笑顔
マリーは椅子に座ったまま、気まずい思いで縮こまっていた。
あれからきちんと正直に経過の全てをアレックスに報告したのだが、何も言ってくれないのだ。
黙りこくったまま、動かない。
早く引導を渡して欲しい。
「マルガレーテ・ヘイスティングス」
「はっ、はいっ!」
いきなりフルネームを呼ばれて、マリーは上ずった声で返事をしてしまった。
「……そんなに怯える必要はありません。
あなたはもしかしたら自分がここを辞めさせられるとでも思っているのですか?」
「ち、違うんですか?
てっきり、やってはならないことをしてしまったのか……と」
マリーは顔をあげて、恐る恐るアレックスの顔を見た。
微かに、ほんの微かにだが、口元に笑みらしきものが浮かんでいる。
理由は分からなかったが、マリーの胸がちくり、と痛んだ。
(あれ、なんだろうこれ? なんだか胸のところがじんわりと温かくて、ちょっと痛い……)
だが、謎の痛みはアレックスの次の言葉で吹きとんだ。
「違いますよ。むしろその逆です、私は君が欲しい」
「……え?」
マリーは耳を疑った。
「ここにはやる気のある人材がいないとばかり思っていたのですが、ちゃんといてくれて良かった。
あなたには私の助手になって頂きます。
教授にはそのように話を通しておきます。あなたさえよければ、ですが」
マリーは呆気にとられて、ただひたすらアレックスの顔を見詰めた。
「そんな、いいんですか?」
「ええ、私がここに来たのは、錬金術は人の役に立つ、素晴らしい学問なのだと世に知らしめたいがためなのですよ。なのに、教授はあんなですし、その下の学生も助手たちも、あまりやる気があるように見えなくて、ここに来た事を少し後悔していたのですが、君みたいな人がいるとは。
人体を作り上げることは、先人たちが挑戦したあと、誰もしてこなかったことなのです!まさかそれに挑んでいる研究員がいたとは、私は嬉しいですよ。
まあ、よりによって私と同じ顔のものが全裸でうろついていたことには怒りを感じていましたが、そういう理由ならばむしろ私には僥倖です。
………ただ、なぜ顔が私だったのかだけは教えて下さい。
私はあなたを知らないのですが、どこかでお会いしたことがありましたか?」
アレックスはそれまで無口だったのが嘘のように喋りだした。
マリーは唖然とその様を見て、並べられた言葉を聞いていた。とりあえず怒っていないことが分かってひどく安堵したが、問われた言葉を思い返して我に返った。
あの非常に恥ずかしすぎる理由を言わなくてはならないらしい。
嘘をつくのが苦手なマリーには、正直に言うしか道がない。
ごくりとのどを鳴らしてつばを飲み込む。
「あの、その、ですね、あの顔は……………だから」
マリーは羞恥にうつむきながら、小声で言った。
「何ですか? 聞こえなかったのですが?」
「わ、わ、私の好……………ったら、たまたまそっくりに……てしまって」
「あの、すみません、もう少し大きな声で」
マリーは少し涙目になって、覚悟を決めて言った。
「私の好みの顔に作ったら、たまたまそっくりになっちゃったんです!」
アレックスはしばらく黙った後で、引きつった顔で言った。
「あの、それはつまり」
「………そこまで言わせるんですか!」
マリーは思わずそう怒鳴ってしまった。
アレックスはまた押し黙ってから何度か咳払いをして、窓の外を見やった。
「そ、そうですね。
申し訳ありません、愚問でした……さて、問題はあなたの作った人体に悪魔が入り込んでしまったことですね。
あんなのにうろつかれては私が困りますし、神学科の方に手伝って貰って払うのが賢明でしょう」
「そうですね!
最低ですよあんな奴、いきなりあんなことするなんて……あんな奴に入り込まれるなんて、さっさと払って貰いたいです!」
マリーは強く言い放った。
まだ頭の中が整理できていないが、初めてだったのだ。
顔は確かに好みかもしれない。
それでも、最初のキスは好きな人とと思っていたマリーとしては、やるせない気持ちだった。
「……災難でしたね。
しかし、魂を取られていたかもしれないと思えば、良かった」
アレックスはそう言うと、椅子から立ち上がってマリーの側まで来て、ぽんぽんと頭を叩いた。
「助教授……」
その仕草に包み込むような優しさを感じて、マリーは目をぬぐった。
やばい、泣いてしまいそうだ。
「答えを、聞かせてもらえますか?」
マリーはアレックスの言葉に頷くと、震える声をなんとか整えようとぎゅっとこぶしを胸にあてて、小さく深呼吸し、それから答えた。
「……これから、よろしくお願いします」
マリーが言うと、アレックスは嬉しそうに、本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
またマリーの胸がやんわりと痛む。
「良かった。
こちらこそ、よろしくお願いしますよ。
医学科と協力して人体の開発に力を注いでいきましょう」
「はい!」
マリーは頷いて、胸がつかえるような感じを押し殺して笑顔を浮かべた。
今まで感じた事のない感覚だった。けれど不快な感じではない。
「とにかく、今はあの厄介な悪魔を捕まえないと、あなたはどうもかなり疲れているようですから、一旦帰って休んで下さい」
「で、でも」
「休むことも大切な仕事なんですよ?
はい、帰ってちゃんと食事を摂って休んで下さい。綺麗な顔が台無しですよ?」
その言葉に、マリーの心臓がどきりとはねた
たくさんの男性に同じことを言われてきた。
けれど、彼らはすぐにマリーの仕事を知ると、声を掛けてくることすらしなくなった。婚約者にも言われたが、最後には君は気違いだと言われて逃げられた。
心に痛みがにじみだす。
それでも、目の前の男性から目を離す事が出来ない。
マリーはぐちゃぐちゃな気持ちで、アレックスに礼を言うと、軽く頭を下げて部屋を出た。
それから、ぼんやりしたまま帰宅して、適当に買ってきた食事をとり、軽く身体の汚れをおとしてからベッドに入る。
実際「彼」をつくるために徹夜続きで疲れていたし、ショックなことが重なりすぎて、疲れていたから眠りはすぐに訪れてくれた。