王都グランフェリア編 第10章:パート4「白仮面の少女」
夜の気配はさらに深まり、廃屋の周囲は異様な静けさに包まれていた。クラウスの心臓は先ほどまでの戦闘で早鐘を打ち続けていたが、それでも三人目と相対した瞬間、呼吸は一気に凍りつく。男は冷徹な動きで子供の首元に刃を突きつけ、わずかに目を細めた。
「動くなよ、英雄気取り」
低く押し殺した声が耳に刺さる。クラウスは剣を構えたまま、わずかに体勢を崩した。あと半歩踏み込めば斬り伏せられる――だがその瞬間、子供の喉が裂けるだろう。勝算はある、だが失敗は許されない。頭の中で何度も刃の角度と踏み込みの速さを計算するが、どれも一瞬の遅れで悲劇を招く未来しか映らない。
「……クソッ」
額に冷たい汗が流れる。彼の視線が刃先に釘付けになるそのとき――枝がきしむ音がした。
まるで夜そのものが落ちてきたかのように、黒い影が音もなく宙を舞った。クラウスの視界の上から、ボロ切れをかぶった少女の小柄な体がふわりと降り立つ。地面に着地する直前で体をひねり、まるで風のように三人目の背後へと滑り込んだ。
「……ッ!」
男が反応した時にはすでに遅かった。冷たく光る刃が首筋にぴたりと添えられ、わずかな動きで皮膚を裂く寸前の角度を保っている。
「なっ……誰だ、お前――」
男の声は怒声にもならない。次の瞬間、少女の手首が鋭く返り、男の手から子供を押さえていた腕が弾かれた。子供が尻もちをつき、クラウスの方へ転がるように逃げ出す。
その動きに合わせてクラウスは即座に踏み込み、残った隙を狙って剣を突き出した。刃は男の肩口を浅く裂き、悲鳴が夜気に響く。だが男はそれでも抵抗しようとした――次の瞬間、少女の足が音もなく地面を蹴り、短剣がさらに深く首筋に食い込む。
「……!」
言葉にならない声を吐き、男は力を失って崩れ落ちた。少女は冷徹な視線のまま刃を抜き、無駄な動き一つせず立ち上がる。
クラウスは思わず息を呑んだ。彼女の気配はあまりにも薄く、現れる瞬間まで存在すら感じ取れなかった。木の枝から飛び降りてきたというのに、落下音すら耳に届かない。
「……ありがとうございます。危ない所を………」
言葉を探しながらも、クラウスは子供を庇うように片腕で抱え込む。ボロ切れをかぶった少女は子供たちがつけていたものとは違う白い仮面をつけており、じっとクラウスを見つめ返した。その瞳はまるで感情を映していない氷のように冷たいが、不思議と敵意は感じられない。
男の血が地面に広がる匂いが、ようやく現実に引き戻す。クラウスは深く息を吐き、剣を鞘に収めた。助かったのだ、と遅れて実感する。
「……とりあえず、子供を安全な場所へ」
低くつぶやくと、少女はわずかに顎を引いて同意の意思を示した。
クラウスは二人の子供を抱きかかえ、少女と共にその場を離れる。夜風が吹き抜けるたびに背筋がぞくりとする。あの一瞬、彼は完全に死地に立たされていた――それを覆したのは、自分ではなくこの謎めいた少女だったのだ。
廃屋の影が遠ざかると、子供たちはようやく泣き声を上げ始める。クラウスは彼らを宥めながら、隣を歩く少女を盗み見る。歩幅も呼吸も乱れず、まるで何事もなかったかのように淡々と進んでいる。
「……お前、ただ者じゃないな」
思わず漏れた独白に、少女は反応を示さない。ただ、月明かりの下で無機質に光る瞳だけが彼を射抜いていた。
クラウスは胸の奥に冷たいものを感じながらも、救われた命を思い、深く頭を垂れた。




