蜘蛛の巣窟
どしゃ、どしゃ、と音を立てて、人が降ってきた。
次から次へと鎧ごと叩き落とされ、どれも息がない。鋭い一撃に切り裂かれた傷口が、生々しく目に入る。湿った部屋の匂いと魔物の強烈な匂いが混ざり、吐き気がする。
「急いで!」
「わかったぜ、お嬢!」
ガンツが盾で落下してくる死体を受け流しながら先頭を走る。その後ろを、私とドノバン、セバスが続く。
「おい、リリカ! 足元見ろよ、死人が滑るぞ!」
「滑るって言われても、滑ってるの私じゃないんだけど!」
足元には倒れた兵の遺体と血しぶき。慎重に足を運ぶのも難しい状況だ。
神殿の大広間へ踏み込むと、闇の中で蠢く巨体の魔物蜘蛛が数匹、その広間の中央にいた。鎌のように伸びた脚が、石床に鋭い音を立てる。床一面には兵たちの死体が散らばり、ぐちゃ、ぐちゃ、と咀嚼する音が響く。蜘蛛たちは獲物をむさぼるように食らい、闇の中で暗い唸りを上げる。
「ナエル、どこ?」
「危ない、リリカ!」
天井から落ちてきた魔蛇を、ドノバンが瞬時に斬り払う。金属音が響き、残像のように斬撃が視界を横切る。
私は、光魔術で周りを照らす。
改めて見上げると、壁にも天井にも、無数の魔物がへばりついていた。私の声に反応した大蜘蛛がちらりとこちらを見たが、食事を優先してまた動きを止める。その瞬間、頭の奥にざらついた声が響いた。
『その獲物はお前たちにやる』
意思が伝わったかのように、壁と天井の魔物が一斉にこちらへ降りかかってきた。蛇、百足、蚯蚓、蛭、蝙蝠、蛾……種類も数も把握できない。生臭く湿った気配が、一気に押し寄せ、肌を撫でるだけで震えが走る。
「うっ……気持ち悪い……ティア様の気持ちもわかる……ほんと無理……」
私は風の防壁で身を守りつつ、炎の魔術を解き放つ。炎が奔流となって広がり、魔物たちが次々と黒焦げになって落ちていく。静寂の神殿が、一瞬にして炎の神殿へ姿を変えた。
「来るわよ!」
棲家を荒らされた巨蜘蛛たちが、怒りを剥き出しに突進してきた。私は足止めのため土魔術を放つが、触れた瞬間に術がかき消える。ディスタブマジック――魔術を打ち消す性質を持つ蜘蛛の能力だ。
「俺たちの出番だな!」
ドノバンたちが駆け出す。鋭い脚が頭上から振るわれ、彼らの身体をかすめる。蜘蛛の糸が口から放たれ、仲間を絡め取ろうと伸びる。
「また糸かよ、蜘蛛って本当に自己主張激しいな」
ガンツが冷静に糸を斬る。
「糸は私に任せて! 蜘蛛の脚に集中して!」
私は炎で糸を焼き切る。瞬く間に灰となったが、蜘蛛の本体に届くとやはり消える。
「三匹同時はきついな……っ」
ドノバンが足を滑らせ、蜘蛛の脚が振り下ろされる。
「ドノバン!」私は風魔術で彼を引き寄せようとする。しかし、その動きすら読んだかのように蜘蛛の脚が迫り、血の気が引いた。
その時だった。
鋭い光が走り、蜘蛛の脚がぽろりと落ちた。
「誰?」
光線が蜘蛛の脚を次々と切り裂いていく。だが、蜘蛛の分厚い漆黒の本体には光を吸われ、効果は薄い。
光の方向を見ると、ナエルが立っていた。
「ナエル……生きていたのね!」
ドノバンは立ち上がり、動きの鈍った蜘蛛に渾身の一撃を叩き込む。
「邪魔な脚の数が減ればこっちのもんだ!」
彼の剣撃が、私の風魔術の後押しを受け、うなりを上げる。
「まずは一匹!」
残りの二匹も形勢は逆転し、ほどなくして倒せた。
「助けてもらってありがとう!」
ナエルの元に駆け寄る。
「いえ……私たちの方が壊滅寸前でした。小部屋に仲間を避難させています。治療をお願いします」
案内された奥の小部屋には、ナエルの仲間たちが倒れていた。カグラも、エマも。
「エマ、何でこんなところに……!」
「ごめんなさい、リリカ様……」
彼女の唇は血の気を失い、破れた服が赤く染まっている。
「喋らなくていい。ポーション、飲んで」
私は彼女を抱き上げ、ポーションを口元へ運ぶ。
嫌だ。こんなところで友達を失いたくない。絶対に。
ナエルやセバスチャンにもポーションを渡し、他の仲間に手当てを回してもらう。
「カグラ、リリカ様が来たよ。安心して、飲んで」
薄く目を開いたカグラが、震える手でポーションを受け取る。
小部屋の入り口は、ガンツが守りを警備する。だが、大広間にはもう魔物の存在が感じられない。
すぐに回復したエマが、私に抱きついてくる。
「約束を守らない奴は首だ!」
セバスチャンは怒って、エマを叱りつける。彼女は半べそをかきながら、私にさらに強く抱きつく。
「だって、ダンジョンは、ドノバン様とナエル一緒に潜るからって……ごめんなさい」
エマとしては、この方法ならば、途中で帰れと言われないと思ったのだろう。
あの大蜘蛛がさらに再生能力があったり、周囲の魔術を吸い取るタイプなら、さらに厄介だった。私はぶるりと震えた。
「確かに私たちの進軍が遅くなったせいで合流できなかったものね」
「違います、僕の判断ミスのせいです。そのせいで、カグラもエマも僕を守って死にかけました」
「いえ、私が、ナーシルの兵指揮官の進軍希望を断りきれなかったからです」
目を覚ましたカグラがよろよろと立ち上がり、顔色は悪いが話に加わった。
ナーシルとカグラは言ったが、それは帝国からの派遣兵だろう。
ただの付き合いで派遣された援軍だ。積極的に戦闘しようとする理由の不可解さに釈然としないものを感じた。
「そう、進軍希望をしていた方は?」
「蜘蛛にやられて死にました」
死人に、口無しだ。なぜそんな発言をしたかは謎のままになった。
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