王都グランフェリア編 第17章:パート4「追手」
湿った空気の奥で、かすかな振動が伝わってきた。
クラウスは足を止め、目を閉じる。
――聞こえる。岩を踏みしめる音が複数。
それは、静寂の中に不自然なほど明瞭な、金属の靴底が擦れる音だった。
「……追ってきたか」
低く呟くと、リョウがすぐに振り返る。
クラウスの顔には、いつもの冷静さと同時に、戦士特有の研ぎ澄まされた気迫が浮かんでいた。
「どうする、クラウス?」
「……俺が止める。お前たちは先に行け」
「は?」リョウの目が見開かれる。「ここで一人残る気か?」
クラウスは静かに頷く。
「この通路は狭い。俺一人のほうが防げる。それに、いざっていうときは奥の手を使う………」
そう告げて、さやに収まった剣にそっと手を当てる。
モンブランが息を呑む。
「でも、あなた一人じゃ――」
「構わん。死ぬつもりじゃない。時間を稼ぐだけだ」
その言葉は淡々としていたが、決意の色を帯びていた。
リョウは奥歯を噛みしめ、エルネアの状態を見やった。
彼女は息を荒くしながらも、何とか立っている。だが、回復の兆しはまだ薄い。
――ここで全員が戦えば、誰かが倒れる。ならば……。
短い沈黙ののち、リョウはうなずいた。
「……わかった。クラウス、必ず戻れ。約束しろ」
「もちろんだ」
互いに視線を交わし、その瞬間だけ時間が止まったかのようだった。
次の瞬間、リョウは再び前を向き、モンブランとエルネアを促す。
「行くぞ。ここはクラウスに任せる」
通路の奥に消えていく足音を背に、クラウスはゆっくりと剣を抜いた。
金属音が低く響き、湿った空気を切り裂く。
やがて、暗闇の奥から複数の影が姿を現した。
ヴァルモンドの護衛兵――数こそ少ないが、鎧は半壊し、血まみれの顔には狂気が宿っている。
「生きてたか、厄介な連中め……」
クラウスの口元がわずかに歪む。
敵の一人が前に出た。
「仲間は逃げたか。だが、お前だけはここで終わりだ」
「やれるものならやってみろ」
クラウスは剣を構え、壁際に身を寄せた。通路の幅は狭く、二人並ぶのがやっと。
彼の意図は明白だった――一対一に持ち込むためだ。
最初の一撃が火花を散らす。
クラウスの剣が相手の槍を弾き、反撃の一閃が鎧を裂く。
鮮血が飛び、石壁に音を立てて散った。
背後の敵が前進しようとするが、通路の狭さが邪魔をして、動けない。
「次!」
クラウスが声を上げ、次の敵を誘い込む。
狭い空間での戦いは、彼にとって最も得意な状況だった。
剣が鳴る。
風が走る。
鋼のぶつかり合う音が反響し、暗闇の中に閃光が走った。
一方その頃――。
リョウたちは通路の先の広間に到達していた。
モンブランはすぐにカバンを開き、中から光石をいくつも取り出す。
「これ、使えるかも」
リョウが頷き、光石を作戦に組み込む。
「見つかったらここで防戦する。俺たちが前衛に立つからエルネアは光石で相手をかく乱してくれ」
モンブランはエルネアの前に並べる。
これで、もし敵が突破してきたとしても、一瞬の目くらましができる。
エルネアは壁際で息を整えながら、腰の袋から薬草を取り出した。
指先が震えながらも、かじりつくように口に含む。
苦味が口の中に広がるが、胃の奥で微かな温もりが広がっていった。
――少しだけ、魔力が戻る……。
エルネアは杖を握り、わずかに笑った。
「もう少しで、また魔法が使えるわ」
モンブランが振り返り、安堵の笑みを浮かべる。
「よし。あいつが戻ったら、すぐに治してやって」
リョウは壁に背をつけ、耳を澄ました。
遠くから金属音――戦っている。
「……クラウス、やってるな」
焦燥が胸を掠めたが、今は信じるしかない。
撤退戦で最も大事なのは、連携と信頼だ。
そのとき、通路の奥から短い叫び声が響いた。
だがそれは敵のものだった。
リョウはすぐに構えを解かないまま、耳を澄ませ続けた。
数十秒、いや、永遠にも感じるほどの沈黙ののち――。
「……ったく、骨のある連中だぜ」
クラウスの声が暗闇の奥から聞こえた。
次の瞬間、血に濡れた剣を肩に担ぎながら、クラウスが現れた。
額から流れる汗と血をぬぐい、息を整える。
「間に合ったな」
リョウが駆け寄り、安堵の表情を見せた。
「遅いぞ。置いてくところだった」
「そりゃ悪かった。ちょっと手こずっただけだ」
そう言いながら、クラウスは笑った。
モンブランが駆け寄り、エルネアがよろめきながらも治癒の光を放つ。
クラウスの腕に淡い光がまとわりつき、傷がゆっくりと塞がっていった。
「助かる。やっぱりお前の回復は効くな」
エルネアは小さく頷き、「これくらい、当然よ」と返す。
リョウは広間を見渡し、指示を出す。
「――目的地には着いたがまだ終わっちゃいない。そこの岩陰に身をひそめて、見つかった場合はここで徹底防戦だ」
その声には、仲間全員の鼓動をひとつにする強さがあった。
クラウスは血のにじむ手で剣を握り直し、にやりと笑う。
「了解だ、リーダー」
モンブランが「もう、無茶ばっかり」と苦笑し、エルネアも微笑んだ。




