【序章】事件の始まり
――人生ってのは、だいたい間違える。
終電を逃した三上リョウは、いつものように仕事帰りの暗い道を歩いていた。
ブラック企業で毎日12時間以上働き、休みもろくにない。肩こりと胃痛が友達で、唯一の趣味は深夜に観るドキュメンタリー作品。戦場カメラマンや辺境の村で暮らす人々の話を見ると、なんとなく生きてる気がしていた。
そんな人生の転機は、驚くほどあっさりやってきた。
「あの、すみません……交番って、どちらですか……?」
夜の住宅街で、苦しそうに腹を押さえてうずくまる女性がいた。妊婦だった。
「大丈夫ですか!?」
リョウは慌てて駆け寄り、スマホを取り出した。位置情報を調べて交番を案内しようとした――その瞬間。
激痛が頭を襲い、視界が真っ白になった。
***
気がつくと、空が淡い緑色だった。
「……うっ……?」
乾いた草の上で目を覚ましたリョウは、スーツ姿のままだった。そしてなぜか手には土鍋を持っていた。
「なんで土鍋……?」
状況がまるで理解できない。が、それどころではなかった。
「うわああああ!! 誰か助けてえええ!!」
すぐ近くの崖の下から、女性の悲鳴が聞こえた。
正義感というより、条件反射だった。助けを求める声があれば、動かないわけにはいかない。
土鍋を抱えて、リョウは丘を駆け上がった。
そこには――馬車が襲われていた。
複数人の黒い装束の男たちが、馬車の乗客に刃を向けている。
(まずい! このままじゃ殺される!)
しかも、男たちは背を向けている。リョウから見て完全に無防備だ。
土鍋を両手で構えたリョウは、馬車の背後に回り込み――
「うりゃああああっ!!」
思い切り、その中の一人の頭を土鍋で殴りつけた。
ガコン!!
兜の金属音と共に男が吹き飛んだ。
「な、何だぁ!? 奇襲か!?」
「ぐはっ……だ、誰だ貴様……」
他の者たちが驚き、こっちを振り返る。リョウは訳が分からないまま叫んだ。
「やめろおおおお!! 何やってんだ!!」
なんとか女性を背後にかばいつつ、必死に土鍋を盾に凌いでいると、
他の乗客が野盗を退けたようで、野盗の一人が退散の号令をだした。
そして、リョウが守ったの“馬車の乗客”の一人が、にこりと笑った。
「……あんた、いい根性してるなぁ」
「へ?」
気づけば、リョウは襲われていた男たちに取り囲まれていた。
そしてガルムというリーダー格の大柄なスキンヘッドの男が歩み寄ってきた。
「あんたのおかげで助かったよ。ちと人数的に不利だったから助かったよ」
「……とんでもないです。できることをしたまでで………」
そしてふとリョウは異変に気づく――
男たちには古傷も多く、どこか野蛮な雰囲気持ったものが多い。
街ですれ違ったら目線をそらすタイプだ。
「ふっふっふ……まさか、俺たちに助っ人が来るとはな……!」
「え、え、ええええ!?」
リョウが土鍋で殴ったのは、盗賊団を捕まえようとしていた治安維持隊の男だった。
そしてリョウが助けたのは――盗賊の一味だった。
「おまえ、なかなかやるなあ。さっきの一撃、下手な魔法より効くぞ」
「……ご、ごめんなさい!! 俺、何も知らなくて! 良かれと思って……!」
が、その盗賊は肩をすくめて言った。
「まあ、悪いようにはせん。俺たちと一緒にくるよな?」
「え、あ、はい……」
こうして三上リョウは――
盗賊ギルドに連れていかれた。
***
「記憶がないんです」
「ふーん……」
盗賊ギルドの幹部らしき人が顎をさすりながらリョウを見た。
「なぜか土鍋だけ握っていて、気づいたら森の中で……目覚めたら馬車が襲われていて、正義感で助けに入ったら……」
「逆だった、と」
「はい……」
ギルドの連中は爆笑した。
「気にすんな! あんな勘違い、年に一人はいる」
「いるのかよ!?」
「でもまあ、なかなかのセンスだ。あの土鍋攻撃、マジで効いたぞ」
「はあ……」
「おまえ、戦闘の心得は?」
「まったく……ありません」
「魔法は?」
「ないです」
「特技は?」
「ドキュメンタリーが好きなこと、ですかね……?」
「…………は?」
こうして三上リョウは――
異世界で、盗賊見習いとして新生活を始めることになった。
このときはまだ知らなかった。
“助けた”と思った馬車が何を運んでいたのか。
そして自分が、事件のど真ん中に巻き込まれていることを――
(序章・了)