みの速さも、剣の重さも、自分が一番よく知っている。だからこそ、決定打に欠け、勝機が見出せない。
「……っ!」
攻撃を受け流しながら、レイアは必死に観察する。
目の前にいるのは自分だ。なら、次にどう動くか分からないはずがない。何十回目かの打ち合いの中で、ふと強い違和感に気づいた。
ミラーレイアの踏み込みは、少し大きい。剣を振りかぶる時、肩が先に不自然に動く。
(あ……分かる)
さっきまでの自分なら、そのまま打ち合って弾かれていたはずの攻撃。だが、今ならはっきりと『来る』のが見える。
「……ここっ!」
大きく振りかぶった木剣を、紙一重でかわす。
そして、ガラ空きになった懐へ一歩踏み込み、鋭い一撃を叩き込んだ。
パァンッ!
鏡の少女の腕が弾かれ、体勢が大きく崩れる。
「……私の弱いところが、全部分かる」
レイアは浅い息を整えながら、再び正眼に構え直した。
力は変わっていない。速さも変わっていない。それでも、明確に戦い方が変わった。
ミラーレイアは「部屋に入った瞬間の自分」をコピーしている。しかし、今この瞬間、極限の打ち合いの中で成長し続けているレイアの動きまではトレースできない。
さっきまでの自分なら避けられなかった攻撃が見え、届かなかった一撃が届く。自分が、さっきまでの自分を超えていく。
「いきますっ!」
その瞬間、レイアの中で突然何かが変わったわけではない。
ただ、今まで見えていなかったものが、見えるようになっただけだった。戦いの中で積み上げた経験が、彼女の中に眠っていた才能を確かな形へと変えていく。
レイアは着実に、自分自身の影を圧倒し始めた。
少し離れた場所でその様子を横目に見ていた浩之は、飛躍的な弟子の成長に内心で舌を巻いていた。
(……たった数分で、自分の動きの癖を客観的に見抜いて修正しやがった。さすがは勇者……恐ろしいほどの戦闘センスと成長速度だ)
ただレベルという数値が上がっただけではない勇者としての本質的な才能が、今この試練で完全に開花し始めている。
(俺はただの一般人のおっさんだけどな……弟子の手前、負けてられないな)
浩之は小さく息を吐き、気合を入れ直すように正面へ向き直る。
その背後で、パァンッ、と一際高い音が鏡の壁に反響した。
レイアの木剣が、ミラーレイアの喉元すれすれでピタリと止まる。切っ先が触れる寸前、鏡の少女の膝がガクンと崩れた。
「……っ、はぁ、はぁ……」
肩で息をしながら、レイアは剣を下ろさない。相手が完全に沈黙するまで、あと一歩も動かせないと分かっているからだ。ミラーレイアはガラスの瞳でこちらを見上げ、やがて霧のように四散した。
膝に手をついたまま、レイアはしばらく肩を上下させていた。それだけだった。勝った実感は、汗の量と息の荒さでしか測れない。
「よし、あっちの訓練は問題ないな」
浩之は小さく呟き、自分の戦いへと意識を戻す。
「……さて、俺の方はどうだ」
正面には、無表情のミラーヒロユキが立っている。二人とも装備は何もない。素手と素手。
「俺のステータスがそっくりそのまま反映されてるなら、腕試しには丁度いい」
口の端を上げたのは、余裕からではなく、癖だ。緊張すると笑う。三十九年間直せなかった悪癖の一つだった。
(同じステータスなら問題ない。今まで通り、速さと力で押し切ればいい)
ドムッ。
床の鏡面が爆ぜた。二つの影が交錯する。
ドガァンッ、ガキィンッ――。
拳と拳がぶつかるたび、鏡の壁が飴細工のように砕けていく。表示上はレベル8の僧侶同士。だが浩之の膂力85、俊敏75というバグじみた数値をそのままコピーしたミラーヒロユキもまた、規格外の暴力を振るってきた。
数十合。
浩之の呼吸が、最初に乱れた。
