悪魔学科の女 4
マリーの部屋に入ると、ジュディは歓声をあげた。
「あああ、お会いしたかったです」
言いながらベッドに近づいて、瞳をうるませる。
すると、横になっていたハウエルズが、迷惑そうな顔でマリーを見て聞いた。
「なあ、こいつ誰?」
「……自分の召喚者も忘れたの?」
呆れた気分で言うと、ハウエルズはそれでもジュディのことを思い出せないらしく、小さく首をひねっている。よほどどうでもいいらしい。マリーは、何だか彼女がかわいそうに思えてきた。
「ああ、こんな痛々しいお姿になってしまって。
どうして、この入れ物から出てお行きにならないのですか?」
「え? ああ、なんだろうな。出られないんだよ、出ようとしてみたんだけどさ」
ハウエルズはてのひらをふしぎそうに眺めながら言った。
やはり、分離しようと試みてはみたらしい。
「そっか、そんなことじゃないかと思ったわ。
それでなんだけど、ジュディ……どんな感じ?」
「う~ん、あまり詳しいことはわかりませんね、やってみないことには、なにしろ、実物の悪魔の記録ってなかなか残ってないんですよ。誰かの想像の産物じゃないかと思われるものとか、薬物中毒症状が悪魔つきと間違えられていたり、あきらかに別の疾患が悪魔の仕業とされていたりとかで……」
ジュディは嬉しそうにしながらも、ちょっと困ったように答えた。
マリーはため息をついて、腰に手を当てた。
「なあ、何の話なんだ?」
「あなたが苦しんでるから、その体から悪魔であるあなたの魂をひきはがせれば、傷も治るんじゃないかっていう話よ」
問いに答えると、ハウエルズは顔をしかめて、体を起こそうとした。
だが、やはりまだつらいのか、唇が引き結ばれ、顔が苦痛の表情に染まる。
「だめよ、まだ痛むんでしょう?」
「俺は別のところに行く」
「何で? 何もしたりしないわ」
マリーは、ハウエルズの両肩に手を置いて、寝台に押し戻そうとした。しかし、彼は苦痛の表情のまま、頑固に起き上がろうと力を込めている。
ジュディは寝台の前にひざをついたまま、おろおろしていた。
「今、ひきはがすとか言っておいて何もしないだと? 言ってることがおかしいぜ。
俺は、この身体から出ていきたいとは思っていない……だから、この部屋から出ていく」
「やめて、何よ、そんなにこの身体が気にいったの? だったらいいわよ、もう体から出ていけなんて言わないから、それなら、傷を治してからまた戻ればいいだけの話でしょう?」
マリーが言っても、ハウエルズは横になろうとしない。
「そういう意味じゃないさ……俺は、ただ」
「ただ、何なの?
ねえ、とにかくお願い、今は横になって。そんなに苦しそうな顔、見てるほうもつらいの」
マリーが、諭すように言うと、ようやく彼は横になった。
「……あのお、もしかしなくても、ハウエルズ様はマリーさんのことお好きなんですか?」
ふいに、ジュディが好奇心むき出しの顔で言った。
マリーは固まったが、ハウエルズは笑った。
「まあね。マリーのほうは、そうじゃないみたいだけど」
「え、違いますよ、マリーさんも好きですよ、ハウエルズ様のこと。
うわあ、なんだかわくわくしますね、禁断の愛ですか!」
ジュディは、ものすごく楽しそうに言った。
今度はハウエルズも固まった。マリーは、彼の顔を見られなかった。しかし、ハウエルズのほうは、しげしげとマリーの顔を見つめている。
「それ、本当なのか? だって、マリーはあの教授が……」
「もう! やめて、そんな話、今しなくたっていいでしょ。
私だって、自分の気持ちがわかんなくて混乱してるの!」
マリーが顔を赤くして叫ぶと、ふたりとも黙った。
なんともいえない空気が流れる。
ハウエルズは、マリーを見ては目をそらし、ジュディは何やら楽しげに笑いを噛み殺している。いたたまれなくて、マリーは言った。
「とりあえず、ハウエルズが決めて。その傷は、そのまま置いておいて治るものかどうかわからないのよ。だったら、試してみる価値はあると思う。でも、無理強いはしないから」
「ああ、わかった」
ハウエルズは、納得したようにうなずいた。
「という訳で、必要になったら儀式をお願いできるかしら?」
マリーはジュディを見て言った。まだ頬が熱い。
「はいはい、会わせて下さいましたもの。それに、マリーさんと話が出来て嬉しかったです。
私、こんなですから、話相手になってくれるひととか、ほとんどいないんです。同じ学科のなかでも、極めて変人だと思われてるみたいなんですよね」
そう言って、ジュディはえへへ、と笑った。
マリーは、やや気が咎めた。今だって内心、ジュディを変わり者だと思っているのだ。けれど、彼女は変なひとではあるが、悪い人間ではない。まあ、思ったことを何でも口にしすぎる、という欠点はあるが。
「その、私でよければたまに話を聞くくらいはかまわないわよ。
思ったんだけど、まず、その黒いローブを何とかすれば、もっと友だち増えると思うの」
主に異性の、ではあるが。それでも、マリーの言葉に、ジュディは顔を輝かせた。
「え、いいんですか、話相手になってもらっても。
嬉しいです……でも、きっと嫌な思いさせちゃうと思いますよ?」
「そこよ、話をしながら、私がどこがだめなのか教えてあげる。あなたはそのままでもいいひとだけど、口に出していいことと悪いことがわかれば、いろいろと違ってくるはずよ、ね?」
手伝ってもらうのだから、せめてそのくらいしてもいいだろう。それに、ハウエルズという秘密を共有できる唯一の人物でもある。
ジュディは驚きに満ちた顔をして、少し恥ずかしそうに「はい」とうなずいた。
かわいい。女のマリーから見ても、とんでもなくかわいい。やりようによっては化ける可能性ありだ。
「じゃああの、今日のところは自分の家に戻りますね。もう夕方ですし」
「そうね。じゃあまた明日、何かお願いしたいことがあったら、私のほうから声をかけるから」
マリーはそう言って、部屋を出ていくジュディを戸の外に出て見送った。
ジュディは頭を下げながら、ゆっくりと歩き去っていく。
少しのあいだ、そこに立ってぼんやりする。
正直、疲れていたのだ。なにしろ、寮に戻ってきてからというもの、気の休まるひまがない。
「まあ、協力してくれるひとと知り合えたことだし、今日はこんなものかな」
つぶやいて、部屋のなかへ戻ろうとしたとき、廊下のつきあたりに、人影をみとめて、マリーは驚いた。と同時に、心臓を氷の手でつかまれたような感覚が襲う。
今日、最も会いたくなかったひと。
アレックスがそこにいた。