第6章 パート1:騎士団の静かな動き
――噂が「事件」へと昇格する瞬間
王都南門の詰所に、重苦しい沈黙が落ちていた。
朝靄の残る石畳の上で、騎士団の上級騎士たちが円卓を囲んでいる。誰一人として声を荒げない。だが、その静けさこそが、事態の深刻さを物語っていた。
「――結論から言う」
副団長を務める壮年の騎士ガロアが、低く告げた。
「南門の馬車事件は、単独犯ではない」
その言葉は淡々としていたが、場の空気がわずかに張り詰める。
机上に広げられたのは、検問記録、運送許可証、門番の報告書、そして簡素な地図だった。
これまで、王都では幾度となく“怪しい運び屋”が捕まってきた。密輸、脱税、禁制品――だが今回の件は、どれとも決定的に異なっていた。
「馬車は、正規の通行証を持っていた。検問も、形式上はすべて通過している」
文官が紙束をめくりながら説明する。
「だが、荷の内容が申告と一致していない。いや……一致しなさすぎる」
誰かが小さく舌打ちをした。
荷台から見つかったのは、切断された手足、胴体の一部、頭部のない肉塊。
しかし、それらは無造作に積まれていたわけではない。
布で包まれ、腐敗を遅らせる簡易魔術が施され、重量配分まで計算されていた。
「これは運搬だ」
別の騎士が断言する。
「衝動的な犯行じゃない。流通だ。計画された輸送だ」
その言葉を合図に、騎士団は事件の扱いを改めた。
“死体遺棄事件”から、“不正流通事件”へ。
つまりこれは、王都のどこかに供給源と受け取り手が存在することを意味していた。
調査は即座に多方面へと広がった。
まず洗い出されたのは、南門を通過した馬車の出入り記録。
過去三十日分、夜明け前に通過した馬車をすべて抜き出し、運行経路を地図上に落とし込む。
すると、奇妙な共通点が浮かび上がった。
「……必ず、教会地区付近で足取りが途切れている」
若い騎士が、地図を指でなぞりながら言った。
馬車は確かに南門を通過し、王都へ入る。
だが、その後の通行記録が、教会地区を境に忽然と消えるのだ。
市場にも行かず、倉庫街にも寄らず、貴族街にも向かわない。
まるで――そこから先が、存在しないかのように。
「馬車が消える時刻も一致している」
文官が補足する。
「夜明け前、鐘が鳴る直前……いわば“空白の一刻”です」
王都では、夜警と朝番が入れ替わるわずかな時間がある。
最も警戒が薄れ、記録が曖昧になりやすい時間帯。
そこを、誰かが正確に狙っている。
次に、検問兵への再聴取が行われた。
複数の兵が、同じ馬車を通したはずだった。
だが、証言を突き合わせると、微妙な齟齬が生じる。
「色は黒だった」「いや、濃い茶色だ」
「馬は二頭」「三頭だった気がする」
「御者は若い男」「中年だった」
どれも決定的な矛盾ではない。
しかし、違和感は確実に積み重なっていた。
そして、ある検問兵の証言が、場を凍りつかせた。
「……顔を、覚えていないんです」
男は困惑した表情で、そう答えた。
「確かに話した。通行証も確認した。声も聞いた。でも……顔が思い出せない。霧がかかったみたいに」
他の兵は、御者の顔立ちをおぼろげながらも思い出せている。
だがその一人だけが、まるで“顔そのものが認識から抜け落ちた”かのような状態だった。
「魔術か?」
誰かが呟く。
「いや……もっと厄介だ」
団長代理は腕を組み、低く言った。
「これは、人為的な目くらましだ。記憶を消したわけじゃない。“記憶されない”ようにした」
魔術による干渉、あるいは心理誘導。
いずれにせよ、素人の手口ではない。
さらに、門外の地面に残された車輪跡の分析も進められていた。
通常の馬車よりわずかに幅が狭く、荷重の割に沈み込みが浅い。
これは――中身が途中で減っていることを示している。
「南門を通ったときと、教会地区に向かうときで、荷が違う」
つまり、王都に入った直後、どこかで“中身の一部”が抜かれている。
騎士団は、この時点で確信していた。
これは偶然ではない。
噂でもない。
王都の中に、死体を流通させる“仕組み”が存在する。
「表沙汰にはするな」
団長代理は命じた。
「市民が知れば、混乱が起きる。だが――我々はもう、噂の段階には戻れん」
その言葉とともに、事件は正式に「国家捜査案件」として扱われることになった。
静かに、だが確実に。
王都の水面下で、巨大な捜査網が張られ始めていた。
そして誰も知らなかった。
この時すでに、捜査の影は――
一人の“優秀な助手”の背中に、忍び寄っていたことを。