「――くそ、キツいな」
右ストレート。フェイントを混ぜたフック。渾身の踏み込みからの掌底。何を出しても、同じ速度、同じ角度、同じ力で返ってくる。
殴られた場所が痛い、というより、殴られる前に「ここに来る」と分かっていたはずの予測が、ことごとく外れていく感覚のほうが気持ち悪かった。
(――待て)
浩之は右足を軸に半歩下がりながら、頭の中で条件を並べ直す。
一、ステータスは完全に同一。二、リーチも同一。三、なら差が出るとすれば――。
バキッ。
思考を挟んだ分だけ反応が遅れ、頬骨の脇に鈍い衝撃が入った。歯の裏で血の味がする。ミラーヒロユキは表情を変えない。当たり前だ。痛みも疲労も、あちらには意味を持たない。
(――技術か)
ようやく言葉にできた。だが言葉にしたところで、今持っている引き出しは空だった。
浩之はこれまで、速いから避け、強いから押し切ってきた。それだけで大抵のものはどうにかなった。相手の重心を崩す、力を受け流す、そういう洗練された何かを、一度も練習したことがない。
殴り合いの技術というより、殴り合いの『経験』そのものが足りない。ステータスという鎧を脱がされた瞬間に、それが丸裸で露呈している。
「……なるほど、な」
かわしたつもりの右フックが、脇腹を掠める。肺の空気が半分抜けた。
(同じ力を持つ相手に、力でしか勝てない戦い方は――)
鏡の中の自分と、拳を交差させたまま睨み合う。
一瞬、ミラーヒロユキの口の端が、笑ったように見えた。錯覚かもしれない。表情筋なんてコピーされているはずがない。だが、そう見えた。
「……いい性格してるじゃねえか、俺」
大きく息を吐き、バックステップで距離を取った。乱れた息を整える間もなく、拳を握り直す。掌の皮が裂けているのが分かる。痛みの種類が違う。今までの、モンスターを殴った時の痛みとは違う質の痛みだった。
(このままじゃ勝てない)
そう認めるまでに時間はかからなかった。悔しさより先に、妙な納得の方が来た。
素手だけの自分。ステータス任せの自分。その限界を、この鏡はご丁寧に再現してくれている。力でゴリ押すだけの戦い方は、いつかどこかで、こういう形で必ず突き当たる。
「――俺を倒すには、俺以上に俺を知る必要があるってわけだ」
口に出してから、自分でも笑えた。
「なら、俺が俺である理由を使うだけの話だな」
インベントリの空間を開く。
「お前は俺の身体はコピーできても、あっちの世界から持ち帰った分まではコピーできないだろ」
光の粒子が集まり、身体に重い金属の感触が食い込んでくる。
【――『プロトタイプ・バスタースーツ』、装着】
黒と銀の装甲が肩と胸で噛み合う音。可変バスターウェポンは、あの最終決戦で大破して失われたままだ。それでも、ピクセル博士の工房で嗅いだ油の匂いまで、一緒に思い出した気がした。
チートといえばチートだ。否定はしない。だが、力だけで勝てなかった相手に対して、自分が持っている全てを使うのは逃げではない。武器が壊れていようが関係ない。これを寄越したのはピートで、リボンで、博士だ。あっちの世界で、あっちの理由で、ちゃんと積み上げてきたものだ。
「これで終わりだ」
ウェポンはない。だが、スーツの出力は生きている。
浩之は背部のスラスターを全開にして跳び、残された機械動力を限界まで乗せた拳を振り下ろした。
重力とスーツの推進力を一つにした必殺の重撃。ミラーヒロユキが構えを取った、その防御ごと粉々に砕けて、無数のガラス片になって崩れ落ちた。
「……ふう」
肩で息をつきながら、スーツのロックを外す。インベントリに収めながら、拳を開いたり閉じたりしてみる。皮の裂けた感触はまだ残っていた。
