白い夏
暑いときに食べるアイスは美味い。
ま、当然か。
夏休み。俺こと葛城哲也は河原の上を何をするでもなくただアイスを食べながらほっつき歩いていた。
夏休みの宿題? そんなの聞くまでもない。全部やってない。
毎年最後の一週間位で終わらせる。
それまではとことん遊ぶのだ。
親の小言は気にしない。
それにしても、
「あっついな〜」
呟きながら、てくてくと河原を歩く。
カサカサカサ。
一歩歩くごとに河原の草が乾いた音を立てる。
歩きながら、三本目のアイスの袋を破いた時、
「ん?」
俺は河原に座る女の子を見つけた。
白いワンピースに麦藁帽子、そして麦藁帽子の間からちらちらと見え隠れする黒い髪。まるで、どこかのお嬢様みたいないでたちの少女がそこにはいた。
何やってんだ?
俺は不思議に思った。
川に魚はいないし、とりわけ何か面白いものがあるわけでもない。
「何やってるんだ?」
気になって、俺は声をかけた。
「?」
向こうも誰かいると思わなかったのだろう。吃驚した顔でこっちを向いてきた。
少女の隣まで河原を滑り降りる。
「なあ、何やってるんだ?」
少女の隣に同じように座ってもう一度尋ねる。
「………………」
長い沈黙のあと、少女はぼんやりと前を見据え、無表情のまま、ぽつりと呟くように答えた。
「考え事をしていたの……」
「何考えてたんだ?」
「死ぬってどんな気持ちなのかな……って」
変なことを考えるヤツだと思った。
まだ、死ぬのなんて、十二歳やそこらの俺にしたって何十年も先の話だ。そんなことを今考える必要があるのか。
「何でそんなことを考えてんだ?」
「だって……」
一瞬口ごもったあと、少女は言った。
「だって私もう少しで死ぬから」
ありえない。
一体何を言い出すんだコイツは?
驚きと呆れで俺は何も言えなくなった。そんな俺におかまいなしで、少女は言葉を続けた。
「私ね、一年前、ハッケツビョウにかかったの」
ハッケツビョウ――白血病のことか。
「それで、その時に後半年くらいしか生きられません、って言われたの」
「嘘だろ?」
俺は思わずそう聞いていた。
「嘘じゃないわよ」
「じゃ、じゃあ、証拠を見せろよ」
「いいわよ」
そう言って、少女はワンピースの袖をめくり上げた。
「え……?」
そこにあらわれたものを見て、俺は言葉を失った。
ドラマでしか見たことのなかった点滴のチューブが途中で切られて少女の腕から垂れ下がっていた。
「お、おい……病院に戻れよ……」
その時俺の顔は多分真っ青になっていたと思う。声もかすれていた。それほどショッキングな光景だった。
「もう、戻りたくないの」
少女はぶっきらぼうに言った。
「な、何でだよ」
「もう、これでつながれているのはたくさんなの」
少女はチューブを指差した。
「けど、それがなきゃ……」
「そうね、多分私は死ぬわ。でもそれでいいの。私がそうしたいんだから。ねえ、一緒に逃げましょう?」
少女はこっちがぞっとするくらいすがすがしい笑顔で聞いてきた。
「む、無理に決まってるんだろ」
俺がその言葉を言うのと同時に、手に持ったまま忘れ去られていたアイスが滑り落ちた。
「あ……」
やっちゃった。
この分だと他のアイスは全部溶けてしまっているだろう。話すのに気をとられている内にすっかりアイスのことを忘れてしまっていた。
「あーあ……」
俺はため息をついた。
そのため息で少女はやっと気がついたように、
「私もひとつアイスをもらってもいいかしら?」
にっこり笑った。
「と――」
溶けてるけど、と言おうとしたが、それを言う前に、少女は勝手にコンビニの袋からアイスを取り出していた。
「ちょ……」
俺が止める間もなく。
どろどろに溶けて原型をとどめていないアイスにかぶりつく少女。
「たまに食べるとおいしいわね」
笑みを浮かべて少女は言う。
「そうか」
「……ありがと」
「…………どういたしまして」
……………………
静かな時間が流れる。
溶けたアイスを二人でなめながら川を眺める。
太陽が少しずつ西へ向かう。
少しずつ気温も下がる。
「ねえ」
「ん?」
ここちよい沈黙を破ったのは、少女だった。
「最後に…………あなたの名前、教えてくれない?」
悲しそうな笑顔で少女はそう言葉を発した。
「ああ、いいよ。はじめまして。葛城哲也です。よろしく」
「葛城……哲也くんね。よろしく」
少女は笑う。
「はじめまして。渡邊尚美です」
「よろしく」
「ねえ……眠くなっちゃった。膝枕してもらっても――」
あくびをして、尚美は俺の膝に頭をあずけてきた。
寝入ってしまったのか、すぐに寝息が聞こえてきた。
その時だった。
「尚美!」
河原の上から尚美を呼ぶ声がした。
振り向く。
慌てて河原を駆け下りてくる二人の姿が見えた。
尚美の両親だな。
二人は俺の隣に駆け寄ってくると、口々に俺の膝に頭をのせる尚美の名を呼んだ。必死で探してきたのだろう。額には汗がにじんでいた。
「尚美! 大丈夫か?」
「尚美! 尚美!」
二人の呼びかけに尚美はうっすらと目をあけて、
「!」
次いで、驚いたように目を見開いた。
「何でいるの?」
何でってお前――
言わなきゃ分からないのか?
「もう私はあそこには帰りたくないって言ったじゃない!」
と、悲痛な声で少女が叫んだ。
尚美の両親は顔を歪めた。
その瞬間、頭の中で何かが切れた。
「帰れよ…………」
「…………え?」
知らず知らずの内にそんな言葉が口から漏れていた。
驚いたような声を上げたのは尚美だったか両親だったか。
そんな細かいことは忘れた。
ただ、死ぬのを覚悟した尚美の態度にひどくムカついたのを覚えている。
「病院に帰れ、尚美」
「何で……? 何で哲也くんまでそんなことを言うの……?」
俺の言葉に裏切られたと思った尚美の目に涙が浮かぶ。
涙声で呻く尚美に、俺は怒鳴った。
「良いから病院に帰れ渡邊尚美! 甘えるな! お前だってほんとは死にたくないんだろ! だったら何で諦めようとしてんだよ! 努力しろよ!」
大声で怒鳴ったあと、声をひそめて続ける。
「――待ってるから」
吃驚したように、目を見開いた尚美。尚美に一度笑いかけたあと、俺は背を向けて歩き出した。
彼女の病気が治るという確信はないが、それでも願わずにはいられなかった。
彼女ともう一度ここで会えることを――
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あれから、十五年が過ぎた。
俺は国立の医科大を出て、大学病院で外科医として働いている。
あれから、渡邊とは会っていない。
死んだという話も聞かない。
その日。
俺は病院の屋上で涼んでいた。
季節は夏。
あの日のように暑い日だった。
口にアイスをくわえて、俺は屋上のテラスに上半身をもたせかけていた。
アイスを食べ終えた瞬間、
「久しぶりね。葛城哲也先生」
後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある声に、俺は思わず振り向いた。
果たして――
彼女が――渡邊尚美が立っていた。
白衣をまとい、大学院病院のネームタグをつけて。
彼女が立っていた。
だから俺は笑って返す。
「久しぶり。渡邊尚美先生」
久し振りの短編です。