第1章 パート5:エルネアの日常
王都グランフェリアの中心区――
そこは一年で最も華やぎを増した場所だった。
王城へ続く大通りは白い石畳が陽の光を反射し、穏やかな風が街路樹の葉を揺らす。
商店街では新作の魔道具が誇らしげに並び、露店の匂いは香ばしい肉料理や焼き菓子の甘い香りを惜しみなく振り撒いていた。
そんな活気あふれる王都の一角で、
今日も人々の行列が一つ、長く伸びていた。
――エルネア・フェルディア。
回復魔法の名手。
教会と共同で市民の治療を行う若き才気あふれる魔法使い。
けれど、人々が彼女をそう呼ぶよりも早く、
街では別の呼び名が広まっていた。
「聖女エルネア様がいらっしゃったぞ!」
「奇跡の癒し手だ……本当に俺の腕が治ったんだ!」
「見ろよあれ……足が!」
「神の御業だ!神が彼女を遣わしたんだ!」
称賛、歓喜、熱狂。
王都では、ここ数ヶ月、彼女の名を耳にしない日はなかった。
***
「次の方、どうぞ」
教会の治療室の前で、淡い青みがかった髪の少女が静かに声をかける。
エルネア・フェルディア。
白く透き通った肌に、瞳は澄んだ蒼。
その表情は清潔で温和、まるで物語に出てくる“聖女”そのもの。
しかし――
その手の動きは、寒気を覚えるほど正確で迷いがなかった。
「痛みますか?」
「い、いや……不思議と……」
患部に触れた瞬間、
淡い光がじわりと広がる。
回復魔法の光――
緻密な魔法操作能力が必要とされるはずの魔法を、
エルネアは流れる水のように自然に使いこなしていた。
王族お抱えの回復魔法師でも、ここまでの練度で魔法を使用することは困難であろう。
「大丈夫です。あなたの骨はもう癒えています。しばらくは無理をしないでくださいね」
患者が喜びに震えながら立ち上がる。
「す、すげえ……本当に……痛くねえ……!」
「ありがとう、聖女様……本当に……!」
わずか数秒での完治。
それは通常の回復魔法では有り得ない速度だった。
回復魔法は本来、
“生命力の流れを整え、自然治癒を促進するだけ”のもの。
骨折や内臓損傷は治すのに数時間から数日かかるのが普通だ。
けれど――
エルネアの魔法は違った。
彼女の治癒は「瞬間的」だった。
まるで損傷そのものを書き換えてしまうかのような、異常な速度。
だからこそ、
人々は彼女を“聖女”と呼び始めたのだ。
***
だが――
彼女の視線は称賛の声を向いていなかった。
患者の去った治療室で、
エルネアはふと右手を見つめる。
「……まだだわ。まだ足りない」
淡い光が、
彼女の掌でかすかに揺らいだ。
彼女が見つめているのは、
人々の笑顔ではない。
彼女が追い求めているのは、癒しの本質――
“生命構造そのものの理解”だった。
「表層を再生しただけ。根本の流路までは整えていない。
完璧な治癒とは言えないわ……」
教会の神官が慌てて近づく。
「あ、あの……エルネア様、今日の治療はこれで十分すぎるほどに――」
「いいえ」
エルネアはかすかに微笑みながら、
「私はもっと深く知りたいの。癒すという行為そのものを」
その瞳は温かさを保ちながら、
どこか底知れない光を帯びていた。
神官は言葉を失い、ただ小さく頷いた。
「……も、もちろんです。聖女様のお考えなら……」
王都の人々が見ているのは、
彼女の表面――奇跡の光。
だが、
彼女が見つめているのはその裏側――
死霊魔法へとつながる深淵だった。
***
その夜。
街の灯火が揺らめき、酒場の喧騒が路地裏まで漏れる頃。
エルネアは教会裏の研究室にこもり、
書物と魔法陣に囲まれていた。
研究室は、昼の聖女とは似つかわしくない異様な空気に満ちていた。
机の上には、
死霊魔法に関する禁書が積まれている。
解剖図、骨格標本、古代魔術のメモ。
エルネアの表情は冷静そのもの。
「生命力の流れ……魔力回路……魂の定着率……
死霊魔法の副作用の正体……。
どれも治癒魔法の原理に直結している……」
彼女は淡々と語りながら、
一本の古い骨を手に取る。
「肉体の構造を理解しなければ、本当の癒しはできない。
痛みを消すだけじゃ、救ったことにならないのよ……」
その言葉は誰に向けられたものでもない。
だが、そこには揺るぎない信念――
そして微かな狂気が滲んでいた。
***
翌朝。
エルネアが教会に姿を現すと、
人々は彼女に手を振り、笑顔で礼を言った。
「聖女様、昨日はありがとうございました!」
「あなたのおかげで仕事に復帰できました!」
「娘が歩けるようになったんです、信じられません……!」
エルネアは微笑み、丁寧に返す。
「お役に立ててよかったです。
困ったときはいつでもいらしてくださいね」
その声は優しい。
表情も柔らかい。
だが――
心の奥底で別の炎が静かに燃えている。
“私はまだ癒していない。
ただ繋ぎ止めただけ。
真の治癒は、この先にある……”
王都の人々は知らなかった。
彼女の奇跡の裏には、
死霊魔法という禁じられた学問が潜み、
その先に、彼女自身が戻れぬ道へ踏み込みつつあることを。
そして――
この“聖女”の誕生が、
後に王都を揺るがす大事件の引き金になることを。
静かな熱狂の中、
エルネアはそっと立ち去った。
今日もまた、
誰よりも優しく微笑みながら、
誰よりも深い闇の入り口へと進んでいく。




