王都グランフェリア編 第18章:パート1「防衛線」
湿った石畳を踏みしめる音が、静かな広間にこだまする。
撤退の末にたどり着いたその場所――かつてクラウスと合流した古代の広間は、まるで巨大な聖堂のように天井が高く、壁面にはかすれた古代文字が幾重にも刻まれていた。朽ちかけた石柱の間から冷たい風が流れ、血と土の匂いが漂う。
リョウは入口の段差に足を止め、すぐに状況を分析する。
地形、照明、退路。すべてが戦場の要素だ。
彼の瞳には疲労の色が浮かんでいたが、思考の速度は鈍っていない。
「ここを防衛線にする」
その声は低く、しかしはっきりと響いた。
仲間たちはすぐに理解する。戦いは避けられない。
「前衛、クラウス。中衛は俺とモンブラン。後衛、エルネア。光石で援護だ」
的確な指示が飛ぶ。
誰も異を唱えない。息をするようにそれぞれの持ち場についた。
クラウスは傷を治してもらった右腕をぐっと握り、剣を構え直す。
彼の視線は鋭く前を捉えている。
「了解した。殿を務めるより、こっちの方が性に合ってる」
冗談めかして笑うが、その笑みの奥には決意があった。
モンブランは小柄な体を低く構え、棒をくるりと一度回してから握り直した。
年若い少女の顔には、土と血が混じっている。それでも瞳は強く、澄んでいた。
「リョウ、あたしより先に倒れたら許さないからね」
彼女の軽口に、エルネアが小さく吹き出す。
「その前に、私が足を引っ張らないようにしないと……」
「引っ張るなよ、絶対に」
リョウが短く返すと、エルネアはうなずいた。彼女の手には、光を宿した石が三つ。光石だ。微量の魔力を流し込めば一瞬の閃光を放つが、回数に限りがある。
広間の中央に立つリョウは、深く息を吐く。
これまでの撤退戦の疲労が、全員の体を蝕んでいる。
肩にはかすかな痛み、太ももには切り傷。呼吸のたびに血の味が口に広がった。
だが、ここで止まらねば全滅だ。
――撤退ではなく、迎撃。
それが彼の決断だった。
しばし、静寂。
ただ、滴る水音と、風に揺れる松明の火の音だけが響く。
その静けさが、逆に耳を圧迫するほど重たかった。
クラウスがわずかに眉をひそめる。
「……来るな」
低くつぶやいた次の瞬間――地の底から響くような足音が広間を満たした。
重い靴音。
金属が擦れ合う音。
まるで遺跡そのものがうめき声を上げているようだ。
奥の通路から、影がゆらりと揺れた。
そして、現れたのはヴァルモンドの紋章を刻んだ護衛兵たち。
半壊した鎧を身につけた五人が、血に濡れた剣と槍を手にして進んでくる。
彼らの目には人間らしい光がない。ただ、任務を遂行する機械のように冷たい。
「……五人か」
リョウが低く呟く。
「負傷してるのに、まだ動けるのだ。執念深いね」モンブランが歯を食いしばる。
クラウスが一歩前に出て剣を構えた。
「リョウ、時間を稼げればいいんだな?」
「ああ。逃げ道は確保してある。だが、ここで止める」
「了解」
リョウは短剣を抜く。その刃に映る自分の顔は、死線を潜り抜けてきた精悍なものだった。
彼の頭には、かつてのサラリーマン時代の冴えない日々の記憶がよぎる。
夢を諦め、現実に這いつくばっていた日々。
世界は変わってしまったが、自分は今誰かを守るために剣を握っている――その事実が胸に熱を灯した。
敵兵たちが一斉に走り出した。
鉄の爪のような足音が近づき、衝突の瞬間、金属と金属がぶつかる甲高い音が広間を震わせた。
クラウスの剣が火花を散らし、モンブランの棒が低く唸りを上げて敵の脚を払う。
リョウは隙を突いて懐に飛び込み、短剣で一人の鎧の継ぎ目を切り裂いた。
血が飛び、息が詰まるような熱気が一気に広がる。
「下がれ、エルネア!」
リョウが叫ぶと同時に、光石が放たれた。
まばゆい閃光が広間を白く染め、敵の動きが一瞬止まる。
その隙にモンブランが回転蹴りを放ち、クラウスが剣でとどめを刺す。
まるで訓練された部隊のように、四人の動きに無駄がなかった。
だが、敵は倒れてもなお、口から笑い声を漏らした。
「ふ、は……まるで、虫けらどもが足掻いているようだ……」
その言葉が不気味に残響する。
リョウは眉をひそめた。
何かがおかしい。
――本隊がいる。こいつらは囮かもしれない。
それでも今は、ここを守り抜くしかない。
彼は息を整え、再び短剣を構え直した。
クラウスの剣が石床を滑る音、モンブランの棒が風を裂く音、エルネアの荒い呼吸。
そのすべてがひとつの音楽のように重なり、広間は戦場のリズムに満たされていった。
「時間を稼げればいい……ここが、踏ん張りどころだ!」
リョウの号令が響く。
仲間たちの瞳が一瞬で燃え上がった。
この場を守る――それだけが、今の彼らに残された全てだった。




