第5章 パート4:二人は尾行する
王都の夜は、思った以上に騒がしい。
昼の喧噪が引いた後も、
酒場の笑い声、路地裏の話し声、
遠くの鐘と馬蹄の音が、
静寂を拒むように折り重なっている。
その中を、
リョウたちは影のように動いていた。
標的は一人。
エルネアの助手――ハービー。
昼は王立研究院。
白衣を着て、書類を抱え、
誰からも一目置かれる優秀な若者。
夜は酒場。
同年代の学生や下級研究者に囲まれ、
冗談を言い、杯を傾ける、
どこにでもいる青年。
「……本当に、怪しいのか?」
リョウ自身が、
そう思い始めるほどだった。
だが、
一点だけ、不自然なことがある。
彼は必ず、
同じ時間帯に姿を消す。
酒場を出る時刻。
教会地区へ向かう足取り。
そこまでは、毎回同じ。
だが――
そこから先が、ない。
「消えた……」
フユコが、
屋根の上から小さく呟く。
「路地に入ってない。
表通りにも戻ってない」
「地下か?」
クラウスが低く言う。
王都の教会地区には、
古い地下納骨堂、
使われなくなった水路、
封鎖された礼拝用通路が多い。
人目を避けるには、
うってつけの場所だ。
「だが、入口が分からない」
「毎回、同じ場所で消えるわけでもない」
フユコは、
唇を噛む。
尾行は、
思った以上に難航した。
ある夜。
雨が降っていた。
石畳に水が溜まり、
足音が反響しやすくなる。
リョウは、
距離を取ってハービーを追っていた。
教会地区の外れ。
人気のない路地。
「……今だ」
曲がり角を曲がった瞬間、
姿が見えなくなった。
「くそ……!」
走る。
だが、
どこにも人影はない。
息を整えながら、
足元を見る。
石畳に、
黒ずんだ染み。
「血……?」
胸が跳ねる。
指で触れると、
まだ湿っている。
追ってきたクラウスも、
眉をひそめた。
「……新しいな」
フユコが、
周囲を警戒する。
「近くに、何かあるはず」
三人は、
慎重に染みを辿った。
数歩先。
木箱の陰に、
布切れ。
そして――
肉の切れ端。
「……」
一瞬、
空気が凍りつく。
リョウは、
喉の奥がひりつくのを感じた。
「見つけた……?」
だが、その瞬間。
「おーい! 誰かいるか?」
声。
路地の向こうから、
明かりが近づく。
肉屋の男だった。
「それ、捨てたやつだよ」
男は、
慣れた様子で言った。
「今日、解体した獣の残り。
血が多いから、
夜に捨てるなって言われてんだけどさ」
獣。
よく見れば、
切り口も、
形も、
人のものとは違う。
リョウは、
一気に力が抜けるのを感じた。
「……すみません」
男に謝り、
三人はその場を離れた。
「……ただの、勘違いか」
フユコが、
小さく言う。
誰も、
否定できなかった。
それからも、
尾行は続いた。
だが、
何も出ない。
地下通路も、
納骨堂も、
全て空振り。
不審な荷物も、
血痕も、
証拠らしいものは、
一つも見つからなかった。
ハービーは、
相変わらず昼は研究に励み、
夜は酒場で笑っている。
「……行き過ぎた疑いだな」
ある夜、
クラウスが言った。
「俺たちは、
最初から“犯人”を決めて、
動いてしまった」
「……」
リョウは、
反論できなかった。
疲労が、
身体に溜まっている。
眠れない夜。
無駄足。
空振り。
何より――
確証が、何もない。
「墓荒らしの件も、
証拠は出なかった」
クラウスは、
静かに続ける。
「ハービーは、
ただ優秀な助手だ。
それ以上でも、以下でもない」
リョウは、
歯を食いしばった。
疑い続けることが、
正義なのか。
それとも――
自分の過去が、
影を見せているだけなのか。
「……分かった」
長い沈黙の後、
リョウは言った。
「やめよう。
これ以上は……」
フユコも、
小さく頷く。
「……疑って、ごめんなさいだね」
翌日。
リョウは、
研究所を訪れた。
ハービーは、
少し驚いた顔で迎えた。
「何か、ご用ですか?」
「……謝りに来た」
リョウは、
率直に言った。
「疑っていた。
すまなかった」
ハービーは、
一瞬目を丸くし、
それから苦笑した。
「そういう目で見られるの、
慣れてます」
「……」
「エルネア先生の助手ですから」
冗談めかした口調。
曇りのない笑顔。
それが、
余計に胸に刺さる。
「研究、頑張ってください」
リョウは、
それだけ言って帰った。
背後で、
「ありがとうございます」という声が聞こえた。
その声に、
違和感はなかった。
――なかった、はずだ。
調査は、
終わった。
そう、
誰もが思った。
だがその夜。
フユコが、
ぽつりと言った。
「……ねえ、リョウ」
「なんだ」
「やっぱり、
あの人……」
言葉が、
途切れる。
「……なんでもない」
だが、
その沈黙が、
何よりも不安を煽った。
王都の夜は、
何事もなかったかのように続いていく。
だが、
その裏で。
何かが、
確実に――
進んでいた。




