王都グランフェリア編 第9章:パート2「石の迷宮」
血痕の痕跡を追うことを断念した三人は、互いに無言のまま、暗い回廊をさらに奥へと進んでいった。
石造りの通路はますます湿り気を帯び、天井から落ちる水滴が冷たい音を響かせる。苔むした壁には古代の紋様が刻まれていたが、ほとんどが風化し、意味を成していない。
歩みを進めるほど、空気は重くなる。背後からの気配はないはずなのに、誰かに見られているような錯覚に襲われるのだ。三人とも自然と口数が減り、ただ足音と息遣いだけが石の空洞にこだましていた。
やがて通路は一本ではなく、いくつもの枝分かれを見せ始めた。左へ、右へ、さらに斜めへと広がり、まるで石そのものが意思を持って彼らを惑わせようとしているかのようだった。
「……これは」
リョウは立ち止まり、分岐点に視線を巡らせた。通路の奥は闇に沈み、どこも同じように見える。だが、壁に手を触れれば冷たさの度合いが微妙に違い、吹き抜ける空気の流れも方向によって異なるように思えた。
モンブランが鼻をひくつかせ、耳を立てる。
「風が……動いてる。だけど複雑だ。右からも左からも来てる」
低く呟くその声には緊張が混じっていた。
リョウは松明を高く掲げ、分岐する通路を順番に照らした。淡い光が壁を舐め、苔やひび割れを浮かび上がらせる。だが目に見える決定的な違いはなく、光はすぐに深い闇に呑まれてしまった。
「どの道も同じに見えます……これでは方向を誤れば永遠に迷ってしまうでしょう」
エルネアの声が反響し、迷宮の奥で幾重にも反射して返ってくる。その響きが、三人の心を不気味に締め付けた。
リョウは唇を引き結び、過去に見たドキュメンタリー映画の記憶を必死に引き出す。
――迷宮や洞窟を進む際は、片方の壁に手を当て続ければ必ず出口に辿り着ける。単純な理屈だが、実際に探索者たちが命を繋いだ方法。
その映像と解説が、頭の奥で鮮明に蘇っ
「……“右手法”を使おう」
リョウは二人に向かってそう告げた。
「右手を壁に当てて歩き続ければ、必ずどこかに繋がるはずだ。時間はかかるけど、迷うよりはましだと思う。他にも方法はいくつかあるけど、すでにかなりの時間、遺跡に潜っている。脳に負荷のかかる方法はミスを招く。」
エルネアは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに理解し、頷いた。
「なるほど……単純ですが理にかなっていますね。今はそれに従うしかありません」
モンブランも腕を組んでから「わかった」と短く答えた。
「少なくとも立ち止まってるよりはいい。匂いも流れも入り組んでる。わたしの鼻じゃ追いきれない」
リョウは右手を壁に当てた。石は冷たく、ざらついている。その感触を確かめながら、彼は一歩を踏み出した。エルネアがランタンで前を照らし、モンブランが後ろを守る。三人は呼吸を合わせ、ゆっくりと迷宮に足を踏み入れていった。
通路は狭くなったり広くなったりを繰り返した。天井は高く、声を出せば幾重にも反響する。時折、遠くから別の音が返ってくる気がして三人の背筋は凍り付いた。水滴の落ちる音が獣の足音に聞こえ、石の崩れる音が誰かの囁きに思えてならない。
右手を壁をなぞる行為は簡単なようで、実際には神経をすり減らす作業だった。普段は少し浮かしているのだが、長時間やっていると不安になるのが人間の性だ。時折壁の凹凸で手が擦れ、皮膚が赤くなる。曲がり角ごとに息を呑み、どの先にも同じ暗闇が待っている光景に心が折れそうになる。
そんな中、モンブランが立ち止まった。鼻をひくつかせ、耳を澄ませる。
「……風が強くなった。どこかに抜け道があるかもしれない」
その言葉に希望を感じたリョウは歩調を速めそうになったが、すぐに踏みとどまった。焦れば判断を誤る。
エルネアはリョウの代わりにランタンを持ち、先頭を進む。
「……時間はかかります。でも、確実に進んでいます」
彼女の落ち着いた声が、三人の焦燥を少しだけ和らげた。
延々と続くかのような迷路の中で、三人は互いを信じ、壁を伝って歩き続けた。足音は重なり、反響は消えず、やがて彼らの心臓の鼓動さえも迷宮の一部となって響き渡る。
道は曲がり、折れ、また分岐を繰り返した。それでも三人は一歩一歩を確実に進めた。リョウの知識と仲間の感覚が重なり合い、石の迷宮を着実に切り抜けていく。
どれほどの時間が過ぎただろうか。三人の足は疲労で重くなっていたが、確かに前進していた。石の迷宮は彼らを試していた。だが、それを乗り越える術を三人は持っていたのだ。




