うわさと本音 4
「……なんかお取り込み中のところ悪いんだが」
マリーはびっくりして顔をあげた。
窓のところにいたのは、街をふらふらしている若者が着ているような、派手な色彩の服をまとったハウエルズだった。
何やら意味不明のことを言って消えてからは音沙汰がなく、静かでいいか、と思っていたら、こんなタイミングで現れるとは……。
「何か用なの?」
悪魔などの相手をしている余裕のないマリーは、むすっとしたまま言った。
「いや、ちょっと聞いてもらいたいことがあったんだが……。
その様子じゃ無理そうだな」
ハウエルズは初めて見せる、本気で残念そうな顔をして言った。
「何よ話って……魂ならまだあげないわよ」
「いや、ちょっと大切な話だから今はいい。
急いでないしね、それより、お前の方が何かあったみたいだな。
とんでもない顔してるぜ」
そう言いながらハウエルズは窓から下りて部屋に入ってくると、マリーに歩み寄った。
「……今あなたの顔は見たくないの。
どっか行ってくれない?」
マリーが剣呑に言うと、ハウエルズはにやっと笑った。
「あの教授と何かあった訳だ。
じゃあ……忘れさせてやろうか?」
ハウエルズは、アレックスが決してしないだろう妖艶な笑みを浮かべた。
炎が宿っているような瞳を閃かせて、マリーのあごに手を掛ける。口元から、牙がのぞいていて、それがひどく艶めかしい。
拒否しようと顔を横に振るが、すぐにまた正面に戻される。
さらに抵抗する力は、マリーに残っていなかった。
「……ずいぶんと大人しいな。
なんか、調子が狂う」
「しょうがないじゃない。
もう、何もかも分からなくて、こんな状態の自分が嫌でたまらないのよ」
マリーは思わず本音をこぼしていた。
「こんなことになるなら、告白なんてして欲しくなかった。
ただ、憧れたままでいられれば良かった……こんな、先の見えない、いつ終わるのかも分からなくて、あの人に振り回されるだけの関係なんて、やっぱり私には無理だったんだわ。
まだ、なにも始まっていないのに……絶望感しか感じられないなんて……!」
マリーの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちはじめた。
ハウエルズは、思わずマリーの背に腕をまわし、抱きしめていた。
小さく震えている肩が、支えを求めているように感じられたからだった。
(馬鹿な……。
悪魔であるはずの俺が、いったい何を……?)
いま、悪魔としてのハウエルズがとるべき行動は、マリーをなぐさめながら甘い言葉で淫行をそそのかしたり、堕落への道をそっと歩かせることのはずだ。
決して、なぐさめるために抱きしめるなどということではないはずだ。
(アミーリアに会ってからだ……)
原因はなんとなく分かっていた。
今日は、そのことについてマリーに相談してみようと思ってやってきたのだ。
この、どことなくアミーリアと似たところのある娘ならば、これがなんなのか分かるような気がしたか
らだ。
だが、肝心のマリーがこれでは……。
ハウエルズはそこを動くことも出来ず、遠慮がちにマリーの背をさすった。
なぜか、マリーが辛そうな姿をしていることは、ひどく胸をしめつけた。
その時、ドアが激しく叩かれた。
「マリー!
ここにいるのか、いたら返事してくれ!」
ドアの向こうから、心配そうなクリスの声がした。
マリーはびくっ、と身じろぎし、驚いたようにハウエルズを見て、やや慌てながら身体を離そうともがいた。ハウエルズは、少し意地の悪い気分になり、先程より力を込めて抱きしめた。
「マリー!
……ここにもいないのか」
「い、いる!
