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ある女錬金術師の試み  作者:
episode 12
36/58

舞踏会の夜 3

「マリー、待たせてしまってすみません。

 ……ところで、この方たちは?」

「あ、はい。

 コープ男爵に、レディ・コープです。昔からの知りあいの……」

 そう言うと、アレックスは片方の眉をはねあげた。

 名前を聞いて、彼らが誰だかわかったらしい。

 マリーは、全身をこわばらせながらようすを見守った。

「ああ、そうでしたか。お会いするのは初めてですね。

 アレックス・ハーストです。これを機会に、顔と名前を覚えていただけると嬉しいのですが」

 にこやかに、なめらかに言いながら、アレックスは手に持っていたグラスをマリーに渡す。名前を聞いたハロルドの顔に、ゆっくりと驚きが広がっていく。

「あなたはもしや……なかなか社交の場に出てこないことで有名な、あの……」

「そのようですね。有名になど、なるつもりはなかったのですが」

「やはり! いや、これは嬉しいな、こちらこそ、お近づきになれて光栄ですよ」

 嬉しそうに言ったあと、ハロルドは怪訝そうな顔をしてマリーを見た。

「それで、マリーとはどのようなご関係なのでしょう?」

 アレックスはその質問に眉根を寄せた。あまりにもぶしつけだと思ったからだ。

 マリーはひやひやして様子を見守っていた。

 アレックスが気分を害したようなのが、とても気にかかる。当然だ。こんなふうに、あからさまに詮索されて、気分を害さない方がおかしい。なのに、ハロルドはその変化に気づかないのだ。それもまた、彼のもつ、いくつもの欠点のひとつだった。

「彼女は私の優秀な助手です」

 アレックスが低い声で言うと、ハロルドの顔が、なるほど、とでも言いたげな、あざけりをふくむ笑みにゆがむ。隣のサマンサも、まるで理解できない、異物を見るような目つきになった。

 マリーは、目頭が熱くなってくるのを感じた。やはり、このような場所に来るべきではなかった。ここ数年そうしてきたように、静かにひとりで過ごしていればよかったのだ。

 が、次にアレックスが発した言葉で、マリーの心境が一変した。

「それに、大切な恋人でもあります。

 そろそろ婚約を、と考えているのですが、忙しくてなかなかままなりません。仕事が忙しいのは、錬金術という学問が認められてきた、という意味でもあり、嬉しくもあるのですが、私生活を犠牲にしなければならないところが、つらいところですね」

 あまりにも唐突な告白に、思わずグラスを落としそうになる。

 手もとを見ると、指が震えているのがわかる。

 いま、彼は何と言ったのだ?

「あ、ああ、やはりそうなのではないかと思っていたのですよ。

そうですか、いや、おめでとうございます。正直、彼女のことはずっと気にかかっていたので、これで幸せになってくれると思うと、僕も嬉しい。……良かったね、マリー」

「あ、ありがとう」

 マリーは、気力をふりしぼって精一杯幸せそうに、ややはにかみながら、ほほえんでみせた。だが、ハロルドの目は全く笑っていなかった。むしろ、苛立っていることに、マリーは気がついてしまう。けれど、そんなことはどうでも良かった。

 サマンサの祝福の言葉も、ほとんど耳に入ってこない。機械的に会釈をかえし、お礼を述べるが、何を言ったのかもよく覚えていない。

 その時、楽隊が音楽を奏ではじめた。ハロルドとサマンサは、ダンスのためにふたりから離れていった。離れていくとき、ハロルドは小さい声でつぶやいた。

「まあ、色仕掛けでもしたのだろうね。でなければあんな大柄で、頭の中に聖書でもつまっているような女、彼が相手にするはずもないさ」

 小声だったのに、聞こえてしまった。

 マリーは落胆した。彼は、なにひとつ変わっていないのだ。結婚することにならずに済み、良かったとは思う。だが、彼の放ったナイフのような言葉が、マリーの心に残した傷は、決して消えることはない。そう考えると、出会ったことじたいが、不運だったのだと感じた。

「彼の言ったことなど、何ひとつ真に受けることはありません。君は私を誘惑してもいないし、とても美しいのですから。ほら、他の男性たちを見てみるといいですよ。君にダンスを申し込みたくて、こちらをうかがっている紳士が大勢いますよ?」

 言われたとおりに顔をあげ、フロアを見渡してみると、何人かの独身男性とすぐに目があった。慌てて目をそらし、シャンパンを口にふくむ。なぜかひどくのどが渇いた。

「ああ、あまりたくさんは飲まないでくださいね」

「どうしてですか?」

「酔ってしまうと、踊るのが大変になるでしょう? 

 せっかく舞踏会に来たのですから、ぜひ、私とワルツを踊ってください」

 その言葉に、マリーは頬が熱くなってしまった。

 もうずっと、ワルツだけではなく、ダンスを踊っていない。そもそも、マリーを誘うような男性自体がいなかったのだ。

 嬉しさと不安の入り混じった目でアレックスを見ると、彼は優しくほほえんでくれた。

「実は私、この日のためにダンスの特訓をしてきたんです。せっかくがんばったのに、特訓の成果がむだになるのは悲しいので、どうか……」

 穏やかに懇願されると、マリーの心は明るくなった。断るつもりはもともとない。けれど、ドジを踏んで、迷惑をかけたくなかったのだ。けれども彼のほうも、あまりダンスを踊りなれていないという。それならば、あまり気に病むことはないかもしれない。

 マリーは、半分ほど干したグラスを、近くのテーブルの上に置いて立ち上がると、アレックスに向かって、ほほえんだ。

「私などで良ければ、よろこんで」

 アレックスは嬉しそうにマリーの手をとり、甲に唇を落として「ありがとう」と言った。マリーは心まで躍りだしそうな気分になった。

 ふたりはぎこちなくダンスフロアに足を踏みいれ、ゆっくりと、まわりの邪魔にならないような位置で、ダンスを楽しみはじめた。特訓した、というだけあり、アレックスのリードは、マリーの不安をとりのぞくことが出来るほど、ゆるぎないものになっていた。

 久しぶりの空気に気分が高揚する。

 最初のダンスを終えて、もといた場所に戻ると、マリーのもとへ、ダンスのパートナーになって欲しいと申しこむ男性が殺到した。ほとんどが若い独身男性であり、驚きと困惑のなかでアレックスを見ると「楽しんできてください」と言われたので、ちょっと戸惑いながらも、彼らと踊ることに決めた。

 幸い、相手の足を踏みつけるようなこともなく、マリーは、自分の体がステップを覚えていてくれたことに感謝した。途中で休憩や軽食をとりながら、ふたりは舞踏会を楽しんだ。アレックスのほうも、何人かの女性と踊ったようだ。アレックスは誰に対しても穏やかに接し、マリーはそれにかすかな不満を覚えながらも、それすら舞踏会の熱気にのみこまれて、夜は更けていった。

 やがて、パーティもお開きになり、楽隊が片づけをはじめた頃、ふたりは館を辞して帰途についた。

 乗り込んだ馬車の中。

 まだ興奮を引きずって、頬の上気したマリーを見ながら、アレックスは切り出した。



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