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交換された部分で、快感を知るまでの話  作者: 魔杖


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第九章:選択―自分の身体をどう生きるか

※Pixiv、ハーメルン、ノクターンに投稿しています。

◆身体の記憶


 朝。

 郁は、研究室の窓辺に立っていた。

 外は晴れている。

 でも、胸の奥には、少しだけ曇りが残っていた。


「……元の身体のとき、こんなふうに考えたこと、あったかな」


 排尿も、排血も、快感も──

 全部、“知っていたはず”だった。

 でも、“知っていた”と“扱えていた”は、違う。


 郁は、そっと手を伸ばした。

 窓のガラスに、指先が触れる。

 その感覚は、今の身体のもの。

 でも、記憶の中には、別の手が残っている。


「……あの頃は、触れることに意味なんてなかった。

 整えることも、守ることも、考えたことがなかった」


 それは、無知だったわけではない。

 ただ、“必要がなかった”だけ。


 郁は、机の端に置かれたメモ帳を手に取った。

 そこには、交換後に書き始めた記録が並んでいる。


「排出のタイミング、粘りの残り方、洗浄の工夫……」


 それは、今の身体の“扱い方”の記録。

 でも、どこか“借り物”のような感覚が、まだ残っている。


「……でも、昨日よりは、少しだけ近づいてる」


 郁は、鏡の前に立った。

 履き慣れたスカートではなく、スラックスの前を整える。

 その動作は、もう慣れている。

 でも、今日は──“記憶”と“現在”が重なる瞬間だった。


「この身体で、生きていく。

 それは、選ぶことじゃなくて──

 選び続けることなのかもしれない」


 その言葉は、まだ揺れている。

 でも、揺れながらでも、前に進んでいる。



◆これからの身体


 昼下がり。

 郁は、研究室のロッカー前で、スラックスの前を整えていた。

 その動作は、もう慣れている。

 でも、今日は──“記憶”と“現在”が重なる瞬間だった。


「……この身体で、生きていく」


 その言葉は、まだ完全には馴染まない。

 でも、昨日よりは、少しだけ近づいている気がした。


 郁は、ロッカーの奥に手を伸ばした。

 そこには、折りたたまれたボトムスがいくつか並んでいる。

 スカートも、ワイドパンツも、タイトなものも──

 交換後に、いろいろ試した。


「スカートは、風でめくれるのが怖かった。

 ワイドパンツは、布が多くて落ち着かなかった。

 タイトなものは、反応が目立ちそうで避けた」


 鏡の前で、何度も立ち止まった。

 “似合う”かどうかではなく──

 “落ち着ける”かどうかを探していた。


 結局、スラックスがいちばん安心できた。

 整えやすくて、動きやすくて、反応も隠しやすい。

 それは、“見た目”の問題ではなく──

 “自分の身体を守る”ための選択だった。


 郁は、そっと息を吐いた。


「……選んだというより、選び続けてる」


 その言葉は、静かに胸の奥に残った。

 服装も、排出も、快感も──

 全部、“自分の身体と対話する”ための選択だった。


 郁は、窓の外を見つめた。

 光が、少しずつ傾いている。

 それは、“これから”という時間の始まりでもあった。



◆ふたりの沈黙


 夕方。

 準備室の窓から、柔らかな光が差し込んでいた。

 郁は、机の端に置かれたメモ帳を見つめていた。

 そこには、自分の言葉が並んでいる。


「性とは、身体の反応であり、

 誰かとつながる感覚でもある。

 でも、それは“自分のもの”であって、

 誰かに決められるものではない」


 その言葉を、鳥飼にはまだ見せていない。

 でも、見せなくても、伝わっている気がした。


 扉が静かに開く。

 鳥飼が、いつものように入ってくる。

 手には、資料の束。

 表情は、穏やかだった。


「先生、今日もお疲れさまです」


 その声は、いつも通りだった。

 でも、郁の胸の奥には、少しだけ揺れが残っていた。


「……鳥飼くん、交換してから、いろいろ変わった?」


 鳥飼は、少しだけ考えてから、頷いた。


「はい。

 でも、先生の方が、ずっと大変だったと思います」


 それだけ。

 それ以上は、何も言わなかった。


 郁は、そっと息を吐いた。

 鳥飼が“何を感じているか”は、わからない。

 でも、“何を言わないか”は、はっきりしていた。


「……ありがとう。

 言わないでいてくれることが、すごく助かってる」


 鳥飼は、微笑んだ。

 それは、“わかっている”という表情だった。


 ふたりの間に、静かな空気が流れた。

 それは、言葉のない信頼。

 “語らないことで守る”という距離だった。


 郁は、メモ帳をそっと閉じた。

 その動作は、誰かに見せるためではなく──

 “自分の言葉を、自分で守る”ためのものだった。



◆選択の余白


 夜。

 郁は、研究室の窓辺に立っていた。

 外は静かだった。

 でも、胸の奥には、少しだけ波が残っていた。


「……この身体で、生きていく」


 その言葉は、何度も繰り返してきた。

 でも、今日のそれは──少しだけ違っていた。


 決めたわけではない。

 でも、拒んでもいない。

 選んだというより、選び続けている。

 それが、今の自分だった。


 郁は、机の上にメモ帳を広げた。

 そこには、交換後の記録が並んでいる。

 排出のタイミング。

 粘りの残り方。

 洗浄の工夫。

 服装の選択。


 全部、“自分の身体と対話する”ための言葉だった。


「……この記録は、誰かに渡すためのものじゃない。

 でも、誰かが読むかもしれない。

 そのとき、少しでも安心できるように」


 郁は、そっとペンを置いた。

 その動作は、終わりではなく──

 “続きのための区切り”だった。


 鏡の前に立つ。

 スラックスの前を整える。

 その動作は、もう慣れている。

 でも、今日は──“選択の余白”を抱えたままの整え方だった。


「……これでいい。

 でも、これだけじゃない」


 その言葉は、誰にも聞こえない。

 でも、自分の中には、はっきりと響いていた。


 郁は、鏡の中の自分にそっと微笑んだ。

 それは、“借り物”に向けたものではなく──

 “これからの自分”に向けた、静かな挨拶だった。

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