罠とほころび 2
ほどなくして、リサとビックは帰って行った。
マリーは、心のつかえがひとつとれたことを喜んだ。
もうひとつは、ハウエルズのことだ。それだけが、ずっと胸に刺さってとれない。
しかし、マリーは、決してそれを表には出さなかった。
アレックスが嫌がりそうな気がしていたから。
そのおかげか、マリーはアレックスと、屋敷の使用人たちとともに、穏やかに新年を迎えることができた。市街には雪がたくさん降り積もり、ひとびとは屋内で暖かく過ごし、用のあるひとだけが、体をちぢめて外を急ぎ足で歩いていた。
マリーは久しぶりに、寮の部屋以外で新年を迎えられ、自分で自分の世話をせずにすみ、あたたかく、ゆったりと過ごすことが出来て幸せだった。
アレックスはといえば、性急にことを進めたくない。まずは、マリーの父であるヘイスティングス卿にあいさつしてから、数年のうちに正式に結婚したい、と語った。マリーも、まだ研究に少なからず未練が残っていたため、その案に心から賛成したのだった。
そうして、アレックスのすすめもあり、結局十日ほど屋敷で過ごしたあとで、マリーは寮へ戻った。
学院内の通路には、ここしばらくのあいだに降った雪が深く積もっている。真ん中だけ、管理人が雪をかいたあとがあり、マリーはそこを通って寮へ向かった。
この時期、たいていの学生たちは例外をのぞいて帰郷しているため、どこもかしこも閑散としているが、マリーはこのときの学院の雰囲気がとても好きだった。
アレックスは寮の入り口まで送る、と言ってくれたのだが、マリーはあえて断ったのだ。この静けさのなかを、ひとりのんびりと歩きたかったから。街の中と違って、さほど危険なこともない。そう言うと、アレックスは残念そうにマリーを学院の入り口に置いて、帰って行った。そのときの表情を思いだしたら、なんだかおかしくなってきて、マリーは思い出し笑いをしてしまった。
歩きながら、考える。
いつか、結婚をしたら、どうするのか。研究をとるか、家をとるか。アレックスは特に訊ねてこなかったが、マリーはここ数日、そのことばかりを考えていたのだ。
なんとなく、アレックスは研究を続けてもいい、と言ってくれそうな気がした。けれど、本当に結婚すれば、子どもが出来るかもしれない。それだけならともかく、親類縁者との付き合いも発生するだろう。と、いろいろ考えるうち、ゆううつになってきてしまった。
マリーがいったん寮に戻ろうと思ったのも、頭を冷やして、気分を切り替えたかったからだ。
学院がいつもどおりに業務をはじめるまで、屋敷にいても良かったのだが、とりあえずは、ひとりになりたかったのである。
「ちょっと、自分勝手だったかな」
白い息とともに、思いも吐きだす。
ちょっとだけ、うしろめたい。
だからといって、アレックスが好きだ、という気持ちに変わりはない。出来るなら、一緒に過ごしたいのだ。だからこそ、この十日間は、ほんとうに、ただ幸せだった。誰かといて、こんなにも穏やかな気持ちになれることがあるなんて、知らなかった。まあ、マリーからすれば、いろいろと物足りなくはあったのだが。
アレックスは、きちんと結婚してから、と言ったが、婚約段階ですでに男女の関係になってしまうカップルはたくさんいる。と言っても、話に聞いただけだが。そうだとしても、キスのひとつもしたっていいような気がする。
ふいに、リサの顔が浮かぶ。
彼女だったら「自分からやっちゃいなさいよ」と、実に楽しそうに言うだろう。
それもいいかもしれない。
そう思いながら、表面が凍ってざくざく音をたてる雪を踏みしめて、寮の中へと入った。