(レベルとステータス頼みじゃ、いつか本当に足りなくなる……)
言葉にする前に、体が先に理解していた。技術という引き出しの空っぽさは、殴られた回数の分だけ、はっきりと骨に刻まれている。
「ヒロユキさん、やりました! 私、一人で勝てましたよ!」
振り返ると、木剣を握ったレイアが駆け寄ってくるところだった。前髪が汗で額に張り付いている。得意げというより、少し呆けたような顔をしていた。まだ自分の中で勝利を消化しきれていないのだろう。
「ああ。見事だ」
浩之は装甲越しの手で頭を撫でる代わりに、肩を軽く叩く。子ども扱いはもうしない、という意思表示のつもりだった。伝わったかどうかは分からない。
レイアは嬉しそうに目を細めた後、浩之が身にまとっている装甲をまじまじと見上げて、目を丸くした。
「ヒロユキさん、その黒と銀の凄そうな鎧……! 背中から火も吹いてましたし、なんだかとってもかっこいいです……!」
「ああ、これか。ちょっと前の用事で世話になった奴らからの貰い物でね」
浩之が思考でロックを解除すると、光の粒子とともにスーツがインベントリへと収納され、いつもの私服姿へと戻る。
「あ、それも収納に入っちゃうんですね! 一瞬でお着替えできるなんて便利です。……というか、あんな鎧が必要だったなんて、いったいどんなご用事だったんですか……?」
レイアが興味津々に身を乗り出してくる。
浩之の脳裏に、数多の巨大メカとの死闘、飛び交うミサイルとレーザーの雨、そして巨大要塞の大爆発という、ファンタジー世界には到底そぐわない光景が一瞬フラッシュバックした。
「……ちょっとしたゴミ拾いと、機械の解体作業だ。気にするな」
「か、解体作業……? 異世界の『僧侶』って、そんな大工さんみたいな肉体労働までしてるんですね……! だからあんな、鉄のゴーレムみたいな凄い鎧を……!」
「…………まあ、そんなところだ」
これ以上、彼女の中の『僧侶』という職業の概念を歪め続けるのもどうかと思ったが、一から説明するのも面倒なので、浩之は適当に頷いて誤魔化した。
気を取り直し、部屋の中央の宝箱を開けると、淡く光る宝玉入りの小箱が収まっていた。
「わぁ……! ヒロユキさん、これ凄そうな魔法具ですよ!」
「対象の魔法を一度だけ封印して、好きなタイミングで解放できる代物らしい」
「魔法を持ち運べるんですか!? やっぱり凄いじゃないですか!」
「まあ、レアはレアなんだろうな……。攻撃魔法を放つより殴ったほうが早いし、回復は俺ができるし、封印してまで持ち運びたい魔法の当てもないが」
本来、低レベル向けの隠しダンジョン、解放条件さえ知っていれば、ノーリスクで銅貨3枚のコスト、敵も低レベル帯、コピー能力あるボスは脅威であるが、低レベルのパーティが装備を外しボスとエンカウント、そして装備を再度行うことで攻略法が確立されている。
そんなに高性能なレアアイテムなど設置はされていない、コレクター向けのおもしろ魔道具だ。
レイアの興奮に対して、浩之の温度はワントーン低い。使い道の見えないレアアイテムに対する、ゲーマー特有のシビアな査定だった。それでも捨てはしない。インベントリに放り込んで、鏡の残骸に視線を戻す。
砕けた鏡の床に映る二つの影。
一つは、昨日まで守るだけだった少女。
もう一つは、この世界では最強だと思い込んでいた自分自身。
どちらもまだ完成には程遠い。だからこそ――。
「……まだ伸びしろがあるってことか」
独り言のつもりだったが、隣でレイアが笑った。
「ヒロユキさん、私、次はもっと強くなりますからね」
「ああ」
短く返して、それ以上は続けなかった。
浩之はそう呟き、レイアと並んで迷宮を後にした。




