舞踏会への誘い 1
もうかなり暗くなってきていると言うのに、マリーはなかなか帰ってこない。
毛皮が裏打ちされた外套の前をかきあわせ、アレックスは憂鬱な気分になった。隣ではクリスが足踏みしながら、少しでも寒さをやわらげようと奮闘していた。
アレックスは苛立っていた。
こんなことになろうとは、予想もしていなかったのに。
自分はいったいなにをしているのだろう。それでも、この行動が間違っているとは思えないのが妙に腹立たしい。
かつて見た、悲しくつらい光景。
あんなものはもう二度と見たくないし、自分が同じ思いをするのも嫌だ。だからこそ、そうした事態を招くようなことはしまいと心に誓ってきたというのに。
完璧に閉ざしたと思っていた、封じこんだと思っていた感情を、マリーはいとも簡単にこじあけてしまったのだ。
最初はその真っ直ぐなところに興味をおぼえた。それから、研究にたいするひたむきさや、笑ったときの華やいだ顔などを見ていくうちに、引き返せないところまで来てしまっていた。
マリーも自分のことを男性として見てくれているとわかった時は嬉しかった。好きだと言われたときに感じた幸福感は、たとえようがないくらいだった。
だからこそ、彼女の誤解を解かなければならない。
アレックスはマリーを失いたくなかった。
正直、彼女が怒るのもわかる。アレックスは、自分の心を守るために、彼女にずいぶんとひどいことを言い続けてきた。彼女に甘えていたのだろう。
(マリーに謝って……イーディスのこともきちんとけじめをつけよう。
そのために、なんとか説得しなくては……)
アレックスはさらに深みを増してきた夜のとばりと、そこに無数に浮かぶ星のまたたきをぼんやりと見つめながらとりとめもなくそんなことを考えていた。
「……マリー、遅いですね。食事してくるつもりかな」
クリスが鼻をすすりながら言った。
「そうかもしれませんね。
でも、私はここで待ちます……クローネ君は、食事してきても構いませんよ?」
「……いえ、います。
こうなったらマリーに食いものたかるんで、それにこんなに暗いんじゃ、ますます僕がいたほうがましじゃないですか」
「それは……そうですね」
アレックスは苦笑した。
クリスの言うとおりだと思ったのだ。
アレックスはともかく、これ以上あのうわさに油を注ぐようなまねをすれば、マリーの名誉は地に落ちるだろう。それを黙って見ていることは出来そうにない。
もしそうなったとしたら、最後の手段に出るつもりはあった。
アレックスが心のなかでこっそり決意を固めていると、小さな靴音が聞こえた。クリスにも聞こえたらしく、ふたりして音のした方を見ると、マリーがいた。腕に紙袋をふたつ持ち、驚いたのか目を丸くしている。
「あー!
やっと帰ってきた!」
クリスが呆れたような声を出し、マリーに歩み寄ると、袋のなかをのぞきこむ。
「お、生ハム買って来たんだ。食べていい?
ていうか、待たせたんだからいいよね?
待ってるあいだにお腹すいちゃってさ」
「待ってた……ってなんで?
なにかあったの?」
マリーは不安げな様子でクリスの顔を見て、それからアレックスを見た。
「まあちょっとね……それより中で話そうよ。寒くて寒くて」
クリスは大きく息を吐き出しながら言った。
白いもやが一瞬ひろがってすぐに消える。
学院の研究員と一部の助教授たちが寝起きする寮は、昔に学生寮として建てられたものを改装しただけであり、石造りでかなりの大きさがあるため、外にいると強い風に吹きさらされる。
その強さは、へたをすると荷物すら吹き飛ぶことがあるくらいだ。
「かまわないけど……火は入ってないから中も寒いわよ。
でも、クリスも教授も鍵持ってるんだから、中で待ってれば良かったのに」
マリーは不思議そうに言いつつ、合鍵で外の扉を開けて、ふたりをなかに入れた。
「まあ、ちょっと事情があってさ」
クリスはあいまいに笑った。
「ふぅん、そうなの」
マリーは良くわからないと言いたげにそうつぶやくと、うす暗い玄関広間を抜けて自室へ向かった。
冷たい風にさらされないぶん、建物のなかのほうがましだった。
それから少し階段をのぼり、マリーは自室にふたりを招き入れた。
あいかわらず殺風景な部屋の中をみまわし、アレックスは以前自分が持ってきた食料品の残りを見つけた。食べてくれたのだ、と思うとなんとなく安心できた。