退位の宣言
侯都シュベルトの邸宅で、私は数日間ベッドに横になって過ごした。
「いつまで寝てるんですかぁ? そろそろ起きて散歩しましょうよぉ!」
「でも……まだ、しんどい」
エマが、心配そうに私の顔を覗き込む。
「わかりましたぁ。食事を運んできますから、ちゃんと食べてくださいねぇ。……あ、でも食っちゃ寝ばかりだと太るかもぉ」
「……起きるわよ」
ティア様には、私たちの無事を王都へ伝えてもらった。
「相変わらず、伝説の竜をコマ使いにできるのはリリカくらいだよ」
エマが泣きながらティアの背にしがみついてきたのは、言うまでもない。
「王都では、大騒動になってますよぉ」
「でしょうね」
ドノバンの家臣団も昨日には到着していて、クルミも来ていた。
エマに支度を手伝ってもらい、なぜか車椅子に乗せられて食堂へ行くと――
「おはよう、リリカ!」
剣の練習を終えたばかりのすっきりした顔の汗だくクルミが飛びついてくる。
「うわっ、汗臭い!」
「うるさい」
わざとらしく、さらに強く抱きしめてきた。
「おはよう」
書類に目を通していたドノバンが顔を上げ、穏やかに微笑む。
その一瞬の優しさに、胸のあたりがじんと熱くなる。
「ガンツは?」
指差した先を見ると、外壁に登って部下たちと修繕作業をしていた。
「もうすっかり元気だよ」
「なんであんなことを?」
「セリオの動きが怪しいらしい。いつ攻め込んでくるかわからない」
ジュリアン・セリオは、私たちが戦場に到着した時にはもう死んでいた。
それでも何故か、私たちが手にかけたような妙な罪悪感が残っている。
「逆恨み?」
「いや。奴はそんなに単純じゃない。帝国の一部勢力と組んでいる」
「反乱……?」
「表向きは違う。でも、牙を向く可能性は高い」
王国の兵は、地方貴族の率いる数が圧倒的に大きい。王族たちの率いる軍は、親衛隊と呼ばれた少数だけ。だが選抜されたスーパーエリートの軍だ。
だからこその不安定さが、ひしひしと伝わってくる。
「勝てるなんて思ってるの?」
「王国とは戦わないさ。領民の意思だと言い張って、平和的独立を狙ってる」
私は呆れた。王国より、はるかに巨大な帝国が属国になっており、豊かな共和国を始め多くの国が何故、尊敬を持ってつき従うのか。
「馬鹿なの、魔物を退治してもらえなくなるわよ」
「聞いた話じゃ、王国官僚にも手を回してるらしい。あとは侯爵会でどうなるかだ」
クルミが腕を組む。
「独立したいなら勝手にすればって思うけど、軍事で領地を広げておいて何が平和よ。そもそもセリオの不正が原因でしょ。許す必要なんてないわ」
「そうだったんだ」
「それより――聖女ソフィアが会いたいって」
「……わかったわ」
私は胸がざわついた。
優しい微笑みの裏に隠された“本当の顔”。
確かめなければならない。
ドノバン、クルミと王城へ向かう。
今日は異様に騒がしい。
「ご無事で何より!」
「ドノバン殿、さすがです!」
ドノバンは次々に声をかけられ、私は嬉しいのに、どこか胸が締めつけられた。
……置いていかれそうで、少し怖い。
「お疲れ様、リリカ!」
明るい笑顔で駆けてくるソフィア。
演技にも見えるその完璧さに、胸の奥がざわつく。
「ドノも!」
そして、ためらいなくドノバンの手を握る。
……うわ、腹立つ。
「ドノは王のところね。クルミは侯爵会。さ、リリカ行きましょう」
最初から私を連れていくつもりだったかのように、腕を取られる。
「大丈夫よ。食べたりしないから。ほら」
心配そうに見てくるドノバンに、私は小さく笑ってみせた。
でも手が離される瞬間、なぜか胸がきゅっと痛んだ。
ソフィアの部屋――聖女局の奥深く。
静かで上品な空気の中、わずかな魔力の揺らぎが肌を撫でた。
「密談だから、遮音してるの」
「ふぅん。それで、話って?」
「怒ってないの? 試練のこと」
「怒る? 別に。あなた――いえ、あなたたちがいつもやってきたことを尊敬してるわ」
それは、本心だった。彼女は使命のために命を削ってきた。自分のことを犠牲にして。
「良かったわ。今回の試練で死者が出て、非難がすごくてね。“お前たちが行くべきだった”って」
「でも、倒せないかもって知ってたんでしょう?」
「そう。難しいとは思ってた。でも、私が死んだら後がないのよ。だから先駆隊として王族の責務を果たしてもらった」
冷たい言葉。でも、真実でもある。彼女が下さないといけない選択。
「……わざと、ドノバンを遠くに配置した?」
「ええ。ドノには死んでほしくなかったもの。少しでも確率を下げたかったの。あなたならどう? 絶対勝てない敵に最初に飛び込ませる? もちろん情報を得る為に考えた最適布陣よ」
「……」
「今回のことで私は聖女失格。ディナモスも、レクセルやジュリアンの死を嘆いて会ってくれない」
彼女の顔に浮かぶ痛みは、本物に見えた。
「あなたが守ろうとしていたのは、ディナモス……なんだね」
「ええ。そして私も全能じゃない。……それに、あなたが闇魔術を使えるなんて知らなかった」
「私も、使ったのは二度目だから」
ソフィアは、静かに目を閉じた。
「本題よ。闇魔術を扱える“真の聖女”が現れた以上――私は退くわ。後は、任せたわね。リリカ」
……は?
頭が真っ白になった。
いやいやいやいや、絶対に嫌。
そんな面倒くさい役、誰が――
めまいがし、私は机に伏せた。
その瞬間、身体の奥で黒い魔力が微かに揺れた。
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