第3章 パート2:奇妙な依頼
その知らせは、あまりにも唐突だった。
夕刻、魔道具工房の裏口に届いた一通の封書。
羊皮紙に記された簡潔な文面と、見慣れた筆跡――エルネアのものだった。
リョウは嫌な予感を覚えながらも、指定された時刻に工房を閉め、裏手の小路へ向かった。
人通りの少ない場所を選ぶあたり、彼女らしいといえばらしい。
だが、胸の奥で、かすかな警鐘が鳴っていた。
待ち合わせ場所に立っていたエルネアは、いつもの白衣姿でなく、ぼろきれのような灰色の衣服だった。
その衣服は、今聖女とよばれる女性のものと結びつけられるものはいないだろう
薄闇の中で見る彼女は、どこか現実味を欠いていた。
「来てくれてありがとう、リョウ」
穏やかな声。
だが、挨拶の後に続く沈黙が、妙に長い。
「……それで、話って?」
リョウが切り出すと、エルネアは一拍置き、まっすぐ彼を見た。
「お願いがあるの」
その言葉だけで、リョウの背中に冷たいものが走る。
かつて、彼女が「お願い」と言ったときは、たいてい厄介ごとがついてきた。
「死体を、調達してほしいの」
あまりにも静かな声音だった。
一瞬、意味が理解できなかった。
冗談だと思う余地すらなかった。
「……は?」
間抜けな声が出る。
エルネアは、表情一つ変えない。
「正確には、“新鮮な人体”ね。
死亡してから、できるだけ時間が経っていないものが理想」
彼女は、研究報告を読み上げるような調子で続ける。
「今の回復魔法研究は、どうしても表層的な損傷に偏っているの。
切り傷、骨折、出血――確かに重要だけど、それだけじゃ足りない」
リョウの頭の中で、言葉が絡まり合う。
「毒による臓器障害。
呪詛による魔力汚染。
魂と肉体の乖離が引き起こす不可逆的な損傷」
彼女の口から語られるそれらは、確かに“回復魔法の限界”だった。
だが――
「生きた患者では、調べきれない。
倫理的にも、時間的にも」
エルネアは淡々と結論を述べた。
「だから、死体が必要なの」
沈黙。
夜風が吹き抜け、遠くで教会の鐘が鳴る。
王都は相変わらず平穏で、賑やかで、希望に満ちているように見えた。
だが、リョウの世界だけが、ひどく歪んでいた。
「……エルネア」
喉が渇く。
「それ、本気で言ってるのか」
「ええ」
即答だった。
「私にとって死体は“教材”よ。
そして、未来の命を救うための素材」
その言葉を聞いた瞬間、リョウの脳裏に、かつての自分がよみがえった。
夜の裏路地。
血の匂い。
奪う側だった過去。
盗賊として生きていた頃、
彼は何度も「死体」を見てきた。
道端に転がるものもあれば、
“結果として”そうなったものも。
だからこそ、彼は思う。
死体は、決して“物”ではない。
「……それは、救いなのか?」
リョウの問いに、エルネアは首をかしげた。
「ええ。
少なくとも、私はそう信じている」
迷いはない。
罪悪感も、躊躇もない。
彼女は、あまりにも真剣だった。
「回復魔法で救える命を増やしたいの。
今、救えなかった人たちの“理由”を知りたい」
その言葉は、正しかった。
理屈としては。
だからこそ、リョウは何も言えなくなる。
反論すれば、
彼女の努力を否定することになる。
肯定すれば、
自分が再び“血の世界”に足を踏み入れることになる。
元盗賊としての過去と、
今の自分。
その境界線が、再び揺らぎ始めていた。
「……」
リョウは、結局、何も答えられなかった。
エルネアは、それを拒絶とは受け取らなかったらしい。
むしろ、考える時間を与えているかのようだった。
「無理にとは言わないわ」
彼女はそう言って、少しだけ声を落とした。
「でも回復魔法は、もう止まらない。
誰かが、踏み込むことになる」
夜に溶け込む灰色の衣とは違い、そう告げる彼女の瞳からリョウは目をそらせなかった…




