白魔女の記憶 1
気持ちの悪い浮遊感のあと、地面に下り立ったのを感じて、マリーは閉じていた目を開けた。
だが、ハウエルズはなかなかはなしてくれない。
もがいても、胴にまわされた腕はびくともしなかった。
「ちょっと、離してよ!」
「一緒に来て話を聞いてくれるって約束すれば離してやる」
「……どこへ行くつもりよ」
マリーは苛立ちながら言って、周囲を見回し、安心した。
個人研究室の外は、ちょっとした林になっているため、人がいない。
この状況を誰かに見られることは避けられたのが幸いだった。
顔を上げて下りてきた窓を見る。
アレックスの姿は見えない。なんとなくチクリと胸が痛んだ。
宙に浮いた足を動かすと、ガサガサと音がする。足元には大量の落ち葉が積もっていた。それでハウエルズは無事だったのだろうか?
「落ち着いて話が出来るとこさ。
言っただろ? 聞いて欲しいことがあるっ、て」
「話を聞くだけなら寮の私の部屋でいいじゃない」
「それは却下」
「どうしてよ」
「お前の知り合いが来たら困る。
さっきのクリスって奴とか、あのいけすかない教授とかがさ」
「教授は来ないわよ、多分……。
クリス……は、そういえばリサがなんとかって……あんたのせいで聞きそびれちゃったじゃないの」
マリーが口をとがらせて文句を言うと、ハウエルズは呆れたように肩をすくめた。
「俺じゃなくて、あの教授が来たせいだろ?
まあ、明日聞けばいいんじゃないか?
どのみちお前、今すぐには戻りたくないだろう?」
全くもってその通りだったので、マリーは言い返せなかった。
代わりに、歯の間から唸るような声を出してから、ため息をついた。
「じゃあ行くわよ。
でもいかがわしいところ以外でお願い」
「そうだなあ、じゃあ公園にでも行こうか?」
ハウエルズは、少し考えるそぶりを見せてから言った。
「公園、て、人がたくさんいるじゃない。
落ち着いて話が出来るところがいいんじゃなかったの?」
「だからだよ、人がいるのが当然のところで、知り合いじゃない男女が何か話していても誰も気にとめやしないだろう?」
確かにそうかもしれない、とマリーは思った。
それでもなんとなくうなずかないでいると、ハウエルズが顔を近づけてきた。
「異論がないなら行こうぜ」
「わ、分かったわよ」
マリーがそう言うと、ハウエルズは体をはなしてくれた。
急にはなされたので、マリーが少しよろめくと、彼はとっさに腕をつかんで支えてくれる。
思わず心臓が大きく跳ねた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
笑顔を返してくれたハウエルズに、マリーは複雑な気持ちになった。
彼は悪魔なのだ。
わかってはいても、ハウエルズの行動のひとつひとつが、マリーがアレックスに求めるものであることがたまらなかった。
目の前の悪魔がアレックスなら、と思ったものの、そもそも本来の彼ならばこういう行動はとらないだろう。それが、妙に苦しかった。
「……どうした?」
「な、何でもない!
行きましょう。日が暮れる前には部屋に戻りたいし……」
「ああ」
歩き出したマリーに、どこか疑っているような返事をして、ハウエルズも歩きだした。
マリーはなんでそんなに勘がいいんだと罵りたくなったが、それは口に出さず、ただもくもくと歩き続けた。