王都グランフェリア編 第12章:パート3「地下通路」
湿った土と古びた石の匂いが鼻を突く。クラウスは片手に握ったランタンを高く掲げ、もう片手には鞘から抜いた剣を構えたまま、慎重に足を進めていた。背後では、地上に残ったフユコが退路を確保しているはずだ。彼女の存在があるからこそ、安心してこの地下の闇に踏み込める。だが、それでも胸の奥にひっかかる不安は消えなかった。
通路は人が数人通れるほどの幅。両側の壁は人の手で削られた跡があり、まるで蟻の巣のように奥へと続いている。足音が石畳に反響し、わずかに水滴の落ちる音が混じる。その度に、クラウスは剣を持つ腕に力を込めた。
進んでいくと先ほどまでとは様子が異なり、壁に奇妙な模様が浮かび上がる。ランタンの炎に照らされ、ぼんやりと浮かぶそれは――古代文明の壁画だった。粗雑だが力強い線で描かれた戦士たち、奇怪な仮面をかぶった者、そして天を仰ぐ巨大な存在。まるで神々か魔物か、判別できない存在が、壁いっぱいに刻まれていた。
クラウスは立ち止まり、目を凝らす。戦士たちが剣や槍を振りかざし、怪物と対峙している場面。その隣では、司祭のような服装の集団が祈りを捧げている。壁画の端に描かれているのは冠をかぶった男と聖杯が描かれている。
「……、王家の儀式か?」
思わず呟いた声が、通路に反響して戻ってくる。
壁画に近づこうとしたとき、胸の奥がざわりと騒ぎ出した。嫌な感覚――これは戦場で幾度も感じてきた死の予兆に似ている。背筋を冷たいものが走り、クラウスは無意識に剣を構え直した。
通路はさらに狭くなり、天井も低く、肩が壁に擦れるほどの幅しかない。ここで襲撃を受ければ身動きはとれないだろう。今は進むしかない。
やがて、視界の先に巨大な石の扉が現れた。粗削りだが確かな重厚さを持つ石扉で、表面には見慣れぬ文字と円形の紋様が刻まれている。ランタンの炎がその線を揺らめかせ、不気味に浮かび上がる。
クラウスは扉の前で立ち止まり、耳を澄ました。
――声がする。
低く、かすれた声。複数人が言葉を交わしているようだ。だが、内容は聞き取れない。時折、切迫したような響きが混じり、クラウスの胸騒ぎをさらに強めた。
「……誰かが、この先で戦っている?」
小さく呟いた。
その瞬間、先ほど戦闘をした仮面の集団の姿が脳裏に蘇る。もしや――仲間割れでもしているのか
ランタンの炎が揺れた。まるで、扉の向こうに潜むものがクラウスの存在を察知し、こちらを見ているかのようだった。彼は剣を強く握り、深く息を吐く。
――仲間たちは別の場所で命を賭けている。自分も立ち止まるわけにはいかない。
だが、軽率に扉を開けるわけにもいかなかった。クラウスは耳を澄まし続ける。声は絶え間なく響いている。時折、石を擦るような音や、金属の触れ合う音も混じる。それは儀式の準備か、あるいは武装した者たちの気配か。
胸騒ぎはますます強まった。戦場で培った直感が告げている――この扉の先には、必ず血が流れる。
クラウスはランタンを床に置き、扉の表面に手を当てた。冷たい石の感触が掌に伝わる。文字や紋様の凹凸が、指先にざらりとした感触を残す。
「……さて、ここを開ければ、何が待っている?」
己に問いかけるように呟き、剣を構え直した。
静寂を破るように、扉の向こうから「カンッ」という硬い音が響いた。それは偶然か、合図か。クラウスの呼吸が止まる。
次の瞬間、扉の隙間からかすかな光が漏れた。赤い光――炎のような揺らめきが、通路を染める。扉の奥で、何かが確実に動いている。
クラウスは目を細めた。ここから先が、ただの地下通路ではないことを悟る。声の主は、果たして人か、それとも……。
彼の足は一歩前へ進む。剣先が炎の反射を受け、赤く光った。
――石扉の向こうから、確かに誰かの笑い声が響いた。




