白魔女の記憶 3
「……どうして知りたいか、なんて考えもしなかったぜ。
そうか、理由……この俺が人間になりたい……?」
自問をし、困惑したような顔でマリーを見るハウエルズ。
マリーはやや呆れてため息をつくと、少し考えた。
「あのね、もしかしたらなんだけど、傷ついていたのは体だけじゃなくて、存在そのものだったとは考えられない?
その状態でひとの魂をとりこんだことで、人間の魂と悪魔の魂が混ざり合ってしまった。
ということは考えられない……?」
マリーがそう言うと、ハウエルズはすぐにはのみこめなかったのか、しばらく怪訝な顔をしていた。が、意味を理解すると、眉間にしわを寄せてちいさくうめいた。
「待て、もしそれが本当だったとしたら、これはアミーリアが感じていることって訳か?
うわ、ありえそうなだけに否定できない」
マリーは思わず、くすっと笑ってしまった。
悩んでいる彼の姿が、なんだか可愛らしく見えたからだ。
「まあ、ただの推測というか、憶測だから本気にしないで。
それはそうと、教えて欲しい感情があったんでしょ?
どんなふうだか教えて」
「あ……ああ。
う~ん、どう説明したらいいかわかんないんだけどさ、ある人のそばにいるのがただ嬉しくてたまらないんだ。その人に近づく奴がいると、すごく嫌な気分になる。その人が苦しんでいると辛い。なんとか力になりたくなる。
所有欲かとも思ったんだけど、ちょっと違う気がするんだよな」
「それって……」
マリーにはすぐに答えが分かった。
というより、彼がなぜわからないのかが不思議だった。
「わかるか?」
ハウエルズは首をかしげ、下からのぞきこむようにマリーの目をまっすぐに見てくる。
思わずマリーは目をそらした。
なんだろう? もやもやする……あまりにもわかりやすいその答えを言いたくない。
不意に胸の中でうずまきだした黒い感情に、マリーは混乱した。
「ね、ねえ、その人って誰なの?
だめじゃなければ教えて?」
知りたい。とても。「その人」が一体誰なのか。
そんな欲求に突き動かされて、思わず口走ってしまったが、マリーはすぐに後悔した。なんて醜いことを言ってしまったのだろう。取り消さなければと思って、口を開きかけたとき、ハウエルズが言った。
「だめだから教えない」
マリーは殴られたような衝撃を感じた。けれど、それを顔に出すわけにはいかない。そんな自分を見せたくない。
「そ、そっか。そうだよね……変なこと聞いてごめん」
マリーは明るく笑った。
「えーと、多分ね、その気持ちは……」
必死に勇気をふるいおこして、小さく息を吸う。
「恋、だと思う。ようするに、その人のことがすごく好きで、特別だってことよ。
ずっと一緒にいたくて、相手の時間も、心も、体も欲しくなっちゃうの」
なんとか言うことができて、マリーは少しほっとした。
ハウエルズは、しばらくの間何も言わなかった。
マリーも黙っていた。
自分の心がどこにあるのかわからなくなっていたからだ。
もしかしたら、マリーはハウエルズという悪魔の、人間的な部分に惹かれつつあるのだろうか? それとも、アレックスがああいう態度だから、マリーの心が逃げ場を求めて、ハウエルズに甘えてしまったのだろうか?
