人生で最大の試み 5
「では、はじめますよ」
ジュディの声がして、マリーは冷たい石の床に横たわったままうなずいた。
「準備はいいわ、ジュディ……お願いね」
「はい! 全力を尽くします」
ジュディはまっ黒なローブのフードの中から、妖しい微笑を浮かべて請け合った。
なんだか、いつものジュディとは違うひとに見える。恐ろしい迫力が今の彼女にはある。そのせいか、マリーは成功するような気分になってきていた。心から祈る。
身勝手なのはわかっているけれど、成功して欲しい。
「うわ、何だろう。見てるだけなのにすっごいどきどきする。くれぐれも入れ替わっただのなんだの、妙なことにはしないでよ」
見学状態のクリスが、やはり緊張した面持ちで言う。
「失礼な! 陣はマリーさんの作った小人さんに聞いた通りにきちんと書きました。ハウエルズ様の召喚に成功した私の構成が間違うものですか!」
ジュディが憤慨しつつ叫ぶと、マリーは彼女の気持ちをなだめたくて言う。
「私は信用してるから」
「……はい、絶対に信頼に応えて見せます」
頼もしい返事が返ってくる。マリーはほっとして、隣に横たわるハウエルズを見やる。すると、穏やかなほほえみを浮かべて、彼はマリーを見ていた。こちらが恥ずかしくなるくらい、透明な笑みだ。
四人が集まっているのは、悪魔学科の実験室だ。実験室、といっても、マリーたちにおなじみの器具がある風景ではなく、石壁に囲まれた小さな部屋で、窓はなく、天井に穴があいているだけだ。部屋は暗く、ろうそくやランプがなければ何も見えない。
壁際には、かつて悪魔を召喚して操った経歴のある男性の頭蓋骨やら、水晶玉、逆さまにした十字架、薬草、逆五芒星を書いた紙は壁に貼りつけられ、室内全体に、甘ったるい香が炊きしめられている。
以前であれば、気味が悪いと言って決して近づかなかった場所だ。
室内に暖炉はないので、非常に寒い。
まだまだ、春は遠いのだ。けれど、これが成功すれば、マリーにとってはそれこそが春だ。
あの晩の翌日、マリーは早速ジュディとクリスに説明してどうすれば儀式が行えるかを相談した。すると、ほとんど使われていない、悪魔召喚に用いる実験室が開いているから、そこでやろうとすぐに話がまとまった。また、ジュディは「霊王術書」を熟読したことがあり、たった三日で儀式用の準備をひとりで終えてしまった。
あまりに潤滑にことが進んでしまい、マリーは拍子抜けしていた。
「では、はじめます」
ジュディが開始を告げる。マリーは目を閉じた。例えどんな結果になっても、それを受け入れる。覚悟は、もう決まっていた。
やがて、ジュディが聞いたことのない言語で何かを唱え始める。
それと同時に、マリーの全身に負荷がかかった。意識が飛びかけ、妙な浮遊感にさいなまれる。吐き気がし、頭が痛むが、マリーはうめき声ひとつあげなかった。うっすらと目を開けて、隣のハウエルズを見ると、彼の顔も苦悶に歪んでいる。
しばらくこらえていると、何かがずるり、と意識に入り込んできたような感覚があり、そこでマリーの意識は途切れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
暗闇の中に、意識がだけが浮かんでいる。そこで、マリーは光るものを見た。
美しい女性がそこにいた。古い衣装をまとい、長い黒髪に大きな褐色の瞳。体つきはふっくらとしていて、小柄だった。曲線を描く唇が蠱惑的な印象を残す気の強そうな顔を見て、マリーはふと直感した。
「アミーリア?」
「あら、知ってたのね。初めまして、といってももう二度と会う訳じゃないけれど」
意志の強いはっきりとした声。マリーはほほえむアミーリアが腕に抱いている半透明の魂を見やる。
「それは」
「あの悪魔が抱いた人間への思慕。だから、完全に私の魂を消せなかった、でも、その思いはこうして形をとったから、私はこれで完全に消えるわ」
少し寂しそうに言って、アミーリアは〝それ〟をマリーに差し出した。
「ある意味では、これは私の子……どうかよろしくね」
「は、はい」
マリーは〝それ〟を受け取り、大切に抱きしめると、すうっと体の中に入り込んで消えた。
同時に、マリーは自分を呼ぶ声に目を覚ました。