第6章 パート5:再調査の開始
再調査は、何事もなかったかのように始まった。
それが、リョウたちの最初の取り決めだった。
疑いを持っていることを悟らせない。
焦りも、怒りも、違和感も――すべて胸の奥に沈める。
「……疑って悪かった」
リョウがそう口にしたのは、その翌日だった。
エルネア研究室。
午前中の柔らかな光が差し込み、薬品棚のガラスが穏やかに反射している。
「私たちの思い込みでした。墓荒らしの件で、神経質になっていた」
頭を下げる角度まで計算された謝罪だった。
エルネアは一瞬だけ、言葉を失ったように見えたが、すぐに微笑を取り戻す。
「……そう言ってもらえると助かるわ」
その横で、ハービーが肩をすくめた。
「気にしてませんよ。疑われるのは、研究者の宿命ですから」
軽やかな声音。
曇りのない笑顔。
それが余計に、リョウの神経を逆撫でした。
――この男は、警戒していない。
いや、正確には「警戒する必要がない」と思っている。
それを確認できただけでも、謝罪の価値はあった。
***
再調査は、役割分担から始まった。
誰が、何を見るのか。
誰が、何を知らない“ふり”をするのか。
「俺は、数字を見る」
リョウは即座に言った。
「帳簿と研究記録。表に出てるものも、過去の廃棄記録も含めて、全部だ」
彼の強みは、感情ではなく構造だった。
数字の並び、記号の癖、記録の抜け。
「人は嘘をつくけど、数字は嘘をつかない」
そう言って、リョウは研究室の資料室に通い詰めることになる。
「じゃあ、私は夜ね」
フユコが軽く手を挙げた。
「裏道、倉庫街、教会区画。人が“仕事を終えた後”に動く場所を見てくる」
彼女の動きは影そのものだった。
屋根の上、排水路の縁、馬車道の外れ。
「尾行はしない」
リョウが釘を刺す。
「“見てるだけ”だ」
「分かってる」
フユコはにっと笑った。
「疑ってないふり、でしょ?」
最後に、クラウスが口を開いた。
「俺は、昼間だ」
騎士団員としての顔を、最大限に利用する。
「葬儀屋、教会の雑役、記録係。雑談として聞ける範囲で聞く」
「踏み込むなよ」
「分かってる。俺は“何も知らない側”でいく」
こうして、影の探偵団は動き出した。
***
リョウの調査は、静かで地味だった。
埃を被った記録棚。
破棄予定だった古い帳面。
誰も気に留めない、余白の数字。
「……一致、してるな」
研究記録の検体番号。
搬入日時の形式。
数字の区切り方。
すべてが、あの帳簿と同じ癖を持っていた。
だが――人名はない。
どこにも、誰の名前も書かれていない。
「まるで……物資だ」
人間ではなく、部品。
死体ではなく、資源。
リョウは、背筋に冷たいものを感じながらも、顔には出さなかった。
「ハービー、これ手伝ってもらえる?」
「いいですよ」
彼は、まったく疑われていない態度で応じる。
――完璧だ。
疑われていないという自信が、全身から滲み出ている。
***
一方、クラウスの聞き込みは、もっと曖昧で、もっと危うい。
「最近、棺桶の出入り多いですね」
「研究用だそうで」
「へえ、珍しい」
それだけの会話。
だが、回数を重ねるうちに、微妙なズレが見えてくる。
「棺桶は出たが、埋葬はしていない」
「教会は関わっていないが、場所は貸した」
「名前は聞いていない」
誰も嘘はついていない。
だが、全員が“核心”を避けている。
「……線は、つながってる」
クラウスは確信する。
ただし、まだ“点”が足りない。
***
夜。
フユコは、屋根の影で息を殺していた。
酒場を出る人影。
倉庫へ向かう荷車。
教会の裏口が、決まった時間にだけ開く。
「……見てるだけ」
自分に言い聞かせる。
尾行はしない。
近づかない。
ただ、流れを見る。
その中で、一つだけ、違和感があった。
誰も急いでいない。
隠れているはずの行為が、妙に落ち着いている。
「……慣れてる」
それは、即席の犯罪者の動きではなかった。
***
三人は、数日おきに情報を持ち寄った。
「決定打は、まだない」
「でも、偶然じゃない」
「誰かが“回してる”」
結論は同じだった。
そして、全員が同じことを理解していた。
――この捜査は、まだ“芝居”の中にある。
表では、謝罪。
裏では、監視。
相手に警戒させないこと。
それが、最大の武器だった。
「……焦るな」
リョウは、自分に言い聞かせる。
証拠は、必ず“形”を持つ。
それを掴むまで、影であり続ける。
影の探偵団は、静かに網を張り続けていた。




