舞踏会への誘い 2
マリーは買ってきた食料品をテーブルの上に置くと、小さな暖炉に火を入れた。
どのみち、すぐには暖まらない。
それでも、橙色の光が見えると、いくばくかはましに感じられた。
「それで……どうしてわざわざ入口のところで待ってたの?
教授まで一緒に」
マリーが困惑したように言った。
アレックスは、彼女が自分のほうをあまり見ないようにしていることに気がついた。
「しょうがないだろ?
例のうわさをもっとあおるようなことは出来ないし、話をしようとすれば君はいきなりさらわれちゃうし……というか、大丈夫だったの?
あの悪魔になにかされてない?」
「平気よ?
彼、話があっただけだったの……そんなことより、話をそらさないで」
「そらしたわけじゃないよ……心配しただけじゃないか。
話っていうのは、リサのことだよ」
言いながらクリスはテーブルの上の食料品をあさり、棚からナイフを勝手に取って、ハムやチーズなどを勝手に切り取って食べはじめてしまった。
マリーは何も言わないが、アレックスはいいんだろうか、と思った。
「そういえば言ってたわね。リサになにかあったの?
でも、確かに今日だけじゃなくて、ここ二、三日姿を見てないわ」
「うん、リサが……っていうか、ビックの方が困ったことになってて。
まあその辺のことは僕も教授に教えてもらったんだけどさ」
食べものを咀嚼して飲みこんでからクリスは言い、ちらっ、とアレックスを見た。
入口近くで、大きな体をちぢめて立っていたアレックスは、マリーを見ると、軽く咳ばらいした。
「今日、私のところに来客があったでしょう?
彼女は、ビック・ウエストンの妹でしてね、そのことを伝えに来たんです。
この寒さのせいか、ビックは強い流感にかかってしまったとかで……。
ほら、彼はもともと肺が良くないでしょう?
体力が持たなければ命が危険ということで」
「……じゃあ、リサは」
「彼についていようとしたらしいのですが、うつってはいけないからと追い返され、顔も見せてもらえなかったそうです」
その時のリサの心痛を思うと、アレックスは気が重くなった。
「と、いう訳でさ、明日一緒にリサのところに行かないかと思って。
学院はちょっと休ませてもらってさ……まあ、僕らがいたところでたいしたことは出来ないけど、誰か側にいれば、リサも少しは気分が違うだろ?」
クリスは肩をすくめつつ言った。
リサは今、おばの、気難しい準男爵未亡人とともに、パディントンの町屋敷で暮らしている。それ以外のリサの家族は領地で暮らしていた。
「そうね、わかったわ。
じゃあ明日行きましょう」
「よし、決まりだね。
それを聞きに来たんだ……ねえ、もう少しもらっていい?」
言いながら食べものを指差したクリスに、マリーは苦笑しつつ「いいわよ」と返した。
「……私もご一緒させてもらいます」
アレックスは、少し遠慮気味に言った。
すると、マリーだけでなく、クリスも目を丸くした。
「ビックは私にとっても大切な友人なんです」
言い訳じみた言い方をしてしまったな、と思いつつ、アレックスはふたりを見た。
「寄宿学校時代、同じ寮だったんですよ彼とは。
色々面倒を見てもらいましたし、その逆に見たりもしました。
子どもの時はお互いの領地にもよく遊びに行っていましたしね。ただ、私が研究者になってからは会っていないんです。
それに、もしかしたら私も一緒に行けば、リサさんも彼の顔をひと目見るくらいは出来るのではないか、と……あ、いえ、ご迷惑ならば私はひとりで行きますが」
「そんなことありません!
もしそう出来たら、リサがどんなに喜ぶか」
マリーは勢い込んで言って、嬉しそうにアレックスを見た。
その表情を見たアレックスは、言ってよかった、と思った。
「それなら良いのですが……では、明日の朝、この寮の前で集まる、ということで良いでしょうか?」
訊ねると、マリーとクリスは「はい」と返した。
「では……私はこれで失礼します」
アレックスはそう言うと、ふたりの返事を待たずに部屋を出た。
少しずつ、少しずつでいい。マリーを傷つけたせいで出来た溝を埋めるには、きっと時間が味方をしてくれるはずだ。
寮を出て自分の部屋のある通りへ向かいながら、アレックスは考えた。
今、一番厄介なのは悪魔の入り込んだ自分そっくりのあの体だ。
そもそも、アレックスはああした存在を前にしたのは初めてなのである。
錬金術、というある意味では正道ならぬ学問を研究する立場としてみれば、それは興味深い対象なのだが、個人的には邪魔で仕方ない。
それに、なにしろ存在の定義があいまいすぎる。例えエクソシストなどに依頼したとしても、本当に追い出せるのかどうかが分からない。
何しろ、とりついている体自体に魂が存在していない。それはつまり、侵入してくる存在に抵抗できる精神がない、ということでもある。
なにはともあれ、あの体から追い出せさえすれば良いのだ。
「……罠はすでに仕掛けたことですし、後はどれに引っかかるか、しばらく見物させていただくとしましょう」
アレックスはひとり、暗い笑みを浮かべて通りへ出た。
大学院はパディントン市の最も東にあり、近くに市街地もないためとても静かだ。だから、こうして通りまで来ると空気がまったく変わってしまう。
人通りも増え、あらゆる階級の人々が入り混じる独特の喧騒に包まれる。
このなかに、あの悪魔もひそみ、とけこんで、人々の魂を狙っているのだろう。
だが、マリーの魂を欲して大学院まで来た時が、奴の運の尽きだ……。
無表情を装いながら、アレックスは心のなかで笑った。