舞踏会への誘い 4
大量の荷物とともにとともに部屋に戻ったマリーは、色々な意味で疲れ切っていた。
「楽しかったけど、大変だったな……」
つぶやいて、荷物を見つめる。
ここに持ってきたものはごく一部で、大半はアレックスにあずけてあったり、まだ仕立てあがっていなかったりする。それを思うと、なんだか頭がくらくらしてきた。
もう二度と、華やかだけれども、自由も尊厳もまったくないあの場所には寄りつくまい、と決めていたのに、結局アレックスの笑顔に負け、かなり色々と買いこんでしまった。
マリーは、催しなどに必要なもののほとんどは手放してしまっており、一応残したものも、父の領地にある実家に置いてきてしまっていたので、いざ舞踏会に出席するとなると、さまざまなものが必要だったのだ。
ボンネットに、傘、扇子、手袋、靴……無味乾燥だった部屋のなかに、突然あふれたあざやかな色彩に、なんだか目がくらむ。
特にドレスやガウンを選ぶときが大変だった。
何しろ、ここしばらく流行のことなど考えたこともなかったし、そもそも色やデザインで服を選ぶこと自体久しぶりだったので、すべて仕立て屋のマダムに聞かなければならなかったのだ。
その際に、あなたはこんなに素敵なのにもったいない、とか、こんなに美しいものを隠すなんて犯罪よ、などと、非常に恥ずかしいことを言われ、いたたまれなくてどうしようもなかった。
しかも、アレックスまでもが、その通りですよ、本当に綺麗です、よく似合っています、などなどと世辞を並べるので、マリーはますます恥ずかしくて困ったのだった。
「今まで、私のほうがアレックスを振りまわしていると思っていたけど、違う、違うわ。
絶対にそうよ。
私のほうが彼に振りまわされてる」
ふいに、名前で呼ぶことが普通になっているのに気づいて、マリーは赤面する。
こんなに簡単になじんでしまうとは、思ってもみなかった。
マリーは小さくうめいて、荷のひとつに手をのばす。
それはとても小さな包みだ。けれど、中味はとても高価なもの。そっと紙を開いて、中から出てきた箱を開けると、大粒のサファイアがきらきらと輝いた。
マリーは、身を飾るアクセサリーもひとつしか持っていない。
それも実家に置いてきたのだ。わがままを言って大学院に入ったのだ。せめて、金銭面での迷惑はかけたくないという覚悟で、高価なものはすべて置いてきた。
だから、今マリーが持っているのは、真珠のネックレスひとつのみ。
祖母が贈ってくれた大切なものだから、これだけは手放したくなかったのだ。
そのことを告げたら、アレックスはさっそくマリーを宝石商のもとへ連れて行き、目の前で輝くネックレスとイヤリングを買ってくれたのだ。
マリーは買うことに反対したのだが、押し切られてしまった。
「さすがに、あとで返さないとね」
そう言ったものの、返したら彼が傷つくだろうという気もしていた。
だから、あずかっていてもらう、と言って返そう。それなら、また何かの機会にこれを借りてつけられるだろうし、アレックスも受け取ってくれるはずだ。
「どうして、こんなことになっちゃったのかな。
すごく楽しそうだったし……少し前に告白してきたひとと同一人物だなんて……とてもじゃないけど思えない」
少し前まで、結婚はできない。だから婚約はできないがそれでもいいか、と言っていたのに。これでは完全に婚約者扱いだ。
嬉しいといえば嬉しいのだが、納得がいかないのも事実だった。
「とにかく、これは明日研究室に行くときに持っていって、あずかってもらうの。私が持ってるのって、なんだか怖いし」
言って、箱を閉じると、大きく息をつく。
澄んだ冷たい空気が肺に入りこみ、心と頭を冷やしてくれる。
「ハウエルズ……どうしてるかな?」
話をして、手をつないで帰った夜から、彼は姿をあらわさない。なぜ知っていたのかがわからないが、彼はマリーが妙なうわさに困惑していることを承知していた。だから、一緒に寮までくることを拒んだのだ。
あの日の夜、マリーはハウエルズとともに、市場を見てまわった。
雑多な階級のひとびとが、さまざまなものを売り買いしている場所。あのような熱気と喧騒のなかを歩いたのは初めてだった。珍しい食べものを買い、ひとびとの暮らしをまのあたりにしたことはマリーに新鮮な驚きを与えた。
そのときに買った品物を置いた棚に目を向ける。
殺風景そのものだったこの部屋に、少しずつものが増えていく。ぼんやりとそれらをながめていると、ふいに胸が痛んだ。心を決められない弱い自分が嫌でたまらなかった。
けれど、必要とされることの喜びは、たとえようのないほど魅力的だった。今だけ、今だけだ。こんなことはこの先、もう二度とないだろう。クリスマスなのだ。少しだけ夢を見よう。ほんの、少しだけ……。
マリーは小さく気合をいれ、買ってきたものを整理しはじめた。