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ある女錬金術師の試み  作者:
episode 16
47/58

亀裂 1

 彼は穏やかな表情のまま、マリーのそばへ歩いてくる。

「その、迷惑かとも思ったのですが、やはり心配だったので、様子を見に来てしまいました。

 何ごともありませんでしたか?」

「あ、はい」

 マリーはとっさにうそをついた。

 今、アレックスに部屋に入られては困る。

 そう考えてから、はた、と思いとどまった。どうして、なぜ困るのだろう。むしろ、正直に言って、アレックスにも協力してもらい、ハウエルズを体から切り離せれば、そのほうが良いはずなのではないだろうか。

 それに、どうして相談もなく、ハウエルズを捕らえるワナを仕掛けたのか、問い正してもいいはずだ。

 なのに、マリーの口から、それらの問いが出てくることはなかった。

 ジュディの言った言葉が、頭のなかをめぐっている。「マリーさん、ハウエルズ様のこと、好きになっちゃったんですか?」あの言葉が、何度もくり返し浮かんでは消えるのだ。

「そうですか。それなら良かった……先ほど、部屋から出ていったのはお友だちですか?

 今まで見たことのないかたでしたが」

「今日、図書館で会って、話をしたんです。彼女は悪魔学科のひとで、いろいろなことを教えてもらいました」

 そう言うと、アレックスの表情が険しくなった。

「悪魔学……まさかとは思いますが、マリー、彼に会ったりしていないでしょうね?」

「どうしてですか?」

「当然、彼が悪魔だからですよ。あの体が大事だというあなたの気持ちはわかっていますが、悪魔を甘く見ないほうがいい。文献にも、たぶらかされ、堕落させられてどん底の人生を歩むだけでなく、命を奪われるという記述もあるくらいです」

 アレックスは、声を強めて言った。

 心配してくれているのだ、とわかって、マリーは素直に嬉しかった。

「ありがとうございます……私は大丈夫です」

「それなら良いのですが、そうだ、少しですが、あなたが館で使っていた服を持ってきました。少しは寒さが違うと思います……なかに置いていきますね」

 アレックスはそう言って、部屋の戸に手をかけた。

 マリーは、全身の血が冷たくなる思いがした。どう言って、部屋に入らせないようにするか、頭がまわらないでいるうちに、アレックスは見てしまった。

 どうしようもない気分で、マリーは後ずさる。

 このまま、逃げてしまいたい。けれど、振り向いたアレックスの表情は、それを許してくれそうになかった。驚愕と怒りに染まった顔に、恐怖をおぼえる。

「マリー……どういうことですか? 会っていない、と今あなたは言いましたよね」

「会っていない、とは言っていません。

 今日、戻ってきたらいたんです……それで、図書館に行って……」

 声がかすれているのがわかった。

 マリーは、呆然としたまま、言葉をなんとかつなげるように声を出す。

「どうして、私に黙ってわなを仕掛けたりしたんですか?」

 唐突に、マリーの口から問いがこぼれた。

「決まっているでしょう。この悪魔を、この世から消すためですよ……この悪魔は、いろいろな意味で私にとって悪だ。やはり、あなたはたぶらかされている、もっと早く手を打てば良かった」

 アレックスは言いながら、手を伸ばして、ハウエルズのえりくびをつかんで引き上げた。

 ハウエルズの顔が苦悶に歪む。

「は、ついにお優しい仮面を脱ぎすてたのかよ。それが、あんたの本性か?

 嫉妬深くて、見苦しいな」

 苦しげに、けれど嘲笑しながらハウエルズは言う。

「悪魔のくせに、知ったような口をきかないで下さい。いい機会だ、このまま消してあげましょう。マリーには申し訳ないが、体ごと燃やしてあげますよ。そうすれば感情に焼かれる苦しみもわかるというものです」

 そう言うと、アレックスはハウエルズを寝台から引きずり出した。

 低い声には、深い怒りがこもっている。

 ハウエルズは、痛みからうめき声をあげ、アレックスの手から逃れようともがく。だが、怒りの力を借りているアレックスは、そんな抵抗をものともせずに、ハウエルズを殴り倒した。大きな体が壁に打ちつけられ、あるはずのなかった血が唇から流れ出る。棚が揺れて、中のものが転がり落ち、ハウエルズに当たる。彼は小さくうめくと、体を丸めてうずくまり、動かなくなる。

 アレックスは、ハウエルズを部屋から引きずり出そうと、両腕をつかんだ。

 マリーは思わずハウエルズに覆いかぶさった。

「マリー? どきなさい!」

「嫌です、こんな……なんで、教授がこんなことまでするなんて変です!」

 叫ぶように言う。

 騒ぎを聞きつけて、近くの部屋の戸がいくつか開く。まだ寮に残っていた研究員たちだ。

 アレックスはそれに気づくと、悔しそうに顔をゆがめた。

「マリー、よせ……俺なら、平気だから」

 くぐもった声で、ハウエルズはマリーをどけようと、弱々しい力で、腕をあげようとする。

「そんな訳ないでしょう! だったら、そんなつらそうな顔してないはずだわ」

 マリーはすがるようにハウエルズの胴にしがみついた。



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