いるわ! ちょ、ちょっと待って、いま開けるから」
マリーは必死になってハウエルズを押しのけて立ちあがる。
ハウエルズはおとなしく離してやった。
そんなハウエルズを少し睨みながら、マリーは目もとをそででぬぐってからドアを開けた。
「あ! いた、良かった~。帰っちゃったのかと思ったよ」
開けるなり部屋のなかにはいってきたクリスは、もう一人の存在を認めて固まった。
「あれ、え~と、マリー……アレは?」
そう問われて、マリーははっ、としてハウエルズを見た。
気が動転していてすっかり忘れていた。そういえば、マリーにはすっかり彼の存在が当たり前になってしまっているが、クリスは動いている彼を見るのは初めてなのだ。
「初めまして。
とりあえず俺、あの笑わない教授様じゃないんでよろしく」
言ってハウエルズは、クリスに歩み寄ると妖しく笑った。
「俺の名前はハウエルズ……なぁ、何か望みはないか?
何でも叶え……っぐっ!」
「な、なに言ってんのよこのボケ悪魔!」
いきなり契約を持ちかけようとしたハウエルズを、マリーは思わず手近な、重い本でどついた。
それからすぐにクリスの様子を見て、背中に嫌な汗が伝うのを感じる。
「あのさ、もしかしてあの時の……?」
クリスは顔をひきつらせたまま、ハウエルズを指差して訊ねてきた。
マリーは、もうどうしようもなくて、とりあえずうなずいた。
「ま、まさか、いまマリーが教授とうわさになってるのって、こいつのせいだったり?」
違う、とマリーは言いたかったが、それではアレックスと何かあったことが分かってしまう。気が咎めたものの、マリーはクリスにうそをつくことにした。
ばれたら色々面倒だろうし、クリスを巻き込みたくなかった。
もしもばれてしまった時はひたすら謝ろう……そう誓って口を開く。
「えっと、そ、そうなんじゃないかな。
何かね、今は時々くる野良猫みたいになってるのよ」
「へぇ~、そうだったんだ。
確かに良く見てみると全然教授と違うね。雰囲気とかさ。
あ、僕はクリス。
あんたのおかげであの時はおいしいパンをたくさん食べられたし、とりあえずよろしくな」
クリスはマリーが拍子抜けするほどあっさりとハウエルズを受け入れてしまったようだ。
「ちょ、ちょっと、いいの?
そんなんで……そいつは私のつくった身体だけど、中身は悪魔なのよ?」
思わずマリーが言うと、クリスはどこかあきらめにも似た表情で嘆息し、
「君の友人やってればいちいちこの程度で驚いてなんかいられないよ。
今までだってずいぶんとんでもないことをしでかしてきたじゃないか。まあ、ここまで突き抜けるほどとんでもないことははじめてだけど」
と言って、改めてハウエルズをまじまじと眺めた。
「本当の本当に悪魔が入ってるんだ……」
クリスは心底興味深そうにつぶやいた。
一方マリーはクリスに言われたことに反論が全く出来ず、渋い顔で口をつぐんでいた。
そんなマリーを置いておいて、ハウエルズは殴られたダメージから回復したのか、やや楽しげに軽口を返す。
「そうだぜ。
身体とは契約で縛られてしまっているから、本来の姿を見せられないのが残念だけどな」
「それは確かに!
悪魔だったらさ、男にも女にも変身できるんだろ?
それは見てみたかったなぁ」
「ふふん、当然その程度はお安い御用だ。
この身体を出られてからだが、俺と契約すればどんな願いでも叶えてやるぜ。
お代は分かってると思うけどな」
「ははは、知ってる知ってる。
まあ悪魔にお願いしたいことなんか針の先程もないけどね」
クリスの言葉に、ハウエルズは引きつり笑いを浮かべた。
「あ、そうだマリー」
「な、何?」
「忘れてた。話があって探してたんだよ……リサのことなんだけどさ」
そう言うとクリスの表情が曇った。
マリーはなんとはなしに嫌な予感がして、いいあぐねているクリスに言葉の続きを促せなかった。
それでも、クリスの表情が気になり、落としていた視線をあげる。
ふと、開けっ放しにしたままのドアの向こうからこちらに急ぎ足で歩いてくる人物を見つけ、思わずあっ、と声をあげた。