第2章 パート2:異端の天才師弟
出会いから数か月。
王立学院の地下研究棟――
昼でも薄暗く、ランプの光だけが白い石壁を照らすこの場所で、
エルネアとハービーの姿を見かけるのは、もはや日常の光景となっていた。
研究室には、解剖用の台、魔力反応を測る水晶装置、
そして何十枚もの魔物解剖図が丁寧に貼られている。
その中心で、二人はまるで呼吸を合わせるように動いていた。
◆ ◆ ◆
「ハービー、魔力線の分岐を見て。今、どちらが強く反応している?」
「左側の血管です。色が濃くなってきています」
「じゃあ、切開位置は?」
「第三肋骨の下、ここです。魔力が流れている方向に一致してます」
ハービーは、エルネアが指し示す前に、
解剖台に横たわる魔物の身体に軽く触れ、即座に状況を把握した。
「正確ね。あなたの目は、他の研究員より優れている」
「ぼくは……エルネア様の教えが分かりやすいだけです」
ハービーは照れたように笑う。
だがエルネアは気づいていた。
彼の理解力は異常だった。
ひとつ説明するだけで、理論の背景まで理解し、
次の工程を先回りして推測する。
観察した構造を、自分の言葉でまとめ直すこともできる。
エルネアは数年単位で積み重ねた知識を、
彼は数日で吸収していくのだった。
「“あなたは天才よ、ハービー”って、学院の先生が言ってました」
「天才……?」
ハービーはその言葉を噛みしめるように繰り返した。
しかし次の瞬間、彼は小さく頭を振る。
「違うんです。ぼくじゃなくて、教えてくれるあなたがすごいんです」
その目は、まっすぐにエルネアだけを見ていた。
エルネアはその視線を受けながら、
ふと胸にひやりとした感覚を覚える。
尊敬。
憧れ。
そして……依存。
その三つが混ざったような感情が、
ハービーの瞳の奥に確かに宿っていた。
◆ ◆ ◆
二人の噂は、王都中に広がっていった。
「エルネア様の助手、あんな平民だろ?」
「いや、平民って言っても、理解力は貴族顔負けだと聞く」
「地下棟で二人が並んで解剖しているところ、誰も近づけない雰囲気らしいぞ」
学会の中では、
“異端の天才師弟”
という呼び名までついた。
実際、学会が開かれた日。
エルネアが発表した心臓魔回路の新説は、
多くの賢者たちを驚愕させた。
さらにその補足説明として壇上に立ったハービーは、
その若さでは到底信じられないほど論理的かつ簡潔に理論を語り、
魔力量の計測方法に新たな視点を示した。
「な、なんという……あの青年は本当に生徒か……?」
「しかも、エルネアの研究を完全に理解している……!」
ざわつく学者たちをよそに、
ハービーは満面の笑みを浮かべ、エルネアの隣へ戻った。
「エルネア様の理論のおかげです」
「いえ。あれはあなたの力よ」
エルネアがそう言った瞬間、
ハービーの頬は真っ赤になった。
その仕草を見て、教会の司祭たちは微妙な表情を交わし、
学院の保守派はひそひそと耳打ちをした。
――あの青年、エルネアに心酔しているのでは?
――いいや、あれはもう信仰に近い。
――彼女の危険な研究を支える危うい存在になるかもしれない。
囁き声は研究室の外へと漏れ、
やがて王都全体に広がっていった。
だがハービーには、そんな周囲の声は届かない。
彼の心にはただ一つ、
“もっとエルネアに近づきたい”
という純粋すぎる願いだけだった。
◆ ◆ ◆
夜の研究室。
ランプの明かりが揺れ、静かな魔力の音が響く。
エルネアは机に向かい、細密な魔回路図を描いていた。
その横には、いつの間にかハービーが座っている。
「エルネア様、今日はもう休んだほうがいいですよ。目が疲れてます」
「あなたこそ。毎日来て、大丈夫なの?」
「ぼくは……エルネア様と研究できるなら、疲れません」
その言葉に、エルネアの手がぴたりと止まる。
「……どうしてそこまで?」
「だって……ぼくはあなたに救われたんです」
ハービーの声は震えていた。
「ぼくの家は貧しくて、魔法学校に行くだけでも夢みたいな話でした。でも……エルネア様の講義を見て、ぼくの世界は変わったんです。
“知ることが、誰かを救う”って。
あなたがそれを教えてくれました」
ハービーは涙をこらえながら、エルネアの手に触れようとした。
指先が触れたほんの一瞬、エルネアは硬直する。
ハービーは続けた。
「だからぼくは、あなたについていきたい。
どんなところへでも。
あなたの見ている未来を、ぼくも一緒に見たいんです」
エルネアはゆっくりと手を引いた。
優しさでも拒絶でもない、曖昧な距離。
「……ハービー。
あなたは優秀で、頼もしいわ。でも、“未来”というのは……」
そこまで言いかけて、エルネアは言葉を失う。
自分が目指している未来を、
この青年に語ることはできなかった。
死霊魔法の深淵。
生と死の境界を越える禁忌の領域。
それは、常人が踏み込むべき道ではない。
「あなたは、あなた自身の未来を歩みなさい」
エルネアはそう告げた。
だが――ハービーは静かに首を振った。
「ぼくの未来は、あなたのそばにあります」
その言葉を聞いたとき、
エルネアは胸の奥に小さな痛みを感じた。
それは不安か、責任か、あるいは――
別の、名のつかない感情か。
だが、いずれにしてもその瞬間を境に、
二人の関係は“師弟”という枠を越え始めていた。
ハービーはただの助手ではなく、
エルネアにとっても特別な存在になりつつあった。
そしてその関係性こそが、
後に王都を揺るがす事件の核となる。
二人がまだ気づかぬまま――
運命の歯車は、音もなく回り始めていた。




