舞踏会の夜 4
「その、あのような場所で、突然の告白をしてすみませんでした。驚いたでしょう?」
「あ、はい。驚きました……突然だったこともありますけど、それ以上に……」
マリーがなお、言葉をつづけようとするのを、手を上げてさえぎり、アレックスは息をついた。
馬車の中は暗く、互いの顔が良く見えない。マリーの目には、今アレックスがどういう表情を浮かべているのかは、まったくわからなかった。闇に浮かびあがる、アレックスの白い手袋を見て、少しでも心境を読み取ろうとしてみた。けれど、やはりそれは不可能なことだった。
「……そうだったろうと思います。正直、いきなり意見を変える気になったことには、私自身が一番、驚きました。でも、あれは、本当の気持なのです。
正式には、日を改めてきちんと言いますが、私は、あのとき、あなたに〝なかったことにしよう〟と言われて、とてもつらかった」
「……ごめんなさい」
「いいえ、謝らなければならないのは私のほうなのですから、あなたには怒られても仕方ありません。ですが、さっき言ったことは、本当の気持ちです……信じてください。
私は、あれから、自分の気持ちを整理してみたのですが、結論としては、過去にとらわれつづけることは、悪なのではないか、と感じたのです」
「過去……」
マリーはつぶやいた。それは、ずっと気になっていたことだった。
彼は、昔になにかつらい経験をしており、そのために人を愛することに抵抗を抱いているのではないか。マリーはそう考えていた。本当は、聞いてみたい。けれど、変な聞き方をしたら、傷つけてしまうような気がして、聞くことが出来なかったのだ。
「そうです。過去は、変えられません……けれど、これからは、自分の努力しだいで、優しくてあたたかい未来をつくることができるのだ、とようやくわかったんです。
そして、その試練に立ち向かうとき、私は、あなたに側にいて欲しい。
……他の誰でもなく、あなたに、マリー……」
暗がりから、アレックスの手がのびてきて、マリーの両手をそっと包んだ。ふたりは、向いあわせに座っている。すぐ近くで、アレックスが深呼吸したことに気づかないわけにはいかなかった。
マリーの心臓は、いまにも口から飛び出しそうなくらいどきどきしていた。
「私と、結婚してくださいませんか?」
少し震えた声で、彼は言った。
まるで、乞い願うような声で。
マリーは心臓がとまりそうになった。落ちつかなければ、と思って、息をおおきく吸おうとするのに、のどが震えて、うまく吸えない。
それは、一生聞くことのない、マリーには縁がないと思っていた言葉。
知らず知らずのうちに、マリーの頬を、涙が伝う。
「……泣いているんですか? だめならばだめと、はっきり」
「いいえ。違うんです……ただ、嬉しくて」
それ以上は、のどがつまって声にならない。
「……それは、肯定の言葉と受けとってもかまわないんでしょうか?」
「はい」
涙声で、かすれてはいたが、マリーは必死にそれだけ言った。
涙がとまらない。早く止めなくては、館についてしまう。マリーは、懸命に目もとをぬぐった。
「使ってください」
アレックスが、そっとハンカチを渡してくれた。マリーは感謝しながらそれを受けとって、涙をふいた。そうしているうちに、馬車は館に到着する。今夜は、このまま館に泊まっていくことに決まっていた。やがて、御者が下りる音が聞こえ、扉が開けられる。
馬車を降りてエントランスホールに入ると、アレックスが言った。
「あの、よろしければ、明日すぐに戻ってしまわずに、しばらくここに滞在していきませんか?
色々と話もしたいですし、一緒に、新年を迎えられたなら、嬉しいのですが」
「でも、ご迷惑ではありませんか?」
「平気ですよ。前にも言ったとおり、この館の持ち主は、私の姉の夫なのです。彼らは、冬の間はまず戻ってきませんし、私はなにかを催したりしないので、部屋もほとんど開いているのです。使用人たちも、世話しなければならないひとが、ひとり増えるくらいはどうということもないでしょうし……」
アレックスの声がすこし弾んでいる。マリーは少し気後れしながら、その申し出を受けることにした。
こんなことがあった後、寮の部屋で、ひとり過ごすのはあまりにも寂しい。それに、サラとビックのことも気になる。寮より、こちらのほうが、彼らの暮らす館に近いから、様子を見に行ける、という思いもあった。
クリスのことは気にしていない。彼は、いつも新年を研究員仲間と酒を飲んで騒いで過ごすのだ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
マリーが言うと、アレックスは心から嬉しそうに笑って「良かった」と言ったのだった。