王都グランフェリア編 第3章:パート4「謎の石碑」
森の奥深く、苔むした神殿跡の正面に、それは堂々とそびえていた。
高さは人の背丈の三倍ほどもある巨大な石碑。表面はひび割れ、ところどころ苔やツタに覆われているが、削れてなお力強く刻まれた古代文字が、かすかな威圧感を放っていた。
「うわ……でっかい墓石みたいだな」
リョウが口を尖らせる。
「墓石じゃなくて石碑よ。神殿に入る前の結界や祈りの言葉を刻むもの。……たぶん」
エルネアは腕を組み、すこし誇らしげに顎を上げた。聖女の知識が役立つ場面とあって、彼女は気合十分だ。
「おお、頼もしい! 俺はこういうの全然わからん。任せたぞ、聖女様」
「当然よ。こういう時のために聖女がいるのだから」
自信満々のエルネアの横で、モンブランはきょろきょろと石碑を眺めていた。
「えっと、なんか読めるの? ぐにゃぐにゃしたカタツムリの行列みたいな文字だよ?」
「それは古代語。普通の人間には読めなくても、私には理解できるわ」
エルネアは胸に手を当て、深呼吸。
「……ふむふむ、なるほど。これはね、『この地を訪れし者、天の門を叩け』と書いてあるの」
「へぇ、なんかかっこいいな!」
リョウが目を輝かせる。モンブランも「おぉー」と素直に感嘆の声を上げた。
エルネアは石碑の前に立ち、右手を高々と掲げる。
「では、聖句に従って――」
凛々しい表情で、声高らかに叫んだ。
「天よ、開かれよ!」
……直後だった。
ゴウン、と鈍い音が響いたかと思うと、石碑の上部に仕込まれた仕掛けが作動。
ガコン! と蓋の外れる音。
次の瞬間。
ドシャァァァァッッ!!!
「ぎゃあああああっ!!!」
モンブランの頭上に、たっぷりと蓄えられていた冷水が豪快にぶちまけられた。
「ひっ……ひどいよおおおお! なんで私ばっかりぇぇぇ!」
半泣きで叫ぶモンブラン。
リョウは腹を抱えて転げ回り、地面を叩いて笑った。
「ハプハッ! な、なんだこれ! 罠か! 水桶罠!? 冒険者ギルドの酒場でも見ねぇレベルのショボさだぞ!」
「ち、違う! こんなのは誤訳よ!」
エルネアは真っ赤になって否定する。
「『天の門を叩け』ってのは、きっと合図のことだったのよ! 水ぶっかけろって意味じゃないわ!」
「じゃあ聖句に従って、俺ら全員水遊びか? ハッハッハ!」
「うるさいわね! あんたは何も読めないくせに!」
「読めなくても濡れてない俺の方が正解だったってことだろ!」
エルネアとリョウが言い合う横で、モンブランはブルブルと体を震わせ、水しぶきを飛ばす。
「ひっく……ボク、風邪ひいちゃう……。エルネアさん、ちゃんと責任とってよねぇ……」
「ご、ごめんなさい……」
さすがに涙目のモンブランを前にすると、エルネアも勢いをなくし、小声で謝った。
「………次は火を吐かれるとか無いよな………」
「黙りなさい! あなたが火だるまになってもちゃんと、この冷水浴びせてあげるから!」
「失敗するの前提かよ……」
やがて笑いと怒号が収まり、三人ともずぶ濡れの衣服をしぼりながら、改めて石碑を見上げた。
……軽い罠ではあったが、石碑に仕込まれた機構は予想外だった。
今の仕掛けが水で済んだから笑い話になったが、もし毒や落石の類だったら――。
リョウが鼻をすすり、口を引き結ぶ。
「……おい。やっぱこの神殿、ただの廃墟じゃねぇな」
「ええ。守護の気配が、まだ残っている」
エルネアは濡れた髪を払いながら、神妙に呟いた。
「古代の神殿は、来訪者を試すためにさまざまな仕掛けを残すものよ。笑って済ませられるのは、今だけかもしれない」
「神様を崇めてるのに、そんな仕打ちをしてたら廃れるのも無理ないな………」
モンブランもこくこくと頷きながら、まだ滴る水を絞る。
「でも……。ちょっと、ほんとに気をつけよ……」
三人は顔を見合わせ、今度は誰も冗談を言わなかった。
びしょ濡れのまま、それでも背筋を伸ばし、彼らは神殿の暗い入口へと視線を向ける。
苔むした石の門。ひび割れた柱。闇の奥で何かが待っている。
最初の罠が軽い悪戯であったことが、逆に不気味さを際立たせていた。
本当の試練は、まだ始まってもいないのだ。