いままで本当の意味で恋したことのないマリーには、ただの気のせい、で片づけることくらいしか思い浮かばなかった。
「……ねぇ、暗くなってきたし寒いし、そろそろ寮に帰ってもいい?」
「あ、ああ。そうか、そうだな……じゃあ送っていくよ」
「うん……あ。そういえばあなたっていつもどこにいるの?」
ベンチから立ち上がりかけ、マリーは今まで訊こうと思っていて訊きそびれていたことを口にした。
「どこ……って、まあ色々だけど。
なにしろ暑さも寒さも痛みも特に感じないからどこにいてもたいして変わりないし。
昨日は酒場にいて変な奴らにからまれたんでつまみだしてやったら、そこの主人に用心棒やってくれって懇願されて、暴れた奴を片っ端からのしてた。
店が閉まったあとは大学院のあいてる部屋で寝てたよ」
「ちょっと……危ないことはやめてよ」
マリーは眉間にしわを寄せてため息をついた。
「なんでだ? 俺がどこでなにしてようと俺の勝手だろ」
「確かに、あなたはどこでなにしてようと勝手にすればいいわよ。だけど、この身体は私の最高傑作なんだから、傷つけられたり壊されたりしたら悲しいじゃないの!
自由に行動したいならこの身体から出てからしてよ」
怒りながらマリーが言うと、ハウエルズはにやりと笑った。
「そのお願いきいたらマリーの魂俺にくれる?」
マリーは呆れて言葉も出なかった。
額に青筋、口もとにはなまぬるい笑みを浮かべ、ベンチから立ち上がると、そのまま歩き出す。
「あ、待ってくれよ! 冗談だって」
ハウエルズは慌てて言うと、マリーを追いかけてきた。
マリーは立ち止まることもなく、そのまま歩き続けた。
今の時間帯、たいていの上流、中流の家はディナーのはずだ。そのため、馬車も人影もまったく見当たらないので、来たときより楽に歩けた。
風もどんどん冷たくなってきており、マリーは早く寮の部屋に戻りたかった。
が、後ろから肩をつかまれ、仕方なく立ち止まって振り返る。
「まだなにか用なの?
悪いけど、今日はもう……」
言葉は最後まで続かなかった。
ハウエルズが後ろから強い力で抱きしめてきたのだ。
突然のことに、マリーは驚いて固まった。
しかも、なぜか振りほどきたいとは思わなかった。むしろ、彼の血の通っていない体の冷たさが悲しく感じられ、温めてあげられたらとすら思ったのだ。
「さっきの話にでてきたある人のことだけど……」
耳もとでささやかれ、マリーはちいさく震えた。
「お前のことだって言ったらどうする?」
「……なによ、それ」
ハウエルズの告白に、マリーは泣きたいような、笑いたいような気持ちで言った。
「もう、からかうのはやめて……」
「からかってなんかいない……本心だ」
そう答えたハウエルズの声に、冗談や笑いめいたものは混じっていなかった。
マリーは激しく打ちだした自分の心臓の音に戸惑った。
「で、でも私は……!」
「わかってる。けど……そばにいるくらいならいいだろ?」
だめだ、とは言えなかった。
(ずるいな……私。最低……)
マリーは自分に対して心底そう思った。
アレックスが好きだと言った舌の根もかわかないうちに、ずっと否定してきたハウエルズに対してときめいてしまうなんて。
それでも、よりどころを必要としていたマリーの心は、悪魔の言葉を受け入れた。
「……帰りましょう。寒いわ」
「それ、そばにいてもいいってこと?」
「好きに考えていいわよ。
ほら、帰るんだから離して」
そう言うと、ハウエルズはすぐに離してくれたが、かわりに手を握られた。
マリーは驚いて、振り返った。放してと言おうとして、ハウエルズの顔を見ると、何も言えなくなってしまう。
あまりに無邪気に、嬉しそうに笑っていたからだ。
マリーは慌てて彼から視線をはずした。
(なんだろう?
すごく頬が熱い……)
そのまま手をつないで歩きだす。
歩きながら、マリーはふっとほほ笑んだ。
こんな何気ないことが、ひどく嬉しくて楽しくて仕方なかった。
結局のところ、自分をなぐさめるためにつくったはずの『理想の恋人』が、本当の恋人になってしまうのかもしれない。
ちょっと皮肉げにそう思いながら、マリーは悪魔と手をつないで、のんびり帰路をたどった。