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ある女錬金術師の試み  作者:
episode 5
9/58

過去

 

「なんだてめぇ!」

「なんだっていいじゃん……っ」

 ハウエルズは路上を歩いていた警備兵とおぼしき男を殴り倒した。

「がっ!」

 相手は壁に頭を打ち付け、その場にぐてっとのびる。

「とりあえず、着るものがないとな、人間てな面倒だぜ」

 ぼやきながら身ぐるみを剥いで、それを着る。

 邪魔な革鎧や、いかにも警備兵ですといったモノだけは避けて、それらしく服装を整える。あまり着込んでしまっても不審なので、せいぜい上着を羽織るくくらいにする。

 そちらは近くの古着屋から盗んだものだ。

 これでいいか。

 いくらなんでも全裸でうろつくのがマズいのは知っている。

 この国の、この街に来るのも久しぶりだ。まだ存在しているとは思わなかった。人の世の移り変わりは、悪魔である身にはあまりにも早い。気にいった人間を見つけても、すぐに死んでしまう。

 かつて、気にいった人間がいたことがある。

 それも女だったが、気付いた時には彼女は死んでいた。

 自分と同じ世界に連れ帰り、人でなくしてしまえれば、永遠に自分のものに出来ると考えていた間に、人と人との間に起きたささやかな諍いに巻き込まれたのだ。

「と、言っても、まだ気になる程度だしな……。

 とりあえず、残り香を辿ってみるか」

 ハウエルズは、目を閉じてそっとあの赤毛、確かマリーと呼ばれていた女の匂いを辿った。

 それは街の中心部から発しているようだった。あの大学院からさほど離れていない。

「よし、見つけた。

 行って見るか」

 そう言うと、ハウエルズは人間には決して追いつけない速度で移動を始めた。

 空間を飛んでいくような移動方法だ。

 あっという間に、匂いのもとへとたどり着く。

 そこは、集合住宅のある場所だった。雑多な人間たちの匂いにまじって、マリーの匂いがする。そもそも「匂い」と現すのも正確ではない。その人独特の、魂の色……とでも言えばいいのだろうか?

 とにかく、そうした匂いを追って、ハウエルズはマリーの部屋を探し当てる。

 そこは大学院の敷地内にある寮のようだった。

 まだ夕方であり、帰宅しているものは少ない。

 ハウエルズは足音を立てず、そっと扉の前に立つ。

 がっちりと施錠された扉をあっさりとすり抜けて部屋に入る。

 そして、とりあえず黙ったまま部屋をよく見る。

 あまりモノがない部屋だと思った。女性らしい飾りもないし、服をしまうための箱も簡素だった。家具もとても少ない。ベッドとテーブル、椅子だけ。そのテーブルの上には、食べかけのパンがきちんと紙に包まれて乗っていた。

 他の人の部屋がどうなのか分からないため、判断のしようがないが、贅をつくした城に住んでいるハウエルズにしてみれば、ただの空間にしか見えない。

 ただ、ひどく懐かしい感じがした。

 それがなぜなのかは分からない。

 けれど、ベッドに目をやり、寝息を立てているマリーを見ると、どうしようもなく連れて帰りたくなる。自分のものになって欲しいと思ってしまう。

「馬鹿な……人間なんて、あの人以外ただの食い物だ」

 混乱した気持ちで目を眇める。

 マリーはハウエルズの訪問に気付かず、健やかな寝息を立てている。

 どうやら、この身体を作るためにかなり無茶をしていたらしい。相当疲れているようで、食事もそこそこに眠ってしまったのだろう。

 つ、と唇に触れる。

 本当はあのまま食ってしまおうと思ったのに……。

 食えなかった。腹は減っていたのだ……けれどそれよりも、もっと、もっとあの唇を味わいたいと思ってしまった。

「まあいいか……ここまで俺を執着させる理由は、ゆっくりと解明すればいい」

 言いつつ、ハウエルズはベッドの端に腰を下ろした。

 マリーは横向きになって眠っている。この女は男に人気がないらしい。この身体が持っていた記憶を読み取ったから、多少は知っている。

 だが、とてもそうは見えない。

 眠っている顔は、ひどく綺麗だった。

 その顔に、懐かしい面影が重なり、ハウエルズは熱い湯に触れでもしたかのように手をひっこめた。

 似ている、と思ってしまった。

 あの人に……。

 人の一生は一瞬で、その中でも輝けるのはさらにまばたきほどの間くらいしかない。その時の輝きを持ったまま死んだあの人と、この娘はよく似ている。

「はっ、そんなことある訳がない」

 そうだとも。

 さっさと食事して帰ればいい。そしてまた怠惰な日々を過ごすのだ。

 そうすれば、余計な感情が沸き起こることもない。

 ハウエルズはかつて、魔界の者たちに悪魔らしくない、まるで人間になってしまったようだとなじられた。その時はそんなことはないと思ったが、取る行動があからさまに妙なので、後で納得した。

 だが、変わろうとしてきたのだ。

 なら、確かめてみよう、この女を使って。

 悪魔の誘惑に勝てる女はまずいない。この女を陥落させ、自分の下僕にした後、魂を食らえば元の自分に戻れるかもしれない。

「そうしよう」

 ハウエルズは薄い唇をゆがめて笑った。

 そうだ、これはいい機会なのだ。

 すやすやと眠っているマリーを眺めながら、ハウエルズはどうするか考えた。まずは、この女の弱みを握ろう……それには、交友関係から調べるのがいいだろう。

 この女を誘惑するのはその後だ。

 ゆっくりと、ゆっくりと籠絡(ろうらく)させてみせよう。

 そう決めると、そっとその場を後にした。



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