第6章 パート4:密かな監視網
夕方の王都は、昼と夜の境目にあった。
市場の喧騒が引き、路地の影が伸び始める時間帯。リョウは工房の戸を閉め、簡易的な結界を張ると、深く息を吐いた。
「……来るなら、そろそろだな」
独り言のように呟いた直後、扉が三度、軽く叩かれた。
決まった合図。
リョウは音を立てずに鍵を外す。
「悪い、遅くなった」
入ってきたのはクラウスだった。騎士団の制服は着ていない。代わりに、地味な外套。武器も目立たない短剣一本だけだ。
「仕事帰り?」
フユコが棚の上から顔を出す。いつものように軽い口調だが、目は真剣だった。
「いや、今日は“仕事じゃない時間”を作ってきた」
クラウスはそう言って、室内を見回した。
「……盗聴は?」
「問題ない。魔道具も切ってる」
リョウが答えると、クラウスは小さく頷き、腰を下ろした。
「じゃあ、本題だ」
一瞬、間が空く。
その沈黙だけで、話の重さは十分に伝わった。
「騎士団が、動いてる」
その言葉に、フユコが口笛を吹いた。
「へえ。表? 裏?」
「裏だ。公式には、まだ“噂の整理”って扱いだが……実際には、完全に捜査段階に入ってる」
クラウスは声を落とした。
「南門の馬車事件は、単独犯じゃない。流通事件として再分類された」
リョウの喉が、わずかに鳴った。
「……やっぱりか」
「で、だ。問題はそこから先だ」
クラウスは一拍置いてから、続ける。
「教会裏の倉庫。あそこから出た帳簿の件でな……研究室が、監視対象になった」
フユコが身を乗り出した。
「研究室って、まさか――」
「一つじゃない。複数だ」
クラウスの言葉は淡々としていたが、その内容は重い。
「エルネアの研究室も、その中に含まれてる」
リョウは、言葉を失った。
否定も、驚きの声も出ない。ただ、胸の奥で何かが崩れ落ちる感覚があった。
「……正式に、疑われてるってことか」
「“疑い”の段階だ。まだ踏み込んではいない」
クラウスははっきりと言った。
「騎士団は、研究室“全体”を見てる。個人名は、まだ一切出てない」
その一言が、逆に重くのしかかる。
フユコが腕を組んだ。
「全体ってことはさ。誰が黒か、分かってないってことだよね」
「そうだ」
「つまり……」
フユコは、リョウを見る。
「白も黒も、まとめて箱に入れて、様子見してる」
クラウスは否定しなかった。
「騎士団は、証拠が揃うまで動かない。下手に動けば、研究そのものを潰すことになるからな」
リョウは、唇を噛んだ。
「……疑いが、現実になったな」
それは誰に言うでもない独白だった。
頭の中を、これまでの違和感が次々とよぎる。
増えていく標本。
説明のつかない搬入速度。
“新しすぎる”検体。
「リョウ」
クラウスが静かに声をかける。
「今の段階で、君たちが知ってることは、騎士団はまだ知らない」
フユコが目を細めた。
「逆も、あるよね」
「……ああ」
クラウスは認めた。
「俺が話せるのは、ここまでだ。これ以上は、立場上アウトになる」
しばらく、沈黙が落ちる。
工房の外で、通行人の足音が遠ざかっていった。
フユコが先に口を開いた。
「ねえ。騎士団は“研究室全体”を疑ってる。でもさ」
彼女は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「空気、違うよね。中の人間」
クラウスは何も言わない。
「全員が同じことしてる匂いじゃない」
リョウは、顔を上げた。
「……フユコ?」
「分かるんだよ。盗賊やってたから」
彼女は軽く笑ったが、その目は冴えていた。
「組織ってさ、全員が同罪なことは少ない。たいていは――」
「一人か、数人が“回してる”」
リョウが続きを言う。
クラウスは、ゆっくりと頷いた。
「だが、騎士団は“誰が回してるか”をまだ掴めてない」
「名前が出てない理由だな」
「そうだ」
再び沈黙。
その中で、リョウは決意を固めていた。
「……再調査だな」
フユコがにやりと笑う。
「やっと言った」
「騎士団が総ざらいしてるうちに、俺たちが動くしかない」
クラウスは眉をひそめた。
「危険だぞ。これはもう、個人の好奇心で首を突っ込んでいい話じゃない」
「分かってる」
リョウは即答した。
「だから、“影”でやる」
フユコが指を鳴らす。
「影の探偵団、結成?⁉」
「魔法ある世界で、それは無茶だろ…」
フユコ「?」
クラウスは小さく息を吐いた。
「……俺は、これ以上は関われない」
「情報だけで十分だ」
リョウは頭を下げた。
「教えてくれて、ありがとう」
クラウスは立ち上がり、外套を羽織る。
「一つだけ言っておく」
扉に手をかけてから、振り返った。
「騎士団が“研究室全体”を疑ってるうちは、誰も守られない。白でもな」
その言葉を残し、彼は去った。
扉が閉まる。
フユコは、しばらく天井を見つめてから言った。
「ねえ、リョウ」
「なんだ」
「……本気でやるなら、もう一回、ちゃんと調べ直そ」
「最初から、だな」
リョウは頷いた。
「今度は、“偶然”を信じない」
こうして、
公的捜査の影で、
誰にも知られない再調査が始まった。
――影の探偵団は、再び動き出す。




