罠とほころび 4
もちろん、この体がもどるのならば、それはマリーにとっても本望だ。
なんといっても、この体そのものが、マリーの内面や願望を、あからさまに形にして、現実世界に公表してしまっているようなものなのだ。この体が動いた姿を見て、マリーはそのことに気づいたのだ。
遅いといえば遅いが、制作中は夢中で、自分の思いつきに酔ってもいた。
だから、戻ってきてくれるのは、本当にありがたいのだ。
けれど、こんなやり方は、いくらなんでもひどい。
マリーはなんだか裏切られたような気分だった。
「確かにそうよ。でもこれはなに? こんなに傷つけて、痛めつけて、苦しめてまで、私がこの体を取り戻したいと思うの、そんな訳ないじゃない」
「ああ、そっか。体に傷がついちゃうことは想定外だったな。それは良くなかったね、でもまあ、教授も熱くなってたし、仕方ないよ。許してあげなよ。君が悪魔にたぶらかされるんじゃないか、って心配してたからそこまで気が回らなかったんだよ」
クリスは肩をすくめ、あくびまじりに言った。マリーは、違う、と思った。そんなことに怒っているのではない。そう思った瞬間、マリーは自分の思いに気づいた。クリスの言葉が胸に突き刺さる。
抱える矛盾が、浮き彫りにされてしまった。
「だいたいそいつ、悪魔だろ? ひとを堕落させて、混乱におとしいれて楽しむようなやつらなんじゃないの? それにさ、少しくらい痛みを感じたんだとしても、どうせ不死身なんだし、気にすることないんじゃない?」
「不死身……悪魔」
マリーはつぶやいて、顔をしかめているハウエルズを見た。そうだ、おかしい。なぜ、彼はこんなになってまで、この体から出て行かないのだろう。体から出て行ってしまえば、こんなに苦しむことはないのに。不死身なのだとしたら、傷もすぐに治るはず。
「そうだよ、今チャンスじゃん。その体から、そいつを追い出せるかもしれないよ?
寮に残ってる悪魔学科のやつ探してさ」
言いながら、クリスはおおきくあくびをした。
「もう戻っていいかな? まだ眠いし、そいつもしばらくは動けそうにないから、少しの間くらいいなくても襲われたりしないだろうし」
「あ、ああ、そうね」
考え込んでいたマリーは、クリスの声に我にかえると、急いで言った。クリスは「それじゃ」と言って、さっさと自室へ戻って行った。その足音が遠ざかるのを確認して、マリーは息をつく。少し落ち着くと、イスを持ってきて、ベッドのかたわらに置き、腰を下ろした。
荒い息をするハウエルズの顔に手をのばす。そっと額に触れると、マリーは気づいた。
「そんな……うそでしょ?」
つぶやいて、自分の指先を見つめる。ごくわずかながら、水分がついていた。
しかも、触れた額はほんのりと熱を帯びていなかっただろうか。そうだ、良く考えてみれば、彼がこんなふうに痛がること自体がおかしい。クリスが先ほど言ったように、悪魔はおそらく不死身であり、痛覚などないはず。なのに、ハウエルズは苦しんでいる。
マリーは意を決して、てのひらで額に触れてみた。熱い。うそではない。体温がある。これではまるで、人間みたいではないか。
うめき声をあげ、マリーは混乱する頭を抱えながら、とりあえず、手ふき用の布をいくつか持って、部屋を出た。頭を冷やしたい、いや、冷やさなければ。ついでに、マリー自身の頭も冷やしたかった。
今はとにかく、ハウエルズの体の痛みをやわらげてあげることが先決だ。
彼が話の出来る状態にならなければ、何があったのか、問いただすことも出来ない。
マリーはため息をつきながら、看病をはじめた。