第6章 パート2:空の棺桶倉庫
――死体が“存在した痕跡”だけが残る場所
教会地区の裏手は、昼でも薄暗い。
石造りの礼拝堂の背後に連なる倉庫群は、信仰の光からわずかに取り残されたような場所だった。
巡礼者も、市井の人間も、わざわざ足を踏み入れない。
「神の背中側」と陰で呼ばれるその一角に、問題の倉庫はあった。
騎士団は夜明け前、音を立てずにそこへ踏み込んだ。
鍵は拍子抜けするほど簡単に開いた。
破壊された形跡はない。
侵入を拒む意志が、最初から存在しないかのようだった。
「……妙だな」
先頭を歩く騎士が、低く呟く。
倉庫の扉を押し開けた瞬間、彼らは“異常”を理解した。
中に広がっていたのは、静謐ですらある光景だった。
棺桶。
それも一つや二つではない。
大小さまざまな棺桶が、床に正確な間隔で並べられている。
まるで、兵隊の整列のように。
「数は……三十六」
記録係が淡々と数え上げる。
蓋はすべて閉じられていた。
だが、埃の積もり方が不自然だった。
最近まで、人の手が触れていたことは明白だ。
騎士団長代理の合図で、一本ずつ蓋が開けられていく。
――空。
どの棺も、例外なく空だった。
「……中身が、ない」
若い騎士が、思わず声を漏らす。
棺桶というものは、本来“死者を安置するための最終地点”だ。
だがここにあるそれらは、最初から“通過点”でしかなかった。
騎士団は内部の詳細な調査に移った。
棺の内側には、白布の代わりに耐水性のある暗色の布が敷かれている。
その布には、血痕も腐臭も、魔力反応すら残っていなかった。
「搬入されてから、ほとんど時間を置かずに中身を抜いているな」
副官ネリーが、布を指で摘まみながら言う。
通常、死体を収めれば、どれほど注意深く扱っても痕跡は残る。
血液、体液、あるいは腐敗臭。
それが一切ないということは――
「ここは保管庫じゃない。中継地点だ」
その結論は、誰の口からともなく共有された。
さらに奇妙なのは、棺の内壁だった。
よく見ると、木材の内側に細かな刻印が彫られている。
番号。
いや、番号に見せかけた記号。
「……検体番号か?」
クラウスが呟く。
刻印の一部は、意図的に削られていた。
だが完全には消しきれていない。
そして、その上から薄く魔術印が重ねられている。
「消去魔術の残滓だ」
魔術師騎士が断言する。
「古い型だが、確実に痕跡を薄めるためのもの。完全隠蔽じゃない……追跡を遅らせるための処理だ」
それは、慎重さと同時に“慣れ”を感じさせる手口だった。
騎士団は、棺そのものの構造にも注目した。
厚い。
異様なほどに。
通常の葬儀用棺は、見た目と儀礼性を重視する。
だが、ここにある棺は違った。
板は二重構造。
内側には補強の金属枠。
隙間なく閉じるための密閉加工。
「……頑丈すぎる」
「輸送用だな」
「しかも長距離を想定している」
棺桶という形状をしていながら、その本質は“運搬容器”だった。
揺れを抑え、匂いを漏らさず、外部からの干渉を防ぐ。
「葬儀用としては不自然だ」
副団長ガロアは、棺の縁を叩きながら言った。
「だが、死体を“商品”として運ぶなら……理想的だ」
倉庫内には、血の跡も、争った痕跡もない。
死は、ここでは起きていない。
つまり――
ここに運ばれた時点で、死体はすでに“完成品”だった。
「問題は、どこから来て、どこへ行ったかだ」
副官ネリーが呟く。
教会関係者への聞き取りも行われた。
だが、誰もが口を揃えて言う。
「棺は、正規の手続きを経て運び込まれた」
「葬儀の前段階の一時保管だと思っていた」
「中身を確認する立場じゃない」
嘘ではない。
だが、真実でもない。
倉庫の隅で、騎士の一人が小さく声を上げた。
「……車輪跡があります」
床に残された、かすかな痕跡。
棺を載せた台車が、何度も出入りした跡だ。
しかも、同じ方向へ。
「教会の地下か?」
「あるいは、外へ直接?」
騎士団は、ようやく一つの確信に辿り着いた。
この倉庫は、**死体流通網の“関節”**だ。
ここで一度集められ、仕分けされ、次の行き先へ送られる。
そして、その行き先こそが――
まだ、闇の中にあった。
棺桶だけが残された空間。
死体は消え、痕跡も消され、
だが“異常”だけが、くっきりと浮かび上がっていた。
「……やはり、噂では終わらん」
副団長ガロアは静かに言った。
この倉庫は、第一の物証。
そして同時に――
王都の地下で動く“死体の経済”の、入り口だった。
次に暴かれるのは、
誰が、何のために、それを動かしているのか。
捜査は、もう後戻りできない段階に入っていた。




