第2章 パート4:ウィルソン兄弟の発表
王都学術院の大講堂は、早朝から異例の熱気に包まれていた。
この日、ウィルソン兄弟がついに“新理論”を発表するとあって、学生も教授も、さらには教会関係者までが押し寄せている。講堂の扉は開かれるなり埋まり、廊下にまで人が溢れ、簡易席まで設けられるほどだった。
舞台中央に立つ兄グラント・ウィルソンは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべながらも、その目の奥には勝者の自信が宿っていた。
弟のエドワードは端正な顔を引き締め、聴衆を見下ろすように鋭い視線を送り、静かに顎を上げる。
やがて、グラントが第一声を発した。
「諸君。今日、我々は長らく回復魔法の最大の謎であった問いに、ついに答えを提示する」
ざわりと空気が揺れる。
まるで舞台役者のような間の取り方だ。
「――なぜ、回復魔法で傷が完全に治っても、四肢が動かない例が存在するのか」
聴衆が一斉に息を呑んだ。
確かに、古くから医療魔術に携わる者なら誰もが知る“不可解な現象”だ。
肉体的損傷は治癒した。
魔力の巡りも正常だ。
だが、患者は手足を動かせない。歩けない。感覚が戻らない場合すらある。
この矛盾は、回復魔法の世界に長く横たわってきた“暗い穴”だった。
グラントはゆっくりと壇上を歩きながら続けた。
「我々は古文献を紐解き、神学・魂魄学・魔術解剖学を横断的に検討した。その結果――《魂と神経の結びつき》という概念にたどり着いたのです」
スクリーンに古い聖典の一部が投影される。
《魂は肉体を通じて世界に触れ、肉体は魂を通じて神意に触れる》
聞き慣れた一節。
だが、グラントはその解釈を大胆に更新した。
「回復魔法が癒せるのは“肉体”まで。だが、肉体を動かす根本である“魂と神経の接続部”――この領域は、従来の治癒魔術が一切触れ得ない“神域”である。つまり、四肢の機能不全は治癒不足ではなく、魂側の損傷であり、神の領域への無断侵入なのだ」
講堂がどよめいた。
「魂の損傷……そんなことが……」
「神経と魂を、結びつきとして扱うのか」
「もしそれが本当なら、これまでの医療魔術の常識は……」
聴衆の反応は、まさにウィルソン兄弟が求めていたものだった。
エドワードが乗り出すように前に出る。
「注目すべきは、我々の《回帰型神託理論》によれば、魂が神意と分断されている限り、どれほど魔力を注いでも回復は不完全に終わるという点です。つまり――」
高らかに声を張り上げる。
「回復魔法は、神の摂理に従わねば“絶対に完全化しない”!」
喝采が起こった。
拍手、歓声、興奮。
その熱が最高潮に達しようとした瞬間、エドワードはわざと声を落とした。
「しかし近頃、“意志による魔力干渉”を謳う者が現れた」
――講堂の空気が一変した。
視線が自然と、講堂後方の席に座るエルネアへと向けられる。
ハービーは険しい表情で彼女の前に立つようにして周囲を睨んだ。
エドワードは続ける。
「魔力を意志で“歪め”れば治癒が促進する?
魂の構造を外側から押し変えられる?
そんな理論は、神の摂理への冒涜に他なりません!」
激しい指弾。
講堂がざわつく。
エルネアは小さく息を吸ったが、表情を崩さなかった。
グラントが補足するように柔和な笑みを浮かべる。
「若き才能には敬意を払います。しかし、学問には“越えてはならない線”があります。
意志干渉は、魂への干渉と紙一重。神域を踏み荒らせば必ず反動が訪れる。
我々ウィルソン派は、学問と聖職の両面から警鐘を鳴らさねばならないのです」
優しい声音で、しかし逃れられない形で、エルネアを断罪する。
「――聖女であろうと、神をも凌駕しようとする研究は許されない」
そこにいた全員が理解した。
これは、学問の議論ではなく“政治的宣告”だと。
研究内容ではなく、立場を。
理論ではなく、信仰を。
正しさではなく、序列を。
ウィルソン兄弟は、完全に“線引き”をしたのだ。
大講堂は拍手と称賛の渦に包まれた。
「素晴らしい!」
「魂の理論……これぞ古き良き学問だ!」
「やはりウィルソン兄弟がいなくては!」
多くの研究者がその熱狂に飲まれていく。
一方、エルネアのまわりには人だかりすらできなかった。
誰も近づかない。
誰も声をかけない。
ただ、遠巻きに――好奇と警戒の入り混じった視線だけが突き刺さる。
ハービーは唇を噛みしめながら、エルネアに言った。
「……先生。すぐにここを出ましょう」
エルネアはゆっくり椅子から立ち上がり、背筋を伸ばした。
顔には動揺も怒りもなく、その瞳だけが静謐に澄んでいた。
「大丈夫よ、ハービー。……予想はしていたもの」
その声には、わずかな疲労が滲んでいた。
だが、決して折れてはいない。
講堂を後にする彼女の背に――
聴衆の囁きが追いかける。
「彼女、どうするつもりなんだ?」
「ウィルソン先生に逆らえるわけないだろ」
「もう終わりだな……」
エルネアは振り返らなかった。
学会は熱狂に包まれ、
対立の炎は一段と燃え広がり、
そして――エルネアの孤立は決定的になった。




