悪魔学科の女 2
ハウエルズの意識は戻り、少し安堵したものの、まだ痛みが強そうだった。
動かすことは当面のあいだ出来そうにないが、鍵だけは直しておかなくてとは、マリーは思った。鍵が壊れたままでは、安心して部屋にいられない。
そのため、少しの間だけ隠れてもらうことにした。マリーは急いで管理人のおじさんを呼び、すぐにつけなおしてもらった。管理人のおじさんは、酔っ払いが壊したみたい、という言葉を、すんなり信じてくれたので、マリーはとりあえずほっとした。
「じゃあ、ちょっと図書館に行ってくるけど、じっとしてるのよ?」
「はいはい、行ってらっしゃい」
ベッドの上からひらひらと手を振り、ハウエルズは笑って見せた。
マリーは、ため息をついて、直してもらったばかりの鍵をかけて外に出た。
外に出ると、マリーはうめいた。
「ああ、今夜どうしよう」
時間は午後である。帰って来てから、ずいぶんと時間がたってしまった。
別の思索についやそうと思っていた時間が、すべてつぶれてしまった、と思いながら、マリーはすべって転ばないように、静かに歩いた。
図書館は、学院の建物のなかにあるのではなく、まったく別の建物である。古い離宮を改装してつくられた学院の本館とは異なり、最近建てられたものだ。そのため、造りがまったく異なっていた。
シンプルで明るく、機能的な図書館を、マリーはとても気にいっていた。
また、図書館は一般のひとも利用できるようになっており、建物のそばには、まばらだがひとの姿がちらほらあった。入口まで来ると、寒いので、さっさと中に入った。
薄暗い入り口をくぐると、少しかびくさい紙の香りに包まれる。
マリーは早速、入口のカウンターに座っている司書に名前を告げて、本を探しにかかった。
ハウエルズには言ってこなかったが、マリーは悪魔について調べるつもりだった。真っ直ぐに悪魔学の書籍がある場所へ向かう。今まで、錬金術に必要な範囲でしか、悪魔については学んで来なかったのが悔やまれるが、たとえ付け焼刃であっても、もう少し知識があれば、彼の役にたてるのでは、とマリーは考えたのだ。
アレックスのことと同じくらい、マリーにとって、ハウエルズに関わる問題は重要なことだった。
自分が、生み出してしまったようなものなのだから。
いや、完全に、ではないかな、とマリーは考えた。あの時、勝手に持ち去った悪魔学科の者にも責任はある。そのときのことを思い出したマリーは、怒りも同時によみがえり、大きくため息をついた。
怒っている場合ではない。
落ち着け、と言い聞かせ、ずらりと並ぶ背表紙に目を走らせる。
その時、となりに軽くぶつかってきたひとがいた。
「あ、ごめんなさ……」
その人物は謝りかけて、マリーを凝視した。マリーの方も凝視した。
「あーーーーー!」
ふたり同時に、互いを指差して叫ぶ。すると、周囲から避難めいた視線がたくさん突き刺さり、マリーとその人物は口を押さえた。
マリーはうらめしい思いで、その女性を眺める。
黒い髪、華奢な体つき。大きな青い瞳。まっ黒なローブなど着てさえいなければ美少女なのに、と思ったことは忘れていない。
「あなた、あの時の……」
そもそもの元凶をつくったうちのひとりだ。
「あの時は申し訳ないことをいたしました。勝手に研究物を拝借してしまって……。それで、あの、あなたがまだ生きてらっしゃると言うことは、あの方は祓われてしまったのでしょうか?」
あの方、とはようするにハウエルズのことだろう。
マリーは苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、答えた。
「まだいるわよ」
しかも厄介なことに、人間の心まで持ってね、と心の中で言い添える。
すると、女性は顔を輝かせた。
「いるのですか! ああ、良かった滅びていなくて。私が初めて召喚に成功した方なのです!
あの、あの方に会わせてはもらえないでしょうか? お願いします、一目、ひとめっ!」
その女性はマリーの両手をがっちりとつかみ、目をうるませて叫んだ。
ふたたび、非難の視線が集まってくる。マリーは、慌てて言った。
「ちょっと、静かにお願い。そのことについては、ちょっと話合いましょう、ほら、あっちで、ね? だから落ち着いて、興奮しないで、迷惑になるから……」
マリーは、図書館の南側にある喫茶スペースを、視線で示してみせた。女性は、何度もうなずいてからマリーの手を放すと、嬉しそうに、本を持ったままそちらへ歩いて行く。相も変わらずのまっ黒ローブ姿に、まわりのひとがぎょっ、として逃げて行く。
面倒なことになった。
マリーはすでに疲労をおぼえながら、彼女のいる席へと向かったのだった。