王都グランフェリア編 第17章:パート3「水晶パズルの間を抜けて」
反射する光が幾重にも跳ね返り、天井と壁を淡く照らしていた。砕け散った水晶片が足元で軋むたびに、リョウの胸はひとつ緊張の音を刻む。
――撤退だ。ここでの戦闘は得策じゃない。
短く息を吐き、リョウは仲間たちを振り返った。
「俺が先頭をいく。エルネアはモンブランに任せる。クラウス、殿を頼む」
クラウスは無言でうなずき、背中の大剣を握り直した。
モンブランはエルネアの肩を抱き寄せ、「大丈夫、ゆっくりでいい」と柔らかく声をかける。
重苦しい空気の中、チームの布陣が整う。
先頭――リョウ。
中間――モンブランとエルネア。
最後尾――クラウス。
この配置にわずかな迷いもなかった。誰もがそれぞれの役割を理解している。
水晶パズルの間を抜けると、湿った石の匂いが鼻を突く。足元には苔が生え、滑りやすくなっていた。通路は細く、身をすれ違わせるのもやっとだ。
リョウは一歩進むごとに周囲を観察しながら、頭の中で地形を組み立てていった。
――この遺跡は入り組んでいる。だが、俺たちが通ってきたのは“表の道”だ。敵はおそらく隠し通路を使っていた。つまり、こっちのルートの方をおそらく安全なはず……。
彼の脳裏には、先ほど遭遇した敵の動きが焼き付いていた。あの動き――まるで裏道を熟知しているような配置だった。だとすれば、彼らが正面ルートを把握していない可能性も高い。
「地の利は……俺たちにある」
小声でつぶやく。クラウスが後方から応えるように「その通りだ」と呟いたのが聞こえた。
通路の先で風が流れる。地下の空気にしては不自然に新しい。
リョウは一瞬立ち止まり、壁に手をあてた。微かな振動。奥の方で何かが動いている。
「……慎重に行こう。音を立てるな」
リョウの指示に従い、モンブランがエルネアの手を引く。少女の肩は震えていたが、その瞳にはまだ火が残っていた。
「エルネア、大丈夫か?」
「……ええ、平気よ。ただ、魔力が……少し、抜けただけ」
「よく言うぜ。さっきまで真っ青だったのに」
モンブランが苦笑まじりに言うと、エルネアもわずかに笑みを返した。短い冗談が、張り詰めた空気にほんの少しだけ温度を戻した。
リョウは曲がり角に差し掛かるたびに立ち止まり、手信号で仲間に合図を送る。
通路の先をのぞくたび、空気が重くなる。足音を殺し、体を壁に寄せ、慎重に前へと進む。
クラウスは殿で音を探知していた。彼の耳はで鍛盗賊時代に培われた感覚を確かに持っていた。微かな金属音、落石、風――そのどれもを聞き分ける。
「……まだ、追っては来ていない」
低い声が背後から響く。
それでも油断はできない。
エルネアの魔力はほとんど枯渇しており、もし敵が再び襲来すれば、今度こそ持ちこたえられない。リョウはそう理解していた。
――俺が判断を間違えれば、全員が終わる。
彼の中で、冷たい緊張と熱い焦燥が同時に燃えていた。
だが、その思考の炎が、リョウを次の一歩へと駆り立てる。
やがて、遠くから何かが崩れるような音が響いた。
「……聞こえた?」
モンブランが声をひそめる。
「聞こえた。だが振り返るな。音に気を取られるな」
リョウの言葉には焦りも迷いもなかった。
彼はあえて前方だけを見つめる。振り返れば、逃げの心が生まれる。それを断ち切るための“戦士の習性”だった。
沈黙の行軍。
石壁に響くのは、足音と心臓の鼓動だけ。
時間の感覚が曖昧になっていく。通路は曲がり、分岐を経て、また狭まり、延々と続く迷路のようだ。
その中で、リョウは過去の光景を一瞬だけ思い出していた。
――初めてこの遺跡に入ったとき、胸が躍っていた。
――未知を求める冒険の興奮。
だが今は違う。仲間を生かすために、冷静な撤退を選ぶ。
そして今までの経験が、彼にとっての一番大切な「仲間を守る」ことにつながっている事実に今までとは違う感情を抱いていた。
やがて、通路がわずかに開ける。
リョウは片手を上げ、停止の合図を送る。
「……見えてきた。あの広間だ」
モンブランとエルネアが顔を上げ、クラウスが背後から前に出る。
目の前に広がるのは、かつてクラウスと合流したあの場所――円形の石柱が並ぶ小さな広間。天井の亀裂から落ちる地下水が、ぽたりぽたりと反響している。
リョウは全員を手招きしながら、慎重に周囲を確認した。
「敵影なし。ここまでは追ってきていないようだ」
そう言いながらも、彼の視線は天井と側道を交互に走る。
クラウスが低くうなり、「気配は遠い」と答えた。
リョウは安堵の息を吐き、壁にもたれかかった。
――あと少しだ。出口はもうすぐ。
モンブランはエルネアの肩をさすりながら、「もう少しだけ頑張って」と優しく言った。
少女は小さくうなずき、震える指先で杖を握り直した。
その様子を見て、リョウは再び気を引き締める。
「休むのはもう少し先だ。ここはまだ安全圏じゃない」
彼の声に、全員が再びうなずいた。
――撤退は終わっていない。
この静寂の裏に、確実に追手が迫っている。
リョウは背負い袋から地図を取り出し、かすかな灯りにかざした。
「次は……この分岐を抜ければ、外の風が通る通路に出られる。そこから先は一本道だ」
そう説明する彼の横で、クラウスの眉がわずかに動く。
「……あの音、やはり近づいているな」
広間の奥、暗闇の向こうで何かが石を蹴る音が響いた。
緊迫した空気が再び全員を包む。
リョウは剣を抜き、仲間たちをかばうように前に立つ。
「……行こう。ここで止まる理由はない」
その声は静かだったが、仲間たちの胸に強く響いた。
撤退戦はまだ終わらない。
彼らは再び闇の中へと足を踏み入れた。
彼らは生きて帰れるのか、あるいはさらなる試練が待ち受けているのか――まだ誰も知らない。




