王都グランフェリア編 第10章:パート5「広場」
夜風がひやりと頬を撫でる。クラウスは子供二人を両腕で抱えるようにしながら、少女と共に路地を抜け、大通りの広場へとたどり着いた。街灯の淡い光が石畳を照らし、先ほどまでの血なまぐさい気配は嘘のように消えている。
「……ここまでくれば大丈夫だろう」
クラウスは息を整えながら、そっと子供たちを地面に降ろした。二人ともまだ震えてはいたが、ようやく泣き声が落ち着き、ただクラウスの袖をぎゅっと握る。
「助かった。本当に助かった」
彼は深く頭を下げ、少女へと礼を言った。少女はしばし黙ったままクラウスを見つめ、それからゆっくりと両手を上げて顔を覆っていた仮面を外した。
月明かりに照らされて現れたのは、冷たい黒の瞳と端整な顔立ち。クラウスは息を呑んだ。
「……お前、まさか……フユコ?」
名を呼んだ瞬間、彼は思わず視線を逸らす。こんな夜中に、しかも命の危機を救ってくれた直後に、まさか仲間と再会するとは思わなかったからだ。
「……」
フユコは何も言わない。ただ軽く頷いて肯定の意を示す。それだけでクラウスはさらに気まずさを覚え、首の後ろをかきながら苦笑した。
「いや、悪い……しばらく顔を見てなかったから、正直すっかり忘れてた」
フユコは無表情のまま瞬きを一度だけした。怒っている様子はないが、どこか冷たい沈黙にクラウスは肩をすくめる。彼女は普段顔を見せず、王都に来てから何をしているのか不明しだった。しかもリョウとしかほとんど会話をしないときている。。クラウスが王都に来るまでの道のりで、一緒に旅をしていたはずなのに、その存在感は限りなく薄かった。
「……で、なんでこんなところに?」
クラウスの問いに、フユコは短く答える。
「リョウの指示」
「リョウの……?」
「あなたの援護」
言葉少なな説明に、クラウスは目を丸くした。
「はあ? 援護って……じゃあ、ずっと俺の後をつけてたってことか?」
フユコは淡々と頷いた。
クラウスは思わず天を仰いだ。
「おいおい……味方を尾行するなんて、スパイかよ。心臓に悪いったらないぜ」
自嘲気味に笑うと、フユコの目が一瞬だけ細められた。表情が変わったかどうか、わずかな差すら見分けるのが難しいほどだが、それでも彼女がかすかに面白がっているのをクラウスは感じた。
緊張で張りつめていた空気が、少しずつ和らいでいく。広場の真ん中で、三人と二人の子供が月明かりに照らされる光景は、どこか不思議な安堵感を漂わせていた。
クラウスは剣の柄を握りしめていた手を離し、深く息を吐く。
「……まあ、助かったのは事実だ。あの場でお前がいなかったら、俺もこの子らもどうなってたか分からん」
フユコは答えず、ただ視線を子供たちに向ける。その横顔は無機質だが、確かに彼女の介入がなければこの子供たちは救われなかった。
クラウスはそんな彼女を横目で見ながら、心の中で小さく呟く。
――もし敵に回していたら、俺は今ごろ死んでいたかもしれない。
その冷徹な動きは、熟練の暗殺者を思わせるほどだ。しかし今は味方でいてくれる。その事実に、クラウスは言い知れぬ安堵感を覚えた。
「……とりあえず、こいつらを家まで送ろう」
クラウスの言葉に、フユコは再び頷く。彼女の歩みは音もなく、影のように後をついてくる。
夜の街は静かで、石畳を踏む音だけが響いた。子供たちはまだクラウスの袖を握ったままだが、もう怯えきってはいない。
広場を離れ、彼らはひっそりとした住宅街へと向かう。
「……しかし、まいったな。リョウのやつ、そんな大事なこと一言も言いやがらねえ」
クラウスがぼやくと、フユコは横を向いたまま、小さく「指示だから」とだけ答えた。
クラウスは肩を落としながらも、どこか笑ってしまう。
「ま、いいさ。結果的には助かったしな」
そう言うと、ふっと肩の力が抜けた。緊張の糸が切れた瞬間、戦闘の疲労がどっと押し寄せてくる。だが心は不思議と軽い。
二人と二人の子供は、こうして夜の街を抜け、無事に安全な家へと歩みを進めた。




