同じ顔、ふたつ 3
やや薄暗い廊下を歩きながら、マリーは焦っていた。
そもそもどうして「彼」がなかったのだろう?
探すにしても、まったく手がかりがないのだ。ただ、まだそんなに時間がたっていないから、遠くへは行っていないだろうというのが唯一の救いだった。
廊下を歩きながら、片端から鍵のかかっていない扉を開けてみる。
……いない。
少し美形に作りすぎたのだろうか?
誰かが気にいって持ち帰ってしまったのだろうか?
それとも、怪しい研究に使おうと持って行ってしまったのだろうか?
一番ありそうなのは最後の選択肢だ。
なにしろこの学院はそういう研究をする場所なのだから。
マリーはいっそのこと、このまま放置してしまおうかとも考えた。クリスさえ口止め出来れば、他に知る者はいないのだ。
マリーはそんなことを考えながら、廊下を歩き、ふと足をとめた。
ここから先は「悪魔研究」をしている場所だ。学内でも極めて忌避されている場所である。マリーもあまりいい印象は抱いていない。
かつて出資していた貴族の青年が死んだことがある。悪魔に魂を食われたのでは、などと噂されているが、真偽が定かではない。
行きたくない。
マリーは心の底からそう思った。
大体、研究内容が悪魔についてだけならともかく、召喚まで含まれているのが嫌だ。
あんな醜いものに魂を食われるなど、考えただけで身の毛がよだつ。
だからといって、スルーしてしまう訳にもいかない。
どうしよう。
悩んでいると、なにやら歓声が聞こえた。
マリーは思わず身を固めた。何があったのだろう。気持ち悪すぎる。しかももう夏も近いうえ、昼間だというのに、真黒なカーテンを締めきっている。
壁に設置された燭台のロウソクの炎がゆらゆらと揺らめく。
そのオレンジ色の炎に照らされて、何かがゆらり、と動いた。
「ひっ!」
マリーは思わず後ずさった。
もういい、もう嫌だ。ここを探すのは諦めよう。しかし、暗闇に背を向けるのが怖くて足が動かない。
男たちに強い女だとか、クールだとか言われることの多いマリーだが、そんなことは全くない。
むしろ逆で、かなりの臆病者なのだ。
外見のせいでそう思われてしまうのもマリーの悩みの一つだった。
恐怖で涙が出てきた。
それでも動けないマリーの前に、それは現れた。
「そ、そんな」
ショックで言葉すら出てこない。
「彼」は見つかった。というか、いま目の前にいる。
しかも動いている。
「彼」はマリーの目を見て、妖艶にほほ笑んだ。
そして、硬直したままのマリーの前まで「全裸」でやってきて、おもむろに顎に手を掛けて上を向かせる。頭が真っ白になっているマリーはなすがままだ。
「ふぅん、なかなかの上玉じゃないか。丁度いい、あんた俺と契約しない?
いい夢見させてあげるよ」
アレックスの声とは違う、優しい声。その声は耳をくすぐり、背筋をぞわり、と粟立たせる。
赤く輝く瞳がマリーを射抜くように見つめてくる。
瞳の色は確かに金色にしたはずなのに、その中に炎でも宿したような金赤色に変貌していた。
整った薄い唇からも、白い牙がこぼれおちている。
少しずつ、その唇が近づいてくる。
逃げなくては、とマリーが思った時、暗闇で派手な音がした。人が転んだようなドタッ、バタッという感じの音だ。
少しして、暗闇から黒ずくめの女性が出てきた。
「待って! 待って下さい! ハウエルズ様、ご契約はこの私が仰せつかります、どうか、どうか!」
悪魔学研究所からまろびでてきた少女は、見たところそこの学生のようだった。黒ローブの下に、白い制服が見える。可愛らしい美少女だが、狂気めいた顔でこちらににじり寄ってくるため非常に怖い。
「お願いです、お願いです!」
少女はすがりつくように「彼」、どうやらハウエルズというらしいが、その足に両腕を絡めて何度も何度も願いをこう。
が、ハウエルズは至極面倒そうな顔で、
「えー、おまえまずそうだからやだ」
と言い放った。
美少女はその言葉に泣き崩れた。
ハウエルズはそれに一瞥をくれただけで、またすぐにマリーに向き直った。