白魔女の記憶 2
貴族や上流階級の人間たちが走らせる馬車が邪魔だな、と思いつつきちんとよけて、マリーとハウエルズはベンチを探した。
時刻は昼過ぎで、日差しが芝を温めている。
外でもあまり寒くないのはありがたかった。
何しろマリーは上着を学院においてきてしまっているのだ。
しばらくふたりは視線をさまよわせて、座れる場所を見つけると、すぐにそこにおさまった。二人の間には、子どもが一人座れるくらいの距離があけられた。
「それで……私に聞いて欲しいことってなに?」
「ああ。
アミーリア、という人間のことなんだ。俺がかつて、魂を狙ったことのある人間だ……彼女は、薬草を調合して、薬をつくって暮らしていた。
近くの町や村の人間たちからは、癒しの力を持つ魔女と呼ばれていた」
魔女……。
その言葉から、アミーリアというひとはずいぶん前に生きたひとなのだとわかった。
今では学問の世界も、人々への教育も進み、魔女と呼ばれたいにしえの知識をつないできた人々への偏見も、農村部でこそまだ残っているものの、かなりすくなくなっている。
だが、かつて世界に無知だった人々は、彼女たちを恐れた。
もちろん、なかには受け継いだ知識を悪いことに使う悪人もいたが、たいていはただそれ活かして人の役に立ちながら自分も生活しているだけのひとがほとんどだったのだ。
彼女たちは語らない。
ゆえに誤解も生み、迫害されることも多かった。
「その、アミーリアというひとを気にいらなかった誰かがあなたに魂を狙わせたの?」
恐れた人々が、とも考えられたが、ならば神父や牧師を呼ぶだろう。
わざわざ悪魔をよんで殺そうとするとは思えない。他の人々に知られずに害したい誰かの仕業としか考えられなかった。
「んーまあ、正確にはその地域を所有してた地主のおっさんだよ。
愛人にしようとしたのを拒まれて、なら堕落させて殺してやるってことでね」
「うわー、最低ねそいつ」
マリーは心底嫌な顔をした。
今は多少改善されたとはいえ、かつては立場の弱い女性はかなりそういう被害にあっていたようだ。
「そこで呼び出された俺が行くと、アミーリアは怒って出て行け、消えろ、この害虫って言い放ったんだ。たいていの人間はこの瞳を見ると心を奪われるって言うのに」
「へぇ~、まあしかたないんじゃない。
実際そんなようなものだし」
マリーは言いつつ、ハウエルズの赤い瞳を見てみたが、綺麗だと思いこそすれ、特に何も感じない。
ハウエルズはそれに気付いて顔をしかめた。
「やめてくれ……悪魔としての自信をなくす」
「でも私以外には効くんでしょ?
じゃあいいじゃない」
「肝心の人間に効果がなきゃ意味ないだろうが。
もういい、話を続けるぞ……とりあえず、彼女の魂はすごく俺の好みだったから、なんとかして落としてやろうと毎日通ったんだ。
そのうち、彼女のもとに薬を買いに来る人間があらわれた」
一旦言葉を切り、ハウエルズは小さくため息をついた。
「それは小さいガキの母親でな……医者にも見放されたけど、何とか助けたいからといって訪ねてきたんだ。アミーリアはその母親の話を聞いて、薬は作れると約束して母親を帰した。
だけど、その薬に必要な薬草はいま手元になくて、採りに行かなくてはならなかった」
ハウエルズは時々言い辛そうに言葉を切った。
とても辛そうで、マリーは思わず手に触れたい衝動にかられたが、実際には触れなかった。
触れられなかった。
「翌日、俺は呼びだした人間に呼び戻された。
いつまでたってもアミーリアが堕落する様子がないんで、変に思われたんだろう。
そいつは俺の話を聞くと役立たずと言い、結局地主が自分で始末を付けに行くから用なしだと言われて契約を破棄された。
俺はそれを聞いて、腹が煮えくりかえる思いだった。
怒りのまま召喚主を殺して、アミーリアを追ったんだ」
ハウエルズは大きく息をついて、言った。
「けど、間に合わなかった。
彼女は猟銃で撃たれて、倒れていた。近くにいた地主とその連れや使用人すべてを俺は殺した。
それから、まだ少し息のあった彼女に懇願されて、家へと連れ帰った。
家へ着くと、死にかけてるって言うのに彼女は薬を作り始めたんだ。
俺は止めたけどアミーリアは聞かなかった……そして、薬が完成すると、召喚主に逆らったせいで魂と肉体に傷を負っていた俺に笑って言ったんだ。
自分の魂を食えって。
その代わり、あの母親に薬を届けてやって欲しいと、俺は断りたかったが断れなかった。
傷のせいで、存在自体がヤバかったからな……。
だから……彼女の言うとおりにしたんだ」
ハウエルズは一気に語ると、少し疲れたように息をついた。
マリーは色々と言いたいこともあったが、口をはさむのはなんだかはばかられて、黙っていた。
「母親は喜んだよ……俺も嬉しかった。
嬉しかったんだよ。
悪魔が喜ぶようなことじゃないってのにだ。
それからさ……アミーリアとの一件以来、俺はまるで人のように感じることが増えたんだ。
どれが怒りだとか、悲しみだとか分かるまでずいぶんかかった。
もちろん、まだ理解できていない感情もある……それが何なのか、マリーに聞こうと思ってさ」
「そう、その反応が人間にとってどういう意味を持つのか知りたいって訳ね。
いいわよ。
そういうことなら協力する。
あ、でも、どうしてそれを知りたいなんて思ったの?
それじゃあまるで、人間になりたいみたいじゃない……」
ようやくハウエルズの真意がわかって、何を求められていたかわかったマリーは、ふと浮かんだ疑問を口にした。
すると、ハウエルズは驚いたような顔